小説「僕が、剣道ですか? 1」

 朝餉の後、庭で木刀を振るっていると、迎えの若い者が来て、道場に連れられていった。僕はすっかり道場主の待遇だった。昨日は三十人ばかりだったのが、今日は増えて、倍の人数に膨れ上がっていた。当然、道場には全員入って座ることができなかった。十人ばかりの若い者たちが道場外に押し出されて、年長の者が道場に座り込んでいた。

「昨日、稽古に来なかった者たちは、これからやろうとしているのが分からないだろうから、まず昨日と同じことをしよう」

 僕はそう言うと、五人一組にさせて木刀を持って打ってくるように言った。

 僕も木刀を持った。

 最初の五人は昨日の若者たちとは違って、少しは剣の心得があるようで、それぞれ構えに腰が据わっていた。初めから円になり、僕を取り囲むようにした。僕は、誰が最初に打ち込んでくるのかに集中した。さすがにすぐには打ち込んでこなかった。昨日の話が伝わっているからだろう。誰にも警戒の色が浮かんでいた。輪の幅は一向に縮まらなかった。そこで僕はフェイントをかけた。前に踏み出すと見せて、後ろに回った二人の小手を打った。そして、横の二人を突きで倒して、前の一人は胴を払った。軽く打ったつもりだったが、昨日よりは少し力が入ってしまっていたのだろう。打たれた方は苦しそうに痛がった。

 今の光景を見ていた次の五人は、明らかに腰が引けていた。この五人を打ち倒すのは容易だった。

 こうして新たに加わった三十人ほどを加えた全員打ち倒して、外にいた者も道場内に入れて立たせて、僕は言った。

「戦うということはこういうことだ。いくら道場で腕を磨いても、実戦では役に立たない。剣さばきは華麗である必要はない。泥臭くてもいいから、確実に相手に食らいつくことだ」

 そう言った後、僕は道場の中央に座った。

「碁盤はあるか」と訊いた。

「屋敷の方に」と誰かが言った。

 そして、そう言った者が取りに行った。戻ってくると、僕は自分の前に碁盤を置き、白石を天元に置き、その周りに五個の黒石を置いた。

「実戦においては、一対一の戦いは、果たし合いのような場合のみだ。このように一人を数人で囲んで戦うのが基本だ」

 僕は新撰組が倒幕の志士たちを一人一人暗殺していった手法を思い出していた。彼らは、相手より必ず多い人数で、集団で敵を囲んで確実に仕留めていったのだった。

「だが、君たちは私に対して、このような陣形で戦ったのに、私を討ち果たすことはできなかった。何故だと思う」

 皆が首を傾げた。その後で、誰かが「先生が強すぎるんですよ」と言った。それには「そうだ」、「そうだ」と言って、頷く者が多かった。

「確かに力の差はあるが、五対一で楽に勝てるほどの差ではなかった」

「そんなことを言っても、実際に先生は全員を倒したじゃないですか」

「そうだ」

「だったら、五対一以上の力の差があったということですよね」

「そう思うか」

「思いますよ。実際に、昨日は七対一でも勝てませんでした」

「それは戦う人数が問題じゃないからだということを教えたかったからだ」

「どういうことですか」

 僕は中央の白石を持って、「この者を打ち倒そうと全員が思っていなければ、五人いても同じことだと言いたいんだ」

「でも、昨日も今日も、みんなで先生を打ち倒したいと思っていましたよ」と誰かが言った。

「それはそうだろう。一人一人はね」

「どういう意味ですか」

 今度は僕は五つの黒い石を集めて、「この五人の意思が一つにならなければ勝てない」と言った。

「五人の意思が一つになるということは、本気で五人で相手を倒そうと思うことなんだ。一人一人ではなくて」

「やっぱり意味がわかりません」

「そうだろうな。今度、試してみればその意味が分かる。私が稽古を付ける時に、打たれた者は下がるように言ったよね。それはこれだけの人数を相手にするのだから、それだけのハンディ、いや実力差を埋めるための調整をする必要があったというわけだ」

「先生、実力差を埋めるためなら、五対一や七対一で戦ったじゃないですか」

「あんなものは実力差を埋めるための調整にはならないよ」

「そんな、馬鹿な話がありますか」

「実際に五対一や七対一で戦っても、私を打ち負かすことはできなかったよね。それが実力差を埋めるための調整にはなっていなかったことを示している」

 道場内は響めいた。

「では、どうすれば実力差を埋めることができるんですか」

 一番の年長の者が訊いた。

「世に、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、という諺があるのを知っているか」

 最初は誰も声を上げなかった。ここには知っている者はいないのか、それとも言葉が使われた時代を間違えたのかと思った時に、誰かが「自分の身を捨てる覚悟で、物事にあたることで、窮地を脱して物事を成就することができるという意味ですよね」と言った。

「そうだ」

 僕はホッとした。

「自分の身を捨てる覚悟というのは、この稽古の場合、自分が切られた時のことを言う。私はそうしたら下がるように言ったが、実戦ではそれでは意味がない。切られたからと言って逃げ出したのではどうにもならない。切られたということは、相手の間合いの中に入ったことを意味する。もし、そこで、息絶えていなければ、どこでもいい、相手を掴むことだ。それで相手の動きは制限される。相手はもう一度、掴んだ者の息の根を止めに来るかも知れない。それが身を捨てるということだ。相手が息の根を止めに来たら、必ずそこに相手の隙ができる。その時に、相手に切りつけるのだ。相手は息の根を止めようとしている者に動きを止められているから、次に向かう者はより一層、間合いを詰められる。もし、その者が切られても、必ず相手を押さえるんだ。そうしていけば、必ず相手を仕留める機会が来る」

 皆は「なるほど」と言った。

「では実戦でそれを試してみよう」

 僕は腕の立ちそうな五人を選んだ。

「私は君たちを軽く叩く。今まではそれで負けだったが、今回は叩かれても向かってきていい。私の動きを封じるのだ。そして、誰かが私を打ったら私の負けだ」

 五人は「おぅ」と言って、僕の周りを取り囲んだ。

 すでに気合いがさっきとは違っていた。五人は息を揃えたように間合いを詰めてきた。そして、木刀の切っ先が当たるぐらいになるまで来ると、正面にいた者が真っ先に切りつけてきた。同時に背後の者も木刀を突きつけてきた。正面にいた者の小手を叩いたが、その者はそのまま突進してきた。背後の者の木刀を避けようとして左に跳んだ時に、今度はその左から木刀が突き出されてきた。胸の前をかすっていた。それを避けている間に正面の小手を打った男に右足を掴まれた。左の男の肩を木刀で叩いたが、彼はそのまま抱きついてきた。これはかわせなかった。一人に右足を掴まれ、もう一人に左から腰のあたりを抱きかかえられては、動きが取れなくなった。躰をひねって、もう一人の正面からの男の頭を叩いたが、彼もそのまま倒れ込んできた。右から来た者の肩に木刀を浴びせるのが精一杯だった。僕は四人に捕まってしまった。最後に残っていた一人に頭を軽く叩かれた。

 彼らは「やったぁー」と言って飛び上がって喜んだ。

「百聞は一見にしかずだろ」と言ったが、この言葉の意味が分かった者がどれほどいただろうか。まだ、学問が浸透していた頃ではなかったのだ。仮に言葉の意味が分からなかったにしても、言わんとしたことは伝わったのに違いない。そう思いたかった。

 

 風呂に入って、夕餉の場に臨んだ。

「今日も稽古を付けてくれたそうだね」と島田源太郎が言った。

「大したことはしていません」

「もう謙遜はいい。藩士の評判はすこぶるいい。明日も頼んだよ。近く、盗賊の討伐に向かうので、少しでも強くしてもらうと心強い」

「そうですか」

 僕はお茶漬けを食べ終わると、もう少し食べようとしたが、昨日のてんこ盛りがちらついたので茶碗を膳に置いた。

 

 夜になった。

 いつものように僕が布団に入ると若い女が入ってきて、行灯の火を消した。そして着物を脱いで僕の隣に寝た。そして僕に抱きついてきた。

 今日は何故か眠くはならなかった。昼間の稽古が楽だったせいだろう。

 僕はどうせ夢なのだから、と思い、彼女にキスをした。すると彼女は一瞬、驚いたようだった。キスをしたことがなかったのかも知れなかった。彼女の股間を触ると濡れていたので、僕は自分のものを押し込んだ。彼女は「うっ」と小さく言うと眉間に皺を寄せた。僕は、童貞を夢で失うとは思わなかった。いや、まだ失ってはいない。これは夢なのだから、と思い直した。しばらく動いている内に射精した。躰を離した時に、彼女の内ももを血が流れているのが夜目でも見えた。彼女は自分の着物と一緒に持ってきた手ぬぐいでその血を拭った。僕の太腿も拭うと、座敷から出て行った。しばらくして戻ってくると、濡れた手ぬぐいで、もう一度僕の太腿と一物を拭いた。そして手ぬぐいを着物の側に置くと、再び布団の中に入ってきた。彼女は僕を抱き締めて、嬉しそうにしていた。