小説「僕が、警察官ですか? 2」

 次の日、定時に出署すると、安全防犯対策課に入った。すでに皆、来ていた。

「おはようございます」と言う声があちらこちらからした。

 緑川が来て「今度の日曜日に行う防犯キャンペーンについて向こうと打ち合わせに行こうと思っていますが、いかがでしょうか」と訊いた。

「いいんじゃないか」と僕は答えた。

「じゃあ、これから黒金幼稚園に電話をします」と言った。

「任せる」と僕は言った。

 僕の頭の中は昨日嗅いだ犯人のヘアリキッドと制汗美容スプレーの匂いで占められていた。何としても今日中にその商品名を突き止めたいと思った。

 しかし、ドラッグストアに行ったとしても、試供品が置いてあれば別だが、普通はそんなものは置いてはいないはずだった。では、どうする。

 デパートが浮かんだ。デパートなら、試供品は置いてあるだろう。しかし、皆、高価な商品に決まっている。あれは、コンビニでも買えるような安物に違いなかった。でも、そうではないかも知れなかった。女性の絞殺を趣味にするような奴だ。妙なところにお金をかけている可能性は否定できなかった。

 

 緑川が「課長」と呼んだ。電話中のようだった。保留ボタンを押して、僕を呼んだのだった。

「黒金幼稚園の園長が今日の午後なら会えるそうです。午後一時過ぎに、鈴木と並木を連れて行こうかと思いますが、どうでしょうか」と言ってきた。

「OKだ。すべて君に任せる」と答えた。

 緑川は保留ボタンを解除した。おそらく、向こうの園長と話をしているのだろう。

 午前十時近くになった。

 僕はデスクから立ち上がり、夏用の背広をハンガーから取ると「ちょっと出かけてくる。昼までには戻る」と言った。

「どこに行くんですか」と並木が訊くので「秘密だ」と答えた。

 そして「急用があったら、携帯に電話してくれ」と言って、安全防犯対策課を出た。

 新宿駅に二箇所、その周辺に二箇所、デパートがあった。

 まず、新宿駅にあるデパートの一つに入った。食料品売り場は非常に混雑していた。しかし、*階にある男性化粧品売場は閑散としていた。

 僕が売場に入って行くと、すぐに中年の女性店員がやってきて、「何をお探しですか」と訊いた。

「ヘアリキッドを」と答えると、「お客様でしたら、これなんかどうでしょうか」とある商品を示した。

「匂いが嗅ぎたいんだけれど」と言うと、四角いコットン風の紙を取り出して、それに染みこませて、「どうでしょう」と差し出した。僕はその紙を取って、匂いを嗅いでみた。

 違っていた。僕は首を左右に振った。

「では、こちらはどうでしょう」

 彼女は別の商品を取り出し、同じように紙に染みこませて、僕に渡した。それも違っていた。

 十種類ほどの商品を試したが、いずれも違っていた。やはり、高級品じゃないのだ。

 しかし、手帳を取り出して、駄目だった商品名とメーカー名は書いた。

「駄目ですか」とその女性は言った。

 僕は「制汗美容スプレーはあるかな」と訊いた。

「ありますよ」と言って、いくつか持ってきた。

「匂いを試せるかな」と訊いた。

「いいですよ」と言って、ヘアリキッドの時とは違って、紙を少し離して、そこにスプレーを吹き付けた。それだけで匂いが漂ってきた。

 これも駄目だろうと思っていた。しかし、三本目の時、その匂いに出会った。

「それだ」と僕は言った。

「これでございますか」と店員は言った。

「ああ、それをいただこう」と言った。

「わかりました。こちらへ」と女性店員はレジに向かった。

 僕はその後をついていった。

 新宿のもう一つのデパートと新宿駅近くのデパートでは収穫はなかった。

 ヘアリキッドの方は、新宿三丁目にあるデパートで見付けた。

「若者向きのものが欲しいんだ」と言った時、僕を見てハッとしたように商品を変えてきた。そして、その一つが昨日嗅いだものに似ていた。後であやめに確認してもらうつもりだった。

 二つの商品を手にした僕は、黒金署に帰って来た。

 お昼を少し過ぎていた。

 

 僕は愛妻弁当を持って、屋上に上がった。しかし、いつもの席は埋まっていた。

 仕方なく、安全防犯対策課に戻り、デスクで弁当を開けた。部屋には誰もいなかった。

 今日は鮭のふりかけでハートマークが書かれていた。慌てて食べることもなく、ゆっくりと、端から食べていった。

 

 午後一時になると全員が安全防犯対策課に戻ってきた。

 そして、すぐに緑川が「これから鈴木と並木を連れて、黒金幼稚園に行ってきます」と言った。

「ああ、よろしく頼む」と僕は応えた。

 

 安全防犯対策課を出て行く三人を見送った後は、僕は絞殺事件に頭を占められた。

 事件現場である西新宿公園と北園公園の映像を見た。

 犯人はどうしていたのだろう。

 そもそも被害者は、偶然、被害者となったのだろうか。

 犯人と被害者の接点は何だろう。

 すぐに思い浮かぶのは、宅配業者だった。宅配業者なら、被害者の自宅も在宅時間も知っている。何よりも、被害者自身と会ってもいる。

 そして、宅配業者なら、何処にいても不自然に思われない。仮に夜に歩いていても誰も気には留めないだろう。何よりも、宅配業者は力が強くなければできなかった。毎日、重い荷物を運んでいるのだ。

 だが、相反する事実がそれを否定する。

 もし宅配業者なら、あのようなヘアリキッドの匂いがするだろうか。そして、制汗美容スプレーの匂いがするだろうか。

 答えは、否だった。もっと汗臭い匂いがしたのに違いない。僕が見た映像からは、宅配業者を思わせるものは感じられなかった。そして、なによりも、同意できないのは、仮に北府中市の三件の連続絞殺事件と今回の二件の連続絞殺事件が同一人物だとしたら、北府中市で宅配業者をしていた者が、この春、新宿区に転居して宅配業に勤めたことになる。そんなことがあるのだろうか。

 それよりも、北府中市の支店なり営業所で働いていた者が、この春、転勤になり、新宿区に来たことの方が遥かに可能性が高い。

 だが、被害者が、偶然、被害者となったというのは考えにくかった。犯人は被害者を選んでいたというのが、より自然だった。

 犯人は、被害者を殺害するよりも前に被害者に出会っていて、その帰宅時間や帰宅路、自宅を把握していた可能性が高い。

 犯行日だけが、犯人によって決められたのに過ぎなかったのではないのか。

 水曜日と決めていても、雨の日もあるし、被害者がいつも通りに帰るとは限らなかった。だとしたら、尾行したのだろうか。しかし、それはなかった。尾行していたとしたら、防犯カメラに写ってしまう。そんな危険を犯人がするはずがなかった。

 駅を出るところを見付ければ、公園を通るおおよその時間は分かる。だから、先回りをすることも可能だろう。しかし、その時間は僅か十五分足らずの間に作り出さなければならなかった。

 車。いや、北府中市ならともかく、新宿では駅前に車は止められない。車はあり得なかった。とすると……。

 自転車。

 自転車ならどうだろう。新宿でも違法駐輪ならどこでも行われている。夜間は違法駐輪した自転車の撤去はないか、少ない。駅前に短時間なら止めることも可能だ。

 顔を上げて、滝沢を呼んだ。

 滝沢がデスクの前に来た。

「西新宿公園と北園公園の絞殺事件についてなんだが、コンビニの録画ビデオは見られるかな」と訊いた。

「資料として、コンピュータに取り込んであれば、見られると思います」と言った。

「取り出してくれないか」と頼んだ。

「わたしの権限では……」と滝沢は言った。

 僕はデスクから立ち上がり、「私の権限でやってくれ」と言った。

「わかりました」と滝沢は言って、僕の椅子に座った。