八
定時に未解決事件捜査課に行くと、杉山が待っていた。
「おはようございます」
「おはよう」
「これをご覧ください」と杉山は、事件ファイルを差し出してきた。『明慶大学女子学生刺殺事件』と書かれていた。三年前に起きた事件だった。
「村瀬さんが担当した事件と同じように、ナイフで村川由希子という女性が刺殺されています。それも大学の構内で」と言った。
「それで」
「ナイフには指紋が残されています」
「なるほど。で、どうしたいんだ」
「犯人を挙げたいのに決まっています」と杉山は憮然とした顔で言った。
「分かった。じゃあ、それをやろう。だが、大学となると簡単じゃないぞ。警察官がそう簡単には立ち入れない」
「そうなんですか」
「大学には自治権というものがある。憲法二十三条で学問の自由が保障されている。だから、法律上の規制はないが、警察官が立ち入るには許可がいると思った方がいい」と僕は言った。
「どうしたらいいんですか」と杉山は言った。
「事務長に事情を話して、殺害現場を視察させて欲しいと頼むんだな。いや、とは言わないと思うよ」と僕は言った。
「わかりました。早速、電話します」と杉山は言った。
杉山は明慶大学に電話をしていた。そのうちに、送話口を押さえて、「いつ来るのか、訊いていますが、どう答えますか」と訊くので、「これから行く、と伝えてくれ」と答えた。
僕と杉山は、覆面パトカーに乗って、明慶大学に向かった。
明慶大学は都内の二田にあった。西新宿署からは三十分ほどで着いた。
駐車場に車を止めると、僕は運転席から降りた。ズボンのポケットにはひょうたんを入れてきた。
大学に入って、事務長室を探した。案内係に訊いて、事務長室のドアを僕がノックした。
「どうぞ」と言う声に、僕らは中に入った。
僕らは警察手帳を出して、それぞれ名乗った。
事務長の「そこにおかけください」と言う言葉に従って、僕らはソファに座った。
「用件について詳しく説明してください」と事務長は言った。
杉山が「先ほど、お電話した件ですが……」と言って、ファイルを差し出しながら、話し出した。
「で、今日はどうしたいんですか」と事務長は訊いた。
僕は「まず事件現場を見させてください」と言った。
「いいですよ。事務員に案内させます」と事務長は言った。
「そして、必要があれば学籍名簿を見させてください」と僕は言った。
「わかりました」と事務長は言った。
事務長はデスク上の内線で女性の事務員を呼び出した。
「この人に案内させますから、ついて行ってください」と言った。
「ありがとうございます」と僕は言うとソファから立ち上がった。
僕らは彼女に案内されて、被害現場に立った。
そこは旧講堂の入口前だった。古い建物で文化的意義の大きいものだった。
人影は僕らだけだった。
僕は時を止めて、ズボンのポケットのひょうたんを叩いた。
「村川由希子の意識を読み取れ」と僕は言った。
「わかりました」とあやめが言った。
時を動かした。
旧講堂には、鍵がかかっていた。
杉山が「この辺りで刺されていたんですね」と入口前の草むらを指さした。
「そう聞いています」と女性の事務員は言った。
そうしているうちに、映像が送られてきた。
村川由希子は、秋山祐司に竹内が呼んでいると言って、この旧講堂の入口前に呼び出されていた。しかし、来たのは、秋山祐司だった。秋山は竹内の友達だった。
「どうしてあなたが」と村川由希子が言った時には、胸にナイフが突き立てられていた。村川は声を発することもなく、真後ろに倒れた。
村川由希子が倒れながら見ていたのは、秋山祐司が逃げていく姿だった。
僕は女性の事務員に「学籍簿は検索できますか」と訊いた。
「ええ、でも、それが必要ですか」と訊き返された。
「秋山祐司さんという学生について知りたいのです。お願いします」と言った。
「では、事務室に行きましょう」と事務員は言った。
事務室に向かう間に杉山が、僕に「どういうことですか」と訊いた。
「学籍簿を調べてみれば分かる。犯人はおそらく、長く休学しているはずだ」と答えた。
確信はなかった。まさか、さっきのが犯人の名前だったとは言えなかったのだ。
事務室に入ると、女性の事務員はデスクに座り、パソコンのキーボードを叩いた。
「確か、秋山祐司さんでしたね」と事務員は言った。
僕は「そうです」と言った。
しばらくして、彼の情報がディスプレイに現れた。
「彼は経済学部の三年生で三年前から休学になっていますね」と言った。
「やはりそうですか。彼の実家はどこですか」
「和歌山です」
「住所を教えてください」
「和歌山県北部町****です」と言った。
「念のために、こちらの下宿先はどこですか」と訊いた。
「東京都港区二田三丁目****二田アパート四〇五号室です」と答えた。
「ありがとうございました」と言って、僕らは事務室を出た。
車で、二田アパートに行ってみたが、四〇五号室には秋山祐司はもういなかった。
ズボンのポケットのひょうたんを叩いて、アパートの秋山祐司の意識を読み取らせた。
秋山祐司は、文学部の村川由希子が二年生になって二田に来た時から、一目惚れをしていた。それが友人の竹内と仲良くなっていくのを見ているうちに、激しい嫉妬を覚えるようになった。二人の前では、そんな素振りも見せなかったが、陰では焼き餅に苦しんでいた。それが高じて村川由希子を刺殺しようとする気になったのだ。
竹内が待っているという口実で、旧講堂の入口に呼び出して、秋山祐司は村川由希子をナイフで刺殺した。
刺殺した後、下宿に戻ると、荷物をまとめて、実家に帰った。大家には手紙で下宿の解約手続きを取った。残った荷物は宅配便で送ってもらった。
「秋山祐司は実家にいる」と僕は言った。
「そうですね」と杉山は応えた。
「どうする」と僕は杉山に訊いた。
「秋山祐司が犯人なんですか」と杉山が訊き返してきた。
「私はそう思っている」と答えた。
「どういう理由ですか」と杉山は訊いた。
「理由なんかはない。警察官の勘だ」と僕は答えた。
「警察官の勘ですか」と杉山はがっかりしたように言った。もっとちゃんとした理由が聞けるものと思っていたのだろう。
「明日は大変だぞ。和歌山まで行くからな」と僕は言った。
「車でですか」と訊いたので、「いや、列車で行く。途中までは新幹線だ」と言った。
「向こうで一泊するぞ」と続けた。
「えー」と杉山は言った。
「えー、じゃない。署に帰って、すぐに令状を取るんだ。秋山祐司の指紋が必要なんだ。そのために行くんだからな」と言った。