小説「僕が、剣道ですか? 6」

十三
 風呂では、風車の機嫌が悪かった。僕に負けたのが悔しかったのだ。今日の風車は少し変だった。無理な手ばかり打ってくる。あれでは勝てない。僕も少しは碁に慣れてきたから、無理して生かすか、捨てて他で地を稼ぐか、ぐらいは分かってきていた。だから、一方的な攻めでは潰されなくなっていた。
 二子で戦ったが、どちらも僕が勝ってしまった。三目と五目差だったから、ハンディがなければ、僕が負けていたのは事実だった。しかし、風車との碁の棋力の差は確実に詰まっていた。
 碁をしていて感じるのは、布石の重要さだった。布石は、打たれたときには、その意味が分からないのに、十数手碁が進むと、そこに石がある意味が分かってくる。その石は必要なのだ。僕は手が分からなくなると、無闇に石を打っているが、風車はそうではなかった。石に意味を持たせるように打っているのだ。
 今日は調子が悪かったが、明日はまた別の風車がいることだろう。

 夕餉には、七輪で焼いた鰺の干物が出た。醤油を少し垂らして食べると、凄く美味しかった。ききょうにも骨をとったところを食べさせた。ききょうにもそのおいしさが分かったのだろう。もっともっとと言うように口を開けた。その口に、骨を除いた鰺を入れた。
 きくはご飯の炊き方には慣れてきたようだった。炊き具合が良かった。僕と風車が同時に空になった茶碗をきくに出すと、風車はそっと引っ込めた。居候している気分があったのだろう。僕は風車に分からないように笑った。
 きくは僕の茶碗にご飯をよそうと、風車の茶碗を受け取って、ご飯を盛った。
 煮売屋では、この前とは違う煮物を買ってきていた。その作り方も教えてもらってきたのだろう。近く同じメニューが出て来そうな気がした。
 海苔の佃煮は、現代では瓶に入っていた物しか食べていなかったが、瀬戸物の小鉢に盛られると、別の風格があった。味は濃いめだった。その分、ご飯が進んだ。

 寝る時間が来ると女の顔がちらついた。
 ききょうがなかなか寝付かなかった。きくは起きては、あやしていた。
 時が砂時計の砂のように落ちていく気がした。
 女は障子戸の向こうにいる。そこで静かに立っていた。今宵は新月だった。女は月明かりに身を焦がすこともないだろう。しかし、時の流れには、身を焦がしていたことだろう。
 やっと、ききょうが寝付き、きくが布団に躰を横たえた。
 すぐに起き出すわけにはいかなかった。きくはまだ眠ってはいなかった。きくはなかなか眠らなかった。何度も寝返りを打った。しかし、そのうちに眠りに落ちたので、僕は時を止めて、布団から抜け出した。
 障子戸を開けると、女が僕の手を取った。障子戸を閉めると、奥座敷に引っ張るように連れて行った。そして、女は僕に抱きついてきた。
 唇を重ねた。そのまま、ゆっくりと畳に崩れていった。
 僕は時を動かした。すると、「京介様」と言う声が聞こえた気がした。きくが寝言でも言っているのだろう。時を止めざるを得なかった。
「大丈夫ですか」と女が耳元で囁いた。
「ああ」
「そうですか」と言いながら、女は着物をはだけた。乳房が見えた。そして、僕の手をその乳房に誘った。
 柔らかかった。
 そして、女は口づけをしてきた。指は乳首を探り当てていた。乳首は立っていた。
畳に仰向けになると、女が覆い被さってきた。そして、足を絡めてきた。
 幽霊には足がないというのは、嘘だったんだな、と僕はどこかで思っていた。
 女の太腿も柔らかかった。足の甲と甲とが重なり合い、そして、離れた。
 その時、腰を押しつけてきた。僕は女のすることに身を任せた。
 女の中に入っていくのが分かった。
 女は声を立てた。細い絹糸を弾いていくかのような声だった。それはこれまで聞いたこともないようなものだった。
 僕が腰を動かすと、女は嬉しそうにしながら、唇を首筋に這わせた。
 そして、着ている物をすべて脱いだ。僕の浴衣も脱がせた。トランクスは足元に絡まっていた。
 くるりと反転して、僕が上になった。
 女の足を広げさせ、その間に腰を落とした。女の中に、より深く入っていった。
 女は顔をのけぞらせた。白い喉が露わになった。そこに唇を付けて吸った。その部分が赤くなった。女の喉を吸うと、甘い蜜でも吸っているような感じがした。
「もっと吸って」と女が掠れた声で言った。
 僕はそうした。
 女の腕が背中に巻き付いた。女の乳房が僕の胸で潰れた。
 女は腕だけでなく、足も巻き付けた。僕はより深く女の中に入っていった。
 女の躰が震えるのが分かった。その震えは、しばらく続いたが止まると、女が腰を動かしてきた。
 僕は我慢しきれなくなった。女の中に放出した。そして、ぐったりと女の躰に身を預けた。躰中が疲れていた。まるで精気を吸い取られたみたいだった。
 僕は一息つくと、「まさか僕の精気を吸い取っているんじゃないんだろうね」と言った。
 女は僕の目を見て「そんなことするはずがないじゃありませんか」と言った。その目に嘘は感じられなかった。
 では、どうして……と思った時、時間を止め続けていたことに気がついた。
 時を動かした。
 躰から緊張がほぐれていくのが分かった。
 女と抱き合っていたので、時間を止め続けていたことにすら、気付かなかったのだ。
 だが、それで僕はひどく疲れてしまった。
「時を止めるということは、それほど疲れるものなのですか」と女が訊いた。
「ああ」と答えるのが精一杯だった。
 立ち上がろうとして、尻餅をついてしまった。
 女が着物を着た。僕もトランクスを穿き直し、浴衣を着た。
 女の肩を借りて、立ち上がった。
 奥座敷を出て、廊下を歩き、寝室の前で女の肩から腕を外した。
 女は心配そうな顔をして、消えていった。
 僕は障子戸を開けると、寝室の中に入っていった。
 自分の布団に横たわると、疲れ切った躰はすぐに眠りに落ちていった。