小説「僕が、警察官ですか? 4」

二十五

 午後五時になったので、安全防犯対策課を出て、家に帰った。

 きくが出迎えてくれた。

「子どもたちは」と訊くと、「プリントをしています」ときくは答えた。

「そうか。相変わらず、教育ママをやっているんだな」と僕は言った。

「教育ママって何ですか」ときくが訊いた。

「子どもの教育に熱心な母親のことだよ」と答えた。

「それのどこがいけないんですか」ときくは言った。

「いけないなんて言ってないよ」と僕は言った。

「そういうふうに聞こえましたけれど」ときくは抗議した。

「ちょっと、からかってみただけだよ。いけないなんて思っていないよ」と言った。

「からかうなんていうのも嫌です」ときくは言った。

「私の言い方が悪かった。済まん」と謝った。

「本当にそう思っていますか」

「そう思っている」

「なら、許してあげます」ときくは言った。

 

 僕は着替えると、風呂に入った。

 浴槽に浸かりながら、重森の言ったことを思い出していた。

 重森は、照準を合わせていた相手が、突然目の前に現れたと言いたかったのだ。だが、僕はそれを封じた。それをそのまま認めれば、時間が止まったことがばれる。もちろん、そんなことは誰も信じないが、論理的に考えれば、それしか答えがない。

 時間が止まるなどということを誰も信じないが故に、重森の勘違い、ないし、意識が飛んだことに拠るということになった。

 重森自身、時間が止まったとは思っていないだろう。ただ、不思議なことが起こったので、僕に理由を訊きたくて仕方がなかったのだ。重森を満足させるような答えを言うことはできなかった。現実に起きたことと、重森の認識が違っていたことが浮き彫りになっただけだった。もちろん、現実に起きたことが全てだから、重森の認識が間違っていたことにされてしまうだろう。世の中というのはそういうものだ、と僕は思った。

 

 風呂から上がってビールを飲んだ。

 今日は塩辛をおつまみにした。

 

 そのうちに子どもたちがプリントを持って、ダイニングルームにやって来た。きくはそれを受け取ると、「後で見て、返すからね」と言って、寝室に入って化粧台に置いた。

 子どもたちは風呂に入る順番を決めるじゃんけんを始めていた。

 ききょうが勝った。京一郎は長ソファに転がって、足をバタバタさせた。悔しかったのだろう。

 

 夕食は刺身だった。鯛は一匹買ってきて、さばいたそうだ。

「それだったら、余っただろう」と言うと、「ええ、だから、お母様にお裾分けしてきました」と言った。

 鯛の潮汁も出たが、「これもお裾分けしてきたのか」と訊くと「ええ」と答えた。

「凄いな」と言った。

 

 次の日、安全防犯対策課に行くと、部屋のあちらこちらに防犯安全キャンペーンのキャラクターの募集のポスターが貼られていた。

「これはどうしたんだね」と緑川に訊いた。

「これから、みんなでこのポスターを貼ったり、チラシを配りに行くんです」と答えた。

「私の分はどうなっているんだね」と緑川に訊いた。

「課長は留守番です」と答えた。

「そうなのか」

「ええ。誰か留守番がいないと困るでしょう」と緑川が言った。

「それもそうだね」と僕は応えた。

「では、行ってきます」と緑川を先頭にメンバー全員が、安全防犯対策課を出て行った。

 後に残ったのは、僕一人だった。

 そこに携帯に電話がかかってきた。

 岸田信子からだった。

「お仕事中に済みません。岸田です。少しお話があるんですがいいですか」と言った。

「今、暇なので構いませんよ」と答えた。

「実は弟のことでご相談したいことがあるんです」と言った。

 岸田は僕と会って話したかったようだが、「どうぞ、お話しになってください」と言った。

「今、話していても構いませんか」

「ええ、この部屋には私一人しかいませんから、大丈夫です」と言った。

「弟が結婚詐欺にあっているんじゃないかと思って、ご相談したんです」と言った。

「結婚詐欺ですか」

「はい」

「相手は誰ですか」と訊いた。

「峰岸康子さんです」と言った。

「弟さんとは最近、付き合い始めたんですか」と訊いた。

「ええ、三ヶ月前です」と岸田は言った。

「それで何か具体的な金銭の要求があったんですか」と訊いた。

「はい。最近、峰岸康子さんのお母さんが肝臓癌になられたそうで、入院や治療費に二百万円いるって言われたそうなんです。でも、彼女の家にはそんなお金がないので、弟に相談したようなのです」と言った。

「いつまでにそのお金はいるって言うんですか」と訊いた。

「来週の木曜日までだそうです」

「ほぼ一週間後ですね」と言った。

「そうなんです」と岸田は言った。

「聞いていると、典型的な結婚詐欺のような話ですね」と僕は言った。

「そうお思いになるでしょう」と岸田が言った。

「なります」と言った。

「その話が本当かどうか確かめたいんです」と岸田は言った。

「そうでしょうね」と僕は同意した。

「どうしたらいいでしょうか」と岸田は言った。

「そうですね……」と少し考える振りをしてから「その峰岸康子さん本人に会うのが一番でしょうかね」と言った。

「峰岸康子さんに会うんですか」

「ええ、それが一番良いと思いますよ」と言った。

「でも、わたしだけだと心細いんですが」と岸田は言った。

 そう来ますか。

「ご両親はいないんですか」

「ええ、早くに両親とも亡くしました。今は弟だけが身内です」と言った。

 僕は岸田信子の心情を思って可哀想になった。

「だったら、私もお会いしましょうか」と僕は言った。

「そうして頂けますか」と岸田は言った。

 どうせ、こういうことになるんだろうな、と思った。

「でも、いつどこでお会いしましょうか」と岸田が訊いてきた。

「平日は難しいので、この次の土曜日はどうですか」と言った。

「大丈夫です」と岸田は言った。

「峰岸康子さんも連れてきてください」と僕は言った。

「わかりました。どこに行けばいいんでしょう」

「そうですね。美味しいパンケーキでも食べませんか。午後一時に新宿三丁目の****デパートの前ではどうですか」と言った。

「わかりました。午後一時に新宿三丁目の****デパートの前ですね」と繰り返した。

「そうです。それまでは、お金は決して渡してはいけませんよ」と僕は言った。

「弟にはそう言います」と岸田は言った。

「私は峰岸康子さんのことを調べておきます」と言った。

「そうして頂けますか」と岸田は言った。

「任せておいてください。これでも警察官ですから」と言った。

「ああ、思い切って、お話しして良かったです」と岸田は言った。

「そうですか」

「心の荷が下りた気がします」と岸田は言った。

「それは良かった」

「長々とお電話をして、申し訳ありませんでした」と岸田は言った。

「今は暇ですから、お構いなく」と僕は言った。

「では、失礼します」と言って携帯は切れた。