小説「僕が、剣道ですか? 2」

三十四
 黒亀城には夕刻着いた。
 すぐに城主の滝川劍持に、お目通りをし挨拶をした。
「よく来てくれた。待っておったぞ」と滝川劍持は言った。
 家老からは「さあさあ、旅の疲れも湯でも浴びて癒やしてくだされ」と言われ、湯屋に案内された。
 湯で躰を洗った後は、宴の席が設けられていた。
 僕ら三人は丁重なおもてなしを受けた。
 滝川劍持は、早速、山賊成敗の話を聞きたがった。
 番頭の中島も近藤も急かした。
 僕は何度目かになる山賊成敗の話をした。
「して、山賊の数は何人だと言われたかな」
「百六十二人です」
「ほぅ、百六十二人だそうじゃ」
「そりゃ、凄い」と言う声がどこからともなく聞こえてきた。
 滝川劍持は、明らかにこの話を信じてはいないようだった。
 確かに、一人で百六十二人も倒したなどという話は俄には信じられないだろう。
 だから、子どもたちや女の手も借りたことも話した。だが、それが余計、現実味をなくしていた。恐怖に怯えている女、子どもがそこまで協力できるものなのか、という既成概念から抜けきれないのだ。
「この中に百六十二人を相手に戦える者がおるか」
 滝川劍持は叫ぶように言った。
 誰も名乗り出る者はいなかった。
「氷室隆太郎、お前はどうじゃ」
 黒亀藩御指南役の氷室隆太郎は「私にも不可能でございます」と答えた。
「四国随一と言われておるお前にしてもそうか。ならば、今の鏡殿の話をどう聞く」
「わかりませぬ」
「わからんだと」
「はい。わかりません」
「どういうことだ」
「そんなことができるとは信じられぬからです」
「この者の申すことが嘘だと言うのか」
「そう言っているわけではありません。信じられないと言っているだけです」
「あのう、私は一度に倒したと言っているのではありません。最初は五十七人。次は二十人ほど。次は……」
「それは、もう良い。わかっている。そうだとしても、同じことだよな、氷室隆太郎」
「はい、仰せの通りです」
「一斬りで百六十二人倒せないのだとしたら、一昼夜かかろうが二日かかろうが、同じことだ。違うか、氷室」
「その通りでございます」
「と言うわけだ、鏡殿」
「私が偽りを申していると言われるのですか」
「氷室の言うように、信じられないと言っているだけだ」
「それなら、それで結構です」
 番頭の中島が僕の袖を引いた。
「だが、見てみたいものよのう、その腕を」
 滝川劍持はそう言った。
 もう一度、番頭の中島が僕の袖を引いた。僕は何も答えなかった。
「我が藩には二十人槍という戦法があってな。槍を持った者が二十人で一人を囲むのじゃ。そして、囲まれた者を一突きにする。これから逃れられる術はない」
 滝川劍持は、妙なことを言い出した。
「だが、これを破った者が一人おる」
 氷室隆太郎の方を見て、「そこにおる氷室だ」と言った。
 滝川劍持は僕の方を見て、「おぬしに二十人槍が破れるかな」と言った。
 番頭の中島が僕の袖を強く引いた。
「無理でしょう」と僕は答えた。
「おかしなことを言われる。百六十二人の山賊を倒した者がたった二十人を相手にできないと申すか」
「状況が違いますから、はい、と答えるしかありません」
「そうか、すると百六十二人を倒したという話も嘘であったということでいいのだな」
「私は構いませんが」と言うと、番頭の中島と近藤は「それは困ります」と言った。
「ほぅ」と滝川劍持は言った。
「それでは、うちの殿が嘘の話を吹聴していると思われるではありませんか」と中島が言った。
「そうではないのか」
「違います」と中島と近藤が声を揃えた。
「でも、この者は二十人槍を破れぬと申したぞ。二十人槍を破れぬ者に百六十二人の山賊が倒せるはずがないではないか。それにこの者は、百六十二人を倒したという話も嘘であったということでいいのだな、という私の問いに、私は構いませんが、と答えたのだぞ」
「それはこの者の謙遜です」と中島は言った。
「そうなのか」と滝川が言った。
「どうとでもお考えください」と僕は言った。
「気に入らんな」
 滝川は苛立った。
「謙遜なのか、本当なのか、はっきりさせたい」
 そう滝川は言い出した。
「明日、二十人槍と立ち会ってもらいたい。どうかな、鏡殿」
 中島は僕の袖を引っ張ったが、僕は「ご随意に」と言っていた。
「そうか、立ち会うと言うのか。そうか、そうか」
 滝川は満足げに言った。

 床に就くと、中島も近藤も「何てことを約束されたのだ」と言った。
「あの二十人槍だぞ」と中島が言った。
 近藤も「黒亀藩の二十人槍は天下に名を馳せているんだぞ。わかっておるのか」と言った。
「でも、あの成り行きではしょうがないではありませんか」
「うーむ」
「あのままでは、我が殿が大ぼら吹きということにされてしまいかねませんでしたよ」
「それもそうだが」
「滝川様は何が何でも、私と二十人槍とを立ち会わせたかったのです。それだけの話です」
「おぬし、よく平気でいられるな。二十人槍とは、その名の通り、周りを二十人の槍部隊に囲まれるんだぞ。逃げ場はない。どうする気だ」
「その場になって考えますよ」
 中島も近藤も呆れたような顔をした。
「しかし、こんなことになるとはなあ」と中島が近藤に言った。
「隣の藩ですからね。ことは大きくしたくないですよね」と近藤が言った。
「全くだ。だが、事態は悪い方に転がっている」
「本当にそうですね」
「鏡殿に負傷でもされたら、私たちは減俸ものですよ」
「それで済めばいいがな」と中島が言うと、「お役御免は、願い下げですよ」と近藤が言った。
「お二人とも、もう寝ましょうよ」と僕が言った。
「おぬしは気楽だな」と中島が言った。
「考えてもしょうがないでしょう」
「それはそうだな」と中島が言った。
「さぁ、早く、寝ましょう」