小説「真理の微笑 真理子編」

四十五

 真理子が家に着いたのは、午後五時前だった。

 早速、洋服店に電話をした。

「では、何時に伺えばいいでしょうか」と訊くので、真理子は「午前十一時にお願いできる」と訊いた。

「ええ、大丈夫ですよ。では、午前十一時に****病院の****室ですね」

「よろしくお願いします」

「わかりました」

 

 次の日、午前十時過ぎに、早退すると滝川に告げて、会社を出た。

 病院には、午前十時半過ぎには着いた。

 病室に入ると、高瀬が「どうしたんだ」と言うので、「もうすぐテーラーが来るのよ」と言った。

 キスをしている時に、ドアがノックされた。午前十一時より少し前だった。

 ドアを開けると、テーラーだった。真理子が中に入るように勧めると、「お邪魔します」と言いながら病室に入った。

 テーラーはテキパキと作業をした。大判のノートに測った数字を次々と書き込んでいった。

「立って頂けますか」とテーラーが言うので、高瀬は椅子に掴まり、松葉杖で立った。

 彼は手早く股下などを測ると、「もう、結構です」と言った。

 すべて測り終えたのは、午前十一時半前だった。その後で、生地帳を取り出して、「どの生地になさいますか」と高瀬に尋ねた。

 高瀬は生地を触りながら、これとこれとこれというように三点選んだ。そして、上着はシングルにし、ズボンは折り返しのないストレートにした。

 テーラーが病室を出ていくと、昼食が運ばれてきた。

 看護師が出ていくと、真理子は高瀬にキスをして「わたしはこれで帰るからね」と言って病室を出た。

 

 十月も終わろうとしていた。

 真理子は出社しても、社長室にぽつんと座っているだけだった。新しい会社になってから、時々決裁書類に判を押すぐらいで、することがなかったのだ。

 社長室からは街路樹が見える。日々、色づいていくのがわかり、今ではすっかり紅葉していた。

 そんな時、販売宣伝部の松嶋が、社長室に入ってきた。

「速報値なんですが、とうとう三万ロットを超えました」

「そう、凄いわね」

「さらに増産を進めているところです」

「そう。そっちは任せたわ。臨機応変に対応してね」

「わかりました」

 松嶋が出て行くと、彼の意気込みも同様に、元気さも出ていったかのように真理子には思われた。

 午後になると、滝川に早退すると告げて会社を出た。

 

 病室に入ると、昼食の膳が片付けられているところだった。

 高瀬は元気よく「今日はどうだった」と訊いた。

「好調よ」と真理子は答えた。

「トミーワープロのことか」

「そう。また増産するって言ってきたわ」

「これでワープロソフトはトミーワープロが制したな」

「そうね」

「どうしたんだ。浮かない顔をして」

「だって、みんな忙しそうにしているのに、わたしだけあなたの部屋になるはずの社長室にいて、することがないんだもの」

「それももうちょっとの辛抱だ」

「何」

「おいで」

 真理子は言われるままに高瀬に近寄った。高瀬は、真理子の手を引っ張って抱き寄せた。

 真理子はされるがままになった。

 高瀬は真理子を抱き締めると、キスをした。真理子はキスをされると、不思議に嫌な思いが消えていくのを感じた。

「もう少ししたら会社なんかにいなくていい。俺だけの真理子になればいい」

「あなた……」と言って、いったん口を離した真理子を、高瀬はまた抱き寄せてキスをした。

 真理子は高瀬のキスの中に、何もかも忘れたくなった。