小説「僕が、剣道ですか? 3」

十五
 寒くなってきたから、革ジャンパーの上にオーバーコートを着た。
 オーバーコートには、武器はない。
 ショルダーバッグを持つと結構重い。
 きくとききょうを連れて、新宿御苑を散歩した。ここなら、黒金高校の連中に会う心配はなかった。ききょうは乳母車に乗っていた。レンタルも考えたが、六ヶ月ぐらいにすると四万円近くなって、五、六万円の新品とあまり変わらなくなる。いつまでいるのか分からないから、嵩張るベビーベッドはともかくも、乳母車は新品を買った。
 昨日、母は父についていって、父の昼休みに、お祖母ちゃんの施設の費用を、面倒を見てくれている伯父さんの銀行に一千万円振り込んだ、ということを話した。これで母にとっては兄嫁になる人が、祖母を施設に預ける時に、それがしやすくなったはずだ。
 残りのお金は、僕の通帳に二百八十万円入金したと言っていた。今日、カードで確認してみたら、僕の通帳には、これまでのと合わせて三百万円ほどの預金があった。
 当分、お金の心配はしなくても良くなった。
 きくは新宿御苑のレストランでもスパゲッティーを注文した。僕はカレーにした。
 きくはスパゲッティーを食べると、「これはこれで美味しいんですけれど、お母上の作られたスパゲッティーの方が美味しかったです」と言った。新宿御苑のレストランに美味しさを求めるのは、酷かなと思った。
 それからしばらく歩いた。
 今度はソフトクリームを売っている店があったので、冬だがきくにソフトクリームを食べさせたくて、二つ注文した。
「これどうやって食べるんですか」と訊くから、僕が食べ方を食べて見せた。
 するときくも同じように嘗めた。
「これは凄く美味しいです」ときくは言った。また、嘗めた。
「とても美味しいです」
 きくは食べ終わるまで、何度も美味しいと言った。
 冬だけど、結構人がいた。カメラを構えている人も多かった。
 午後四時半になると強制的に苑内から出されるので、その前の午後四時に、新宿御苑を出た。
 新宿御苑からは、歩いて帰ることにした。途中、母に言われていた買物をして帰った。
 家には午後五時に着いた。
 キッチンには母がいた。買ってきた物を渡した。
「わたしの兄がね」と母は切り出した。
「お祖母ちゃんの施設の入居費を、明後日払うって言ってきたの」
「そう」
「それで、お祖母ちゃんは来週の月曜日から、その施設に入ることになったの」
「分かった」
「月曜日は、わたしはお祖母ちゃんの施設に行ってくるからね。どんな所でこれから暮らすのか、見てみたいし。それとね。お祖母ちゃんの生活費は、わたしと兄で折半することにしたの。二十一万円の半分だから十万五千円月々出ていくことになるけれど、何とかやっていける範囲だから心配しないでね」
「うん。だったら、僕もお母さんとお祖母ちゃんの施設を見に行くかな」
「それはいいけれど、きくとききょうはどうするの。一緒に行く」
「どうする。きくも一緒に行くか」
「きくは一緒に行きたいです」
「分かった、それなら一緒に行こう」

 夕方、富樫から携帯がかかってきた。
「おれさぁ、明日から新潟にスキーしに行くんだぜ」と言った。
 僕も月曜日の朝礼の後、富樫にスキーに誘われたが、きくやききょうを残してスキーに行く気分にはなれなかったから断った。そのスキーに富樫は行くんだ、と思った。
「いつ帰って来るんだ」
「四泊五日だから月曜日」
「そうか、それなら僕がお祖母ちゃんの施設に行っている日だ」
「お前のお祖母ちゃん、施設に入るのか」
「うん、そういうことになった」
「そうか、お前んとこも大変だな」
「そうだな」
「じゃあな。お土産は期待するなよ」
「いらねえよ。さっさと切れよ」
「わかった」と言って携帯が切れた。
「富樫さんはスキーに行くんですか」ときくが訊いてきた。
「そうだよ」と答えた。
「スキーってどこにあるんですか」
 きくは、スキーがレジャーじゃなくて、場所だと思ったのだ。
「スキーは遊びのことなんだ。場所じゃない」
「スキーは遊びなんですか。わたしにもできますか」
「さぁな、できると思うけれど、結構、難しいぞ」
「難しくても、遊びなら、やりたいです」
「そうだよな。スキーは向こうの世界に戻ったら、やれないしな」
 僕はきくにスキーをやらせてみたくなった。ただ、ききょうもいるし、スキーを見たこともない者にいきなり、やらせるのはハードルが高いと思った。
「冬休みの後半に余裕があったら、家族でスキーに行くことにしようか」

 母にスキー旅行の話をすると、「そうね。お祖母ちゃんの施設のことが落ち着いたら、考えるわ」と答えた。
「それでいい」と僕は答えた。

 その夜のことだった。誰かが石を投げ込んできた。一階の玄関のドアのガラスと納戸と風呂場のガラス戸のガラスが壊された。それらは防犯のための柵がつけられていたが、石はそれよりも小さかったようだ。
 僕は着替えて、あたりを捜したが、石を投げ込んだ奴を見つけられなかった。
 すぐに警察と保険会社に電話を母がした。その間に僕は被害状況が分かるように、携帯で写真を撮った。もちろん、写真はクラウドストレージにアップロードした。
 警察がやってきて被害状況を確認していった。そのうち、保険会社の人も来た。
 深夜だったが、あたりに人だかりができた。僕は携帯でその人だかりの人の顔も写していった。その中に、石を投げた奴がいるかも知れなかったからだ。
 保険会社の人は被害状況を写真に撮って確認して、手続き書類でサインがいるところを母にサインさせた。
「明日には、新しいドアガラスと、納戸と風呂場のガラスが新しくなるように手配します」と言った。
 警察は被害届に母が署名して、実況検分は終わった。
「ガラスはもう片づけてもいいですよね」と母が言うと「いいですよ」と警察官が答えた。
 父は明日も会社があるから、一度起きてきたが、そのまま寝かせて、後の始末は僕と母ときくとがやった。
 きくは掃き掃除は慣れていた。
「ガラスには気をつけて」と言って、母は何度も掃除機をかけた後、雑巾で拭いた。拭いた雑巾は捨てた。