小説「僕が、剣道ですか? 7」

二十四
 午前中だけということで、インターハイまで仕方なく部活には出た。午後からは、きくの勉強をみる機会が増えた。いわばきくの家庭教師をやっているようなものだった。
 小学校で教える内容については、実生活に役立つものを選んだ。漢字も覚えさせる優先順位を付けた。とにかく日常で使われるものから覚えさせることにした。
 算数は、足し算、引き算、かけ算、割り算ができれば良しとした。
 後はお金の計算だった。これは、教科書にはあまり出ていないので、僕が問題集のような物を作った。
 それらをきくに繰り返しやらせた。
 きくは僕と関わる時間が増えたので、単純に喜んだ。
 そして、僕は三日に一度、テストをした。問題を作るのも大変だと思った。
 きくは大体六十点から七十点ぐらいだった。漢字は、点や棒が抜けているのが多く、算数は割り算が苦手だった。お金の計算は、釣り銭の数がもっとも少なくなるようにするにはどうしたらいいか、という問題ができなかった。例えば、百四十二円持っていて、七十二円の物を買うとき、いくら渡すか、という問題で、百二十二円渡すという正解が出せない。そうすれば、五十円玉一個お釣りが来るのだが、きくは百円と書いてしまう。それでは釣り銭を二十八円もらうことになるが、それでもいいではないですか、というのがきくの考えだった。

 そうこうしているうちにインターハイになった。
 他の県から来た人たちは、貸切りバスで来るが、僕らは現地集合だった。
 といっても、戦うのは僕一人だが、監督に他の部員全員と女子応援団が来た。沙由理は夏風邪だそうで、行けない、とメールが来た。正直、沙由理が来ないことに僕はホッとした。
 二日目の午後から男子個人一回戦が始まる。
 対戦表によれば、決勝まで倉持喜一郎とは当たらない。監督も他の部員もそれを喜んだが、僕は一回戦で奴を負かしたかった。
 僕の隣には富樫がいて、いろいろと世話を焼いてくれた。
 そして、僕の番が来た。竹刀ケースの定国に触れた。その力が手に移ってきた。
 対戦相手が誰かは知らなかった。そんなことどうでも良かった。
 礼をして、線が引いてあるところまで三歩ほど歩み寄った。そして、竹刀を交わしつつ蹲踞の姿勢を取ったところで「始め」の声がかかった。
 立ち上がると同時に踏み込んだ。相手は小手を打たれまいと構えていたが、その竹刀を弾き飛ばして、小手を取った。
 竹刀が弾かれた時、呆然とした表情をしていた。思っていたよりも弾く力が強かったのだろう。
 二本目は、小手を打たれないように相手は逃げたが、竹刀を交わさないわけにはいかなかった。そして竹刀を交わした瞬間に弾かれた。僕は今度は胴で一本を取った。
 勝って、控え場所に戻っていくと、富樫が抱きついてきた。そして、二階の応援席に手を振れと、僕の手を掴んで振らせた。応援団は華やかだった。

 二回戦の相手も名前を覚えるほどのことはなかった。
 無反動の鏡ということは、知れ渡っていたようだ。相手は竹刀を合わせようとはしなかった。そのために、防御が手薄になって、胴と面が簡単に取れた。

 三回戦の相手は、開始早々、さすがに打ち込んで来たが、竹刀を弾かれて、小手を取られた。それでもひるまず、二本目も打ち込んで来た。それが彼のスタイルなのだろう。だが、無反動の格好の餌食になった。やはり、小手で勝った。

 二階席の応援も激しくなった。
「鏡ー」と言う声がこっちにまで響いてきた。
 いよいよ、四回戦が始まった。
「始め」の声で、相手は打ち込んで来たが、それはフェイントだった。こっちが竹刀を出すとすぐに後ろに飛び下がった。これが僕と戦うときの基本になるだろうと予想していた。その予想通りのことを相手はした。だから、僕はもう一歩踏み込み、竹刀を出した。相手はそれを弾き、その勢いで小手を打ってくれば普通は決まる。しかし、竹刀を弾こうとすると、それを上回る勢いで竹刀を弾き返されるのだから、小手を打つどころではない。
 果たして、相手の竹刀は先程よりも強く弾かれた。こちらは打ち込みに行っているのだから、竹刀を弾かれて、がら空きになった胴を打った。
 一本目はこれで決まった。
 二本目は、相手はやはり、竹刀を弾かれることを警戒して打ち込んで来なかった。そうなると、こっちから仕掛けていくしかなくなる。思い切り、面を打ち込んだ。相手は竹刀で防いだ。普通は、それで凌げるが、その竹刀が弾かれるのだ。そのまま、踏み込んで面を取った。
 四回戦も勝った。
 僕が試合場から引き上げようとする時、相手が走り寄って来て、「良かったら、竹刀を見せてくれませんか」と言った。僕は、彼に竹刀を渡した。葛城城介と同じように竹刀を二度ほど振ってみた。そして、「ありがとうございました」と礼を言って返してきた。
「そんなに竹刀が気になるのですか」と僕は訊いた。
 彼は、言いにくそうにしていたが、竹刀を見せて欲しいと頼んだ立場上、答えるのが礼儀だと思ったのだろう。
「竹刀で打ち合いをしていると言うより、鉄でできた木刀のような物と戦っている気がしたものですから」と言った後、「もちろん、今、竹刀を持たせていただき、普通の竹刀だということはわかりました。失礼しました」と頭を下げた後、去って行った。
 やはり彼も竹刀ではなく、真剣を相手にしていると感じたようだった。その感覚は、正しかった。

 控え場所に戻ってくると、やはり富樫が抱きついてきた。
「やったな。これでベスト八入りしたわけだ。明後日の応援のしがいがあるというものだ」と言った。
「そうか」
「あっさりしているな。二階席を見ろよ。凄い応援だろう」と言った。
 二階席を見た。西日比谷高校の女子応援団が、抱き合って喜んでいた。
 そして、僕が見ているのを知ると、整列して、「鏡、鏡、行け行け。鏡、鏡、最高」と足を上げて応援して見せてくれた。
 僕は彼女らに手を振った。
「きゃー」と言う悲鳴のような声援が帰って来た。
 監督がやってきて、「よく、やった。明後日に備えておけ。明後日の集合場所も時間も今日と同じだ」と言った。明日は、男子団体予選リーグと女子個人の一回戦から四回戦が行われるから、僕の出番はなかった。明日は休める。
 僕は剣道具を持って、他の者はそのまま控え場所から退出した。そして、各自、家に帰っていった。
 ロビーで、女子応援団に囲まれた。そして「明後日も頑張ってくださいね、わたしたちも張り切って応援しますから」と言われた。
 僕は「頑張ります。応援、よろしく」と言ってロビーを出た。女子応援団は着替え室に向かった。
 富樫は、当然と言わんばかりに家までついてきた。荷物もないので、富樫は気楽だった。