小説「真理の微笑 夏美編」

十一

 週刊誌の続報は、「富岡修さんのDNAを追え」だった。やはりフリージャーナリストの近藤の記事だった。

 近藤の論旨は単純だった。茅野の自動車事故で顔面がわからなくなるほど損傷を負った男がいて、その男が最新医療の技術で、車の所有者と同じ顔に整形された事。車を運転していた者が、車の所有者とは限らない事。もし、車を運転していた者が車の所有者であれば、その整形された男のDNAを調べれば、自動車の所有者本人かどうか簡単にわかるはずであるという論調であった。簡単に言えば、現在の富岡修のDNAを鑑定しろ、と主張しているのであった。つまり、自動車事故を起こす前と後との富岡修のDNAを調べれば、現在の富岡修が整形する前の富岡修と同じかどうかわかるではないか、と書いているのであった。

 論旨が単純明快だけに、この記事に取材陣は飛びついた。

 富岡修邸を囲む取材陣は、夏美の実家に張り込んでいる取材陣より多くなった。そして、週刊誌を賑わしたのは、真理子の美貌だった。女優に引けを取らないその美貌は、格好の被写体だった。特に彼女の愛車の真っ赤なポルシェに乗る彼女は、目線こそ隠されてはいたものの週刊誌のカラーページに載るほどだった。

 テレビのワイドショーは車椅子に乗る富岡修本人よりも、その車椅子を押す真理子の映像を派手に流した。富岡修も真理子もサングラスをしていたので、テレビの映像ではそのままで流された。

 夏美にもテレビをつければ、当然、その映像が目に飛び込んできた。そこで見る真理子の美しさには溜息が出るほどだった。ほどなく、夏美はテレビを消した。

 テレビは、意図的なのかどうかわからないが、何故これほどの大騒ぎをしているのかを、明確にはしていなかった。近藤が書いた記事の論旨を報じているところもあったが、それが何を意味するのかについては、敢えてぼかしているとしか思えなかった。

 もし、富岡修のDNAが自動車事故の前後で違えば、現在の富岡修は誰かという事になる。誰も言わないが、それは高瀬隆一以外には考えられなかった。その事について、突き詰めて議論するワイドショーはなかった。

 逆に、形成医師をコメンテーターに呼んだワイドショーでは、現在の医療技術で顔が判別できなくなるほど損傷を受けた場合、元の顔に形成する事が可能かという事が訊かれたりしていた。その形成医師は最近の医療雑誌に、某大学病院で実際にそのようなケースで世界でも初となる形成外科手術に成功した例が掲載されていることを紹介していた。

 

 翌週に入ると、近藤の記事を掲載していた週刊誌は、いよいよ何故、富岡修のDNAを鑑定する必要があるのかについて追撃の報道をしてきた。

 長野県警の関係者の話として書かれていたが、その内容は次のようなものだった。

 昨年九月に蓼科で半ば白骨化した死体が発見された。その死体が捜索願が出されていた高瀬隆一さんのものであるかどうか、昨年十月に高瀬さんの残していた物から採取したDNAと発見された死体のDNAを検査したところ不一致だったという事だった。

 すでに茅野の駐車場に高瀬隆一の車が残されている事がわかっているので、それでは高瀬隆一はどこにいったのか、という疑問が残される事になる。

 近藤の記事は、ずばり現在の富岡修が高瀬隆一ではないか、と指摘していた。それには周辺の人物への取材の積み重ねがあって、それを総括すれば、以前の富岡修と比べると現在の富岡の方が優しく丸くなったという事に尽きた。

 そして、近藤は記事のラストに「ぜひ、現在の富岡修氏と自動車事故を起こす以前の同氏のDNAを照合して欲しい。そうすれば全てがわかるだろう。」と結んでいた。

 近藤の記事を受けて、各ワイドショーの論調も富岡修さんのDNAを調べろ、というように統一されてきた。