小説「僕が、剣道ですか?」

二十
 次の日、道場に行くと、勝ち残った百十七人が揃って待っていた。
 僕は神棚に一礼をして、その下に座った。
「これから言うことをよく聞いてくれ。選抜試験は、今回一回きりではない。三ヶ月に一回行う。次からは今、道場にいる者も試験を受けてもらう。そして百人の定員になるまで、戦ってもらう。つまり、今回の試験に落ちても、次があるということだ。それを肝に銘じて戦って欲しい。負けたからといって、諦めては欲しくないのだ」
「わかりました」
「そこで、もう一つ言うことがある。町道場の堤道場に通っていた者は手を挙げるように」
 数十人の者が手を挙げた。
「どうしてやめたんだ」
 そう訊くと誰も何も言わなかった。さっき手を挙げた者で一番前にいた者に、僕は「お前はどうしてやめたんだ」と訊いた。
 彼は決まり悪そうに「だって、鏡先生の方が強いし、稽古料がないからです」と答えた。
「堤先生も無理には稽古料は取らないだろう。野菜でもお米でも、持って行ける物を持って行けば稽古を付けてくれるだろう」
「それはそうですが、何も持たずに習いに行くのは、気が引けます」
 手を挙げていた者たちは、そうだ、そうだと頷いていた。
「それなら、向こうに行って、薪割りや掃除でもしてくればいいではないか。とにかく、試験に落ちた者は堤道場に行って、稽古を積んでこい。そして三ヶ月後に選抜試験に臨むんだ。そうすれば、次はきっと勝つぞ」
「鏡先生はどうして堤道場に拘るんですか」
「私が教えられないことを教えてくれるからだ」
「先生が教えられないことを、ですか」
「そうだ」
「先生に教えられないことなんてないでしょう」
「私は人に教えたことがない。まして、剣術なんて教えることはできない」
「でも、道場を開いているではありませんか」
「ここでは、教えているわけではない。ただ、戦って見せているだけだ」
 前から道場にいる者以外は、皆が首を捻った。
「そのうち、分かる。では、今日の試合を始めるぞ」

 午前中に三十組の試合が行われ、午後二十九組の試合が行われた。一人足りなかったが、その一人は相川が務めた。当然、相川が勝ったが、相手も勝ち残りとした。
 次の日に四十人の合格者を発表すると言って解散した。

 風呂に入り、島田源太郎と夕餉を共にした。その時、島田源太郎から「昨日は大活躍だったようだな」と言われた。
「そんなことはありません。ただ町を見物してきただけです」
「嘘を言っても駄目じゃ。相川を連れて行ったろう」
「はい」
「あいつから何もかも聞いたぞ」
「全くおしゃべりなんだから」
「そう言うな。そちに訊いても何も言わないから、奴に訊いたまでのこと」
「どうせ、話が大きくなっているんでしょ」
「そうでもない。ただ、五人を一瞬のうちに倒したと聞いたぞ」
 だから……、と僕は思った。五人を倒したのではなく、二人を少し痛い目に合わせただけだっていうのに。
「その金貸しも許せんな。二両を借りたのに五両とは、何たることだ。いくら利息が高いとはいっても、借りた金よりも多いのでは、返すに返せないではないか」
「そうですよね」
「それでは貸した金を取り返す気は、はなからなくて、娘を奪うために金を貸したようなものではないか」
「源太郎様もそうお思いになるでしょう」
「そう思う」
「私もそう思いました。ですから、許せませんでした」
「それで五人倒したんだ」
「だから、そこは違うんです」
「同じことだろう。よいよい。悪人は懲らしめてやればよい。その話を聞いて胸がすぅっとしたぞ」
「はぁ」

 島田源太郎と話をしていると疲れる。といって、早々に引き上げてくるわけにもいかず、話を合わせる他はなかった。
 僕は五人を一度に倒したことにされてしまった。
 座敷に戻ってくると、きくが待っていてくれた。
 髪には、あの漆塗りで絵柄の入った櫛をしていた。
「似合ってるぞ」と言うと、きくは嬉しそうに笑った。
「あなたにしか見せられないものがあって、きくは嬉しゅうございます」と言った。

 次の日、五十九人の中から四十人を選ばなければならなかった。
 十九人を落とす試験を始めなければならなかった。
 僕は考えた。実際に打ち込ませてみて、それで判断しようとした。
 僕が考えた方法は、単純だったが、難しいものでもあった。
 単純だと言ったのは、僕に打ちかかってこさせることだった。僕は素手で立っていて、そこに相手が木刀を打ち下ろすだけである。簡単と言えば簡単だったが、素手の相手に木刀を打ち下ろすことは、そう容易ではなかった。しかも、僕はほとんど動かなかった。相手は僕を頭から打ちのめしたのではないかと思ったはずである。
 相手の木刀が頭に届くか届かないうちに左右に避けて、木刀が打ち下ろされた時、僕は元の位置に戻っていた。
 最初に僕に木刀を打ち下ろした者は、何が起きたのか分からなかったのに違いなかった。まるで、僕の躰の中を木刀が通過していったかのような気分になったことだろう。
 周りで見ている者には、僕が避けたことは分かったと思うが、それも一瞬の出来事にしか見えなかったろう。
 残っていた者全員にこれをやらせた。少しでも躊躇った者がいたら、不合格にしようと思った。
 全員が終わったところで、十人ずつ六列に座らせた。そして目を閉じさせた。頭を触った者を合格とした。
 僕は彼らの間を回り、四十人を選んだ。