小説「僕が、剣道ですか? 5」

十五
 次の日、朝餉を早めにとって、少しくつろいでいると、使いの者がやってきた。
 風車は刀を帯に差して、その者に従った。僕も定国を掴むとその後を追った。
 宿の者には、また後で来ると告げて外に出た。
 使いの者に風車は付いていった。その後を僕は追った。
 しばらくして、寺が見えてきた。五人ほどの侍が一人を囲んでいた。囲まれているのが、脇村新左衛門なのだろう。
 風車がやってくると、五人は道を空けた。風車はそこを通って、脇村新左衛門と相対した。脇村新左衛門は刀を抜いていた。
「脇村新左衛門殿か」と風車が訊いた。相手は「そうだ」と答えた。
「拙者は風車大五郎でござる。おぬしとは遺恨はないが、頼まれておぬしを討つことになった」と言った。
「わかった。だが、わたしもただ討たれはしない。抵抗するだけ抵抗する」と脇村新左衛門は応えた。
「承知した」と風車が言った。
 風車が刀を抜いた。
 風車の力は、知っていた。相手は分からない。しかし、刀の持ち方を見ていると相当の使い手だと分かる。風車と五分か、少し上のような気がした。
 二人は間合いを詰めた。そして、今、斬りかかろうとしていた。その瞬間に、僕は時を止めた。そして、卑怯ではあったが、脇村新左衛門のところに行き、その両手を定国で叩いた。骨は折ってはいなかったが、時が動き出せば激しい痛みを感じるだろう。そして、腕を動かすことは困難になるのは目に見えていた。
 僕は元の位置に戻ると、時間を動かした。
 脇村新左衛門が迫ってくるところを、風車の刀が刺し貫いていた。
 風車が刀を抜くと、脇村新左衛門は倒れた。刀を振って血しぶきを散らすと鞘に収めた。
 風車が僕の方を見た。僕はやったな、というような顔をした。風車は誇らしげだった。
 その風車に秋坂源治郎が駆け寄り、その手を握った。そして懐から三十両を取り出すと渡した。
「こんなところでお礼もそこそこに申し訳ないが、これにて」と言って、秋坂源治郎は脇村新左衛門の方に向かって行った。
 僕は風車に駆け寄り、「凄かったじゃありませんか」と言った。
「いやぁ」と風車は照れていた。
「早く、宿に帰り、朝風呂に入ることにしましょう」と言った。
「そうですね」と風車も言った。
 風車は相手の血しぶきを浴びているから、風呂に入った方が良かったのだ。

 宿に戻ると、きくが心配そうに首尾を訊くので、僕はあらましを話して聞かせた。
「鏡殿」ときくが言った。
「何」と僕が訊くと、「何かなさったでしょう」と言った。
「いや、何も」と言った。
「それにしては草履が汚れていますよね」と言った。僕はつられるように草履を見た。別に汚れている風ではなかった。きくがかまをかけてきたのだった。僕はそれにまんまと引っ掛かった。
「何をなさいましたの」と訊かれたが、こればかりは答えるわけにはいかなかった。

 風呂場では、風車は上機嫌だった。
「相手は、拙者に一太刀もあびせることができなかった」
「そうでしたね」
 僕はそう応えた。
 湯から上がり、ひと休みすると、宿賃を払い、宿場を後にした。

 台車を押しながら一緒に歩いていると、風車が「今日の昼は何か美味いものでも食いましょう」と言った。
「そうですね」
「鰻なんかどうですか」
「いいですね」
「奢りますよ」
「それは遠慮しておきます。せっかく手にした三十両なんですから、大事に使わないと」
「そうですか」
「そうですよ」ときくが横から言った。
「拙者はようやく三十両もの大金を手にしたが、そちらは千両箱を持っていますものね」と風車は言った。
 僕もきくも驚いた。
「分かるんですか」と僕が訊いた。
「そりゃ、一緒に歩いていれば千両箱にぶつかる金子の音ぐらい聞き分けますよ」と言った。
「参ったな」
「それで追われているわけではないですよね」
「それならいいんですけれどね。これは賞金首の山賊を成敗した時と、黒亀藩の二十人槍と氷室隆太郎を破った時、その時の白鶴藩の藩主からもらったものです」
「なるほど、お金には困っていないはずですね」
「ええ、使い道に困っているくらいです」と僕は冗談を言った。
 風車は黙って笑っていた。

 次の宿場で鰻屋を見付けると、早速、僕らは店に入っていった。
 風車は特上の大盛りを頼んだ。僕らは上を三つ頼んだ。妊娠中のきくに食べさせるためと、ききょうにも骨をかみ砕いて、鰻を食べさせたかったからだ。
 鰻が焼き上がるまでに、きくは哺乳瓶に白湯をもらってきた。
 蒲焼きが運ばれてくると芳ばしい匂いが立ち上がった。
 鰻を細かく砕いて、ききょうには食べさせた。ききょうは喜んで食べた。そして、タレのかかっているご飯も随分と食べた。
 三人前はすぐになくなった。
 風車の頼んだ特上の大盛りも瞬く間になくなった。
「まだ、食べられそうです」と言っていた。
「おやつにとっておきましょうよ」と僕が言うと、「それもいいですね」と応えた。

 街道は山道に入っていったが、公儀隠密が襲ってくる気配はなかった。相手も斬られているからダメージを負っているはずだ。次に来るときは、これまでのように甘くはないだろう。江戸に僕を入らせることは絶対にできないはずだったからだ。
 表向きに襲ってくるようなら、街道を外れて民家に泊まりながら、江戸を目指すだけだ。そうなれば、相手は僕を捜すだけでも骨が折れることだろう。そうはしたくないから、隠密を使ってくるのだ、とその時の僕は思った。

 いろいろと考えて歩いているうちに風車が袖を引っ張った。
「あそこ、あそこ」と言う。
 見れば甘味処だった。
 もうそんなに歩いて来ていたのかと思った。
 きくを見たら、休みたそうだったから、「あそこで何か食べよう」と言った。
「はい」ときくは元気よく応えた。