小説「僕が、剣道ですか? 1」

三十一

 六曜に一度の、相川と佐々木の稽古も、一と十五の日の堤道場を訪れるのも変わりなく、冬を迎え、中頃になってきた。十一月には、選抜試験があるというので、道場の門弟も気合いが入っていたし、一と十五の日に訪れる堤道場の稽古の気合いの声も荒々しさを増した。堤道場の門弟もいつの間にか百五十人を超えていた。

「おたえさんも大変ではありませんか」

 十五の日にたえと町を歩きながら話した。

「いいえ、洗濯は門弟の人がやってくれるので助かります。それに道場が栄えたことで、町人の門人も増え、稽古料も増えたのです」

「町人の門人も、選抜試験を受けるんですか」

「いいえ、彼らはただ剣が習いたいだけのようです」

「そうですか」

 川端を歩いた時は、少し風が強まり、たえも近付いて歩いた。帰りがけに突然、つむじ風が吹き、巻き込まれた。その時は、僕はたえを抱き寄せ、風を避けた。風が通り過ぎていってからも、たえはなかなか離れようとはしなかった。

「風はいたずらものですね」と僕が言うと、「いたずらにもいろいろありますから」とたえは答えた。

 たえを道場に送り、僕は帰った。

 

 次の日だった。佐竹が午前中に戻ってきた。

 僕も呼ばれて、島田源太郎と佐竹から話を聞いた。

 佐竹の話によれば、昨日の夕餉の席で、藩主の弟である綱秀が食中毒を起こされたと言うのだ。夕餉に出された茸が原因らしいが詳しいことはわかっていないようだ。

 綱秀の症状は重く床に就かれたままだと言う。

 僕はやられたと思った。

 狙われているのは、てっきり家老の島田源之助だとばかり思っていたのだ。だが、今の藩主の養子となる綱秀が亡くなるか不治の病にかかれば、当然、側女の長男、勇が跡目を継ぐことになる。まだ二歳である。二歳といえば、現代では一歳の赤ん坊である。その者の後見人が藩政を取り仕切ることは目に見えていた。

 綱秀様の容態は、一両日がもっとも危険で、それが過ぎれば四、五日すれば回復に向かうという御殿医の見立てであった。

 島田源太郎は、佐竹をまたお城に戻し、夕餉までに様子を見てくるように言った。

 

 僕は落ち着かなくなり、座敷に行って、床の間から真剣を取り、庭に出て素振りを繰り返した。

 昼餉もとらず、あっという間に午後三時になった。

 きくが水の入った桶と手ぬぐいとお茶を用意していた。僕が素振りをしているのをずっと見ていたようだったが、僕は気付かなかった。

 僕は素振りを止めて、刀を鞘に収めると、まずお茶を飲んだ。

 それから上半身裸になった。躰から湯気が出ていた。手ぬぐいで何度も躰を拭いたが、汗はなかなか引かなかった。僕はきくに中年の女中に作らせた肌着を持ってこさせて、それを着、着物は着替えた。着物を着替える時にトランクスも穿き替えた。

 道場に行き、門弟のいなくなった所で、相川と佐々木に、次の選抜試験をどうやるか相談した。

 まず、いつ行うのか。その告知をどう行うのか。

 前回は四十の席を争うのに、二百三十四人が来た。今回は、相川と佐々木を除く、鏡道場の者五十八人も選抜試験をするので、単純に計算しても二百九十二人になるが、おそらくもっと多くの数の者が集まる可能性が高い。

 まず、いつであるが、来月中旬に行うことにした。畑仕事も一段落した頃だろうし、雪もまだ降ってこない頃だからである。

 どう告知するかは、門弟の口伝えに任せることにした。堤道場には、相川と佐々木が稽古に行った際に伝えることで話は付いた。

 

 風呂に入り、夕餉の席では、佐竹から綱秀の容態を訊いたが、予断を許さない状態のようだった。

 布団に入ると、きくは「どうなるのでしょう」と訊いたが、「分からん」としか答えられなかった。

 

 綱秀は危機を脱し、回復状態にあると佐竹は伝えてきた。しかし、相手は非常手段に訴えてきた。もはや、油断できない状態であるのは事実だった。次に何を仕掛けてくるのか、全く分からなかった。だが、相手はもう容赦する気がないのは明白だった。どこかでぶつからざるを得なくなっていた。

 

 一の日が来て、僕は堤道場に行った。今月十五の日を過ぎたら、選抜試験が始まる。道場はいつにも増して活気づいていた。

「道場の方は活気づいているようですね」と僕はたえに言った。

 僕は裏庭から座敷に上がり、お茶を飲んでいた。外は寒くなり、出歩いてまた風にいたずらされるのを、僕が避けたのだった。

「ええ。この頃は、皆、殺気立っているようですわ」

「そんなにですか」

「選抜試験をなんとしても通りたいんでしょうね」

「でも、そうすると、この道場の優秀な人たちは、私の道場の方に来てしまいますよ」

「それでいいんです。ここは一から剣道を教えるところ。鏡様のところは強くなるところ。それでいいじゃあ、ありませんか」

 僕は堤道場がまるで予備校のようだな、と思った。とすれば家老の屋敷の道場は、東都大学か。

「そんなもんですか。でも、盛況ですね」

「ええ、鏡様のおかげです」

「ここの門弟全員が選抜試験を受けるというのでは、ありませんよね」

「ええ、ただ剣術を習いに来ている者もいますから、全部ではありません。この次、いらした時に、父から聞いてお教えしますわ」

「そうして頂くとありがたい。何しろ、どれだけ受けに来るのか分からないものですから、おおよその数が掴めれば、用意もできるというものです」

「選抜試験は何日かかるのですか」

「人数によります。少なければ四日で済むでしょうが、多ければ六日ぐらいは掛かるでしょう。こればかりは分かりません」

「そうなんですね。でも、選抜試験があるおかげで、門弟にも励みができて、稽古にも熱が入りますから、助かってます」

「それならばいいですが、選抜試験に落ちた者がどっと押し寄せては来ませんか」

「それならば、うちにとって願ったり叶ったりですわ」

 次の十五にまた来ることを約束して、堤道場を出た。