小説「僕が、警察官ですか? 5」


 西新宿署に戻ると、僕は昼食を摂ったが、杉山は令状の交付に裁判所に電話をかけていた。今日のうちに交付してもらえることになった。
 僕は和歌山県警に電話をして、そちらに向かうことを伝えた。その後で、北部署に電話をし、明日、午後一時四十七分着北部着のJR紀勢本線紀伊田辺行で行くので、覆面パトカーで迎えに来て欲しい旨と、北部から、直接、秋山祐司の実家に行くことを伝えた。
 新宿から北部までのルートは、午前八時四分にJR山手線に乗り、品川で降り、午前八時二十四分発のJR新幹線のぞみ十七号で新大阪に午前十一時三分に着く。そこからJR特急くろしお九号・白浜行に乗り、御坊に午前十二時五十七分に着く。そして、御坊から午後一時六分にJR紀勢本線紀伊田辺行に乗り、午後一時四十七分に北部に着く。
 杉山とは新宿駅南口改札付近で午前七時五十分に待ち合わせることにした。
 杉山には、令状をちゃんと持って来るように言った。
 その打ち合わせが済むと、午後はすることがなかった。
 退署時間になったので、僕は未解決事件捜査課を出て、家に帰った。

 家では、きくと京二郎が迎えてくれた。京二郎はニコニコと笑っていた。
 きくは「この子、人が来ると笑うんですよ」と言った。
「いいことじゃないか。きく、明日、和歌山まで出張する。一泊するので、用意をしておいて欲しい」と言った。
「わかりました」ときくは応えた。

 次の日、杉山はジャケットとベージュのパンツルックで来た。
「おはようございます」と杉山は言った。
「おはよう。令状持って来ているな」と僕は確認した。
「はい。持っています」と杉山は答えた。
「じゃあ、行くか」と言った。

 お昼に、JR特急くろしお九号内で、新大阪で買った駅弁を食べた。きくの弁当の方がよほど美味しかった。
 列車の旅は順調で、午後一時四十七分に北部に着いた。改札口を出ると、中年の刑事二人が出迎えてくれた。
「今日はよろしくお願いします。私は鏡京介です。こちらは杉山照美巡査です」と僕が言うと、「こちらこそ、よろしくお願いします」と二人が同時に言った。杉山は笑いをかみ殺して、笑顔で返した。
 二人は上川勇治と下山貞夫と名乗った。
 荷物は覆面パトカーのトランクに入れて、僕らは後部座席に乗った。
「秋山のところでしたよね」と上川が言った。
「そうです。秋山祐司のところへお願いします」と僕は言った。
「じゃあ、行きましょう」と下山が言った。
 広い道路を通った後は、勾配のある山道に入った。
 周りは一面、ミカン畑だった。青々としたミカンの木々の葉が、強い陽の光に照らされていた。
 秋山祐司の実家は、山を上がった平らな所にあった。
 僕らが車から降りると、秋山祐司の父孝司が出て来た。
「今日は東京から刑事さんを連れてきました。息子さんに話が聞きたいそうだから頼みます」と上川が言った。

 居間に通された。僕らが座ると。秋山孝司がお茶を運んできた。
「妻には去年、先立たれましてね」と孝司は言った。
 お茶を置くと、祐司を呼びに行った。
 祐司は廊下からふらりと現れた。痩せ型の百七十センチほどの背丈だった。顔色が良くなかった。
「初めまして」とちょこんと頭を下げて座った。
「初めまして。私は鏡と言います。君に訊きたいことがあるんだ」と言った。
 その時、時間を止めた。
 ズボンのポケットのひょうたんを叩いて、「この男の頭の中を読み取れ」と言った。
「わかりました」とあやめは言った。
 時間を動かした。
 僕は「杉山巡査、君が訊きなさい」と命じた。
「はい」と言った後、秋山祐司に「あなたは三年ほど大学を休学していますね。それはどうしてですか」と訊いた。
「母が病気になり、実家に戻ってきて母の看病をしているうちに、何となく時間が過ぎていったんです」と答えた。父親の孝司が何か言おうとしたが、黙っていた。
「村川由希子さんが刺殺されたことは知っていますか」と杉山は訊いた。
「知っています。学校中の話題になっていましたから」と答えた。
「あなたが休学されたのは、村川由希子さんが刺殺された後でしたよね」と杉山は言った。
「…………」
「何か関係があるんですか」と訊いた。
「さっきも言ったように母の看護のために実家に戻って来たんです。関係ありません」と答えた。

 あやめから秋山祐司の頭の中の映像が送られてきた。
 それによれば、秋山祐司の母の死は心筋梗塞でほとんど突然死だった。だから、秋山祐司が言う『母の看病』はしたことがなかった。
 それよりも、秋山祐司が村川由希子に対する殺害時の映像の方が遥かに強かった。秋山の村川由希子に寄せる執着心は半端なものではなかった。それがあろうことか、村川由希子は友人の竹内良二に心惹かれるようになった。それが堪えられなかった。二ヶ月ほども悶々とした気持ちで過ごした。そして、村川由希子を自分のものにするには、殺すしかないと思い詰めるに至った。
 凶器のナイフは雑貨店で買った。そして、秋山祐司は村川由希子に竹内が旧講堂入口で待っているという嘘を言って呼び出し、刺殺したのだった。
 刺殺した後の秋山祐司は放心状態に陥ったが、それが解けると、現場から逃げ出した。トイレの水道で血の付いた手を洗ったが、いくら洗っても血が落ちる気がしなかった。
 そして、秋山祐司は逃げ帰るように実家に戻ってきた。

「これは関係者全員にお願いしていることなんですが、日常お使いになっているものを提出してくださいますか」と言った。
「何でもいいんですか」と秋山祐司は訊いた。
「ええ、こちらで判断します」と杉山は答えた。
「じゅあ、取ってきます」と言って、秋山祐司は立ち上がって奥の方に行った。
 杉山がこれでいいですか、と言うように僕の方を向いたので、僕は頷いた。
 秋山祐司の戻りが遅かった。
 上川が「やけに遅いな」と言ったところで、表で車のエンジン音がした。
「しまった。逃げられた」と下山が言った。
 僕らは立ち上がって、玄関に向かい、靴を履くと、覆面パトカーに乗った。
 そして、秋山祐司の車を追った。
 二、三分後に秋山祐司の赤いベンツが見えた。
 覆面パトカーはサイレンをつけて鳴らしながら後を追った。
 秋山祐司は速度を落とさずに、公道に出た。そこを百キロを超すスピードで走っていた。
 左手に海が見えてきた。
「この先に何があるんでしょうか」と僕は二人に訊いた。
「さぁ、わかりません。大目津岬というところがあるくらいです」と下山は言った。
「岬ですか……」と僕は言った後、「死ぬつもりかも知れません。急いでください」と言った。
 こちらのスピードメーターは百六十キロに迫っていた。それよりも速く赤いベンツは走っていた。
 距離がじりじりと引き離されていった。そうして三十分も走ったところで、海に突き出ている岬を指して「あれが大目津岬です」と下山は言った。
「あそこに向かっているんですか」と僕が訊くと、「そう思います。あそこは自殺の名所なんですよ」と下山は答えた。
「自殺させるわけにはいかない。何としてでも食い止めなければ」と僕が言うと。運転している上川が「わかっています」と応えた。
 追跡劇は続いた。岬は段々と近くなってきた。
 そして、赤いベンツは岬に入った。続いて覆面パトカーも岬に入った。
 秋山祐司はベンツを降りると、岬に向かって走り出した。
 僕らも後を追いかけた。地面は岩でゴツゴツしていた。
 僕が先を走っていた。秋山祐司との距離は二十メートルぐらいだった。
 もうちょっとだった。僕は走りながら上着を脱いだ。
 だが、僕が追いつく前に、秋山祐司は柵を乗り越えて、岬の先端に立った。
 秋山祐司は振り向いた。僕との距離は十メートルほどだった。
「待て」と僕は叫んだ。しかし、秋山祐司は笑うようにして、岬の先端から海に飛び込んだ。
 僕も迷わず、柵を乗り越えて、岬の先端から海に飛び込んだ。
 そして、時間を止めた。岬の先端から海までは二十メートルほどだった。荒波が岩を削り取っていた。だから、途中で岩にぶつかる心配はなかった。海は深いブルーだった。僕は水中を漕いで、十メートルほど先にいる秋山祐司のズボンのベルトを掴んだ。そして、時間を動かした。息を止めたまま、引きずられるように海に沈んだ。
 そこで時間を止めた。秋山祐司を引っ張り上げようとした。しかし、重力には逆らえなかった。重しでもつけたように動かなかった。僕は一旦、息継ぎで海面に顔を出した。そして、空気を大きく吸い込むと、また秋山祐司のところに戻っていった。ズボンのベルトを掴んだところで、時間を動かした。躰が沈んでいくのが分かった。持ち上げようとしてもどうにもならなかった。
 そうこうしているうちにまた息が苦しくなってきた。僕は時間を止めて、秋山祐司から離れ、海面に顔を出して、息継ぎをした。そして、また潜った。秋山祐司を見つけて、ズボンのベルトを掴んだ。そして、時間を動かした。
 ようやく、潜るのが止まった。そして、浮力がついた。僕は秋山祐司をぐいと押し上げた。僕の躰が反動で沈んだ。秋山祐司が水を飲んだのが分かった。時間を止めた。秋山を引き上げながら、僕は海面を目指した。しかし、海面は遥か上にあった。
 また、秋山を離して、息継ぎのために海面に出た。後五メートルぐらいだった。僕は息を吸い込むと、秋山のところに戻った。時間を止めたまま、秋山を押し上げた。そうやって、何とか海面まで辿り着いた。僕は時間を動かした。
 しかし、足場がなかった。秋山を岩場に押しつけて、足場を探した。少し先に岩場があった。そこまで行くしかなかった。
 秋山を抱いて泳ぐのは、大変だった。それでも何とか岩場に辿り着いた。僕が先に上がって、秋山を引きずり上げた。
 幸い秋山は水を飲んだだけだった。鼓動はしっかりとしていた。
 そのうち、上から「おーい」と言う声が聞こえてきた。
 僕は手を振った。
「大丈夫か」
「大丈夫です。それより、ここから吊り上げてください」と言った。
「今、救急隊を呼びます」と下山が言った。
「念のために、救急車も」と僕は言った。
「わかっています」と下山は言った。

 それから一時間かかって、僕らは救出された。