小説「僕が、警察官ですか? 2」

四十

 腕時計を見ると、正午を過ぎたところだった。

 ズボンのひょうたんが震えた。

 あやめが帰って来て「あの後の映像を送ります」と言った。

「少し待ってくれ。これからお弁当を食べるから。食べ終わったら、教えるから、そうしたら、送ってくれ」と言った。

「そうですか。わかりました。取調もお昼休みに入りました」と言った。

「そうか。少し休んでいてくれ」と僕は言った。

 それから、鞄から愛妻弁当と水筒を取り出した。弁当の蓋を開けると、海苔でハートマークが作られていた。その真ん中に梅干しが載っていた。

 僕はハートマークのところから、食べ始めた。そして、水筒から水筒のコップにお茶を注いだ。

 その時、胸ポケットの携帯が震えた。携帯を取ると西森からの電話だった。携帯を耳に当てた。

「鏡警部ですか」と西森が言った。

「そうです」と僕は答えた。

「今、どこにいるんですか」と訊いたので、「西新宿署のラウンジにいます」と答えた。

「そんなところにいたんですか。今、取調が昼の休憩に入ったので、我々も昼食をとるところです」と言った。

「西森さん、良ければ、ラウンジに来ていただけますか。お昼を食べながら詳しいお話が聞きたいものです」

「わたしは忙しいんですよ」

「分かっています。そこをお願いします」と僕は言った。

「わかりました。そちらに行きます。どの辺りにいますか」と訊いた。

「隅の席に座っています」と答えた。

「じゃあ、少し待っていてください」と西森は言って、携帯が切れた。

 僕は西森が来る前にハートマークだけは食べなければ、と思ったが、そうして食べてみると、ハートマークにご飯が残った。それを箸で崩しているところに、カレーライスを持った西森が現れた。そして、僕の前に座った。

 西森は「いつもの愛妻弁当ですか」と言った。僕はそれには何も答えなかった。

「で、取調の方はどうなっていますか」と言った。

 西森は「芦田は黙秘を続けています。しかし、DNA鑑定が出れば、証拠は揃います」と言った。

「DNA鑑定はいつ頃出るのでしょうか」と訊くと、西森はカレーを食べながら、「さぁ、はっきりしたことはわかりませんが、早ければ、明日の午後には鑑定書が届けられるでしょう」と答えた。

「水を持ってきましょうか」と僕が言うと「いや、わたしが行きます」と言って、西森は席を立った。

 僕はひょうたんを叩いて、「あやめ。映像を送ってくれ」と言った。

「はーい」と言う声がして、あやめから映像が送られてきた。お弁当を食べている途中だったが、これから西森が言うことがどこまで信用できるものなのか、確かめたかったのだ。

 いつものように目眩がしたが、すぐに慣れた。

 映像を再生する前に、西森がコップに水を汲んで持ってきた。

「さっきは話の途中でしたが、芦田が黙秘を続けても、鑑定結果が出れば、芦田の動かぬ証拠となります。芦田が自白しなくても、公判維持はできます」と西森は言った。

 映像を再生した。

「もう、一言もしゃべらないからな。それよりも弁護士に会わせてくれ。弁護士に会う権利はあるだろう」と芦田は言った。

「当然ある。だが、今はだめだ。これから、アリバイを確認する。事件当日のアリバイがあるなら、しゃべることだ。アリバイが実証されればその事件については、犯人でないと認めることにしよう」と取調官が言った。

 そして、取調官は第一の犯行の年月日時、場所を言い、その時間どこにいたか、話してくれと言った。もちろん、芦田は答えることができなかったから、黙秘した。

 そして、第二,第三、第四、第五、第六、第七の事件の犯行の年月日時、場所を言い、その時間どこにいたか、話してくれと続けた。

 芦田は黙秘を続け、「弁護士に会わせてくれ」と言い続けた。そのまま午前中の取調は終わった。

「芦田は黙秘を続けているんですね」と僕が訊くと、西森は「そうです」と答えた。

「午後の取調を私にやらせてもらえませんか」と僕が言った。

「何ですって」と西森は言った。

「DNAの鑑定が出れば、動かぬ証拠となるでしょう。そうなれば、この事件の場合、芦田には死刑判決が出ることになるでしょう。裁判員裁判でもそれは変わらないでしょう。七人も殺人を犯しているのですから」と僕は言った。

「当然そうです」

「としたら、芦田に残された道は二つしかありません。まず、証拠がねつ造されたものだと主張すること。これを否定するのは簡単でしょう。だとしたら、もう一つは犯人の責任能力を主張することです。犯行時、犯人が心神喪失心神耗弱の状態だったと主張して、仮にそれが通れば、減刑か無罪判決も出かねません。芦田は今後、それを狙ってくることになるでしょう」と僕は言った。

「そんな主張は通るはずがありません」と西森は言った。

「それは、そうでしょう。しかし、百パーセント通らないとは限りません」と僕は言った。

「…………」

「今なら、他の証拠についても自供させることができるかも知れません。仮に自供しなくても、傍証は取れます。私は芦田については、あなた方よりも遥かによく知っているんです」と言った。

「仮にそうだとしても、あなたに取調をさせる権限はわたしにはありません」と西森は言った。

「捜査一課長に直談判させてください。その機会をください」と僕はお願いした。

 西森はカレーをかきこむように食べると、「捜査一課長なら今、捜査本部の本部席にいるでしょう。午後の取調にあたり、管理官と取調官と話をしているところだと思います」と言った。

「では、連れて行ってください。私からお願いしてみます」と僕は言った。

「無駄だと思いますがね」と西森は言いながら立ち上がり、カレーの食器とコップは返却棚に置いた。

「わたしは連れて行くだけですからね。後はご自分でお願いしてみてください」と言った。

「ありがとうございます」と僕は言った。

 僕は弁当と水筒を鞄にしまうと、鞄を持って、西森の後を追った。西森は階段で八階の大会議場に設けられた捜査本部に入って行った。そうして本部席に向かった。

 本部席には、捜査一課長と管理官と取調官がいて話をしていた。そこに僕が割り込んでいって、「午後の取調は、私にさせてください」と言った。

 捜査一課長も管理官も取調官も僕を見た。

「芦田を自白させることはできませんが、今までに出て来ていない事柄を採り上げて、傍証を取ることはできます」と言った。

「あなたは本件には関わりがないんだ。出ていてもらおう」と取調官が言った。

「私が本件には関わりがないということはないでしょう。私の話で、芦田が特定されたわけだし、私には他にもっと知っている事があります」と僕は言った。

「なら、他で事情聴取するからそこで話せばいい」と取調官は言った。

「でも、直接、芦田にぶっつけた方が効果的だと思いますがね」と僕は、捜査一課長と管理官に向かって言った。

「何か他に知っている事でもあるんですか」と捜査一課長は訊いた。

「ええ、あります」と僕は答えた。

 捜査一課長と管理官は話し合った。

「では、午後一時から三時までの二時間だけ、あなたに取調権を与えましょう。そこで何でもいいから、芦田から引き出してください。それでお引き取りください」と言った。

「分かりました」と僕は言った。

「捜査一課長」と取調官は言った。捜査一課長は「まぁ、まぁ」と取調官をなだめた。