小説「僕が、剣道ですか? 2」

三十九-2

 家老屋敷に戻ってくると、道場に行き、相川、佐々木、落合、長崎、島村、沢田を呼んで後を託した。
「先生はどこかに行かれるんですか」
「ああ、前のようにな」
「この前のようにですか」
「そうだ」
「あの時は困ったよな」
「そうだろうな」
「でも、なんとかなります。先生が戻られるまで、しっかり道場を守っています」
「そうしてくれ」
 もう戻ることはないとは言えなかった。

 風呂に入った。きくは何も言わず背中を流した。流しているうちに泣き出した。
「もう、こうしてお背中を流すこともないんですね」
「そうだな」

 夕餉の席では、僕はそれとなく、今までのご恩に感謝の言葉を述べていた。
「何を急に言い出すんだ」と家老の嫡男が言った。
「いや、いつも思っていることなので」と僕は言葉を濁した。

 座敷に戻ると、きくは僕が着てきていた物を用意していた。
 僕は着物を脱ぎ、上の肌着を着て、厚手のシャツを着た。そしてジーパンを穿いてベルトを締めた。それからオーバーを着た。
 側にあった巾着はきくに渡して、本差を手にした。
 きくはきちんと正装をしていた。見送るための装束だったのだろう。ききょうも寒くないように包まれていた。
 僕は靴下とシューズを履いた。
 屋敷の門番に言って、脇の戸を開けてもらい、そこから外に出た。きくとききょうも一緒だった。
 そして、野原の方に向かって歩き出した。その後をきくがついてきた。
 空は俄に雷雲が立ちこめてきた。
「きく、お別れだ」と叫んだ。
「はい」ときくは言った。
 きくは少し離れて立っていた。
「もう少し離れていろ」
「はい」ときくは言った。
 その時、豪雨が降ってきた。
 きくもききょうも僕もびしょ濡れになった。
 頭上に稲光を伴った雷雲がやってきた。
「きく、楽しかった。お前に会えて良かった」
「わたしもです」ときくは言った。
「きく、もっとずっと一緒にいたかった」
「わたしもです」
「もう行く時間だ」
 僕はそう言うと、本差の鞘から刀を抜いて空に突き上げた。
 僕は天を見ていた。
 刀の先に神経を集中させた。そうすれば、雷が落ちてくると信じていた。
 頭上の雲が、光り、龍のような雷が落ちてきた。
 凄い圧力が僕にかかった。
 その時、上を見ていた視線が下を向いた。
 すぐ近くにきくがいた。
「馬鹿、離れろ」と僕は叫んだ。
 しかし、僕を通過した雷は側にいたきくたちも巻き込んだ。
 光の渦の中に僕たちはいた。
 きくとききょうの躰から魂が抜け出ようとしていた。このままでは、きくとききょうはこの過去の世界に取り残される。そうなれば、この野原に意識不明の状態で置き去りになる。僕は現代にいるからこそ意識不明の状態でも生きていられるのだ。しかし、こんな過去の時代だ。意識不明の者が取り残されて生き残れるわけがなかった。
 僕は、激しい光の中をきくとききょうの所に何とか行き、その躰をしっかりと抱いた。そして、魂が抜け出ないように魂をその躰に押し込み、押さえつけた。そして、一緒に光の渦に入り込んでいった。
 過去を通り抜けたようだった。きくとききょうの魂はその躰に残った。
 しかし、次の瞬間、また新しい光の渦が襲ってきて、僕の手からきくとききょうを離し、奪っていった。
 きく。
 ききょう。
 僕は叫んだ。