三十五
島村が狙いをつけたと思った瞬間、僕は時を止めた。
そして、走って行き、ズボンからハンカチを出して、銃を取り上げ、ハンカチを使って、撃鉄を降ろした。そして、銃身で島村の頭を思い切り叩いた。ひびが入ったのが分かった。島村は立ったまま気絶した。その手に猟銃を持たせた。それからハンカチを外した。これで僕の指紋はついていないはずだ。カウンターにナイフが置かれていた。それをハンカチで包んで、後ろ手に縛られていた人質のガムテープを切った。人質は店員二名を含めて、全部で七人いた。中には六歳ほどの男の子もいた。人質の目隠しも全員外した。そして、元の位置にナイフを戻して、ハンカチをしまった。
それから、僕はコンビニの店内から出て、島村が狙いをつけた位置にまで戻って来た。そして、歩き出す格好をして時を動かした。
島村が倒れていくのが分かった。頭がもろに床にぶつかっていた。
しばらくして、店内から人質だった人が走り出して来た。コンビニの横に隠れていた警察官が一斉に店内に入って行った。
誰かが「島村勇二、確保」と叫んだ。その声に一斉に歓声と拍手が起こった。
僕の肩を誰かが叩いた。
「お疲れ様」と言った。
陣内剛だった。彼は甲府署の捜査一課の課長だった。
「島村はどうしたんですか」と僕は訊いた。
「わかりませんが、脳梗塞か心筋梗塞でも起こしたんでしょう。突然、倒れましたからね。こちらは双眼鏡で見ていましたから、倒れるところがよく見えましたよ」と言った。
「よく、銃が暴発しませんでしたね」と僕が言うと、陣内は「撃鉄はまだ起こしていなかったんじゃないですかね」と言った。
僕はパトカーの陰で、防弾チョッキを脱いで、ワイシャツと上着を着直した。
防弾チョッキは近くにいた警察官に渡した。
僕は陣内のところに行って、「これで用は済みましたか」と訊いた。
「ええ、終わりです」と答えた。
「署に帰ってもいいですか」と訊いた。
「それは構いません」と答えた。
「では、帰ります」と言って、頭を下げた。向こうも頭を下げた。
僕は乗って来たパトカーに行き、「帰りますよ」と言った。
「わかりました」と運転して来た警察官は言った。
黒金署に着いたのは、午後八時過ぎだった。
署長はまだいて、署長に経過を報告した。
署長は一言「ご苦労様」と言った。
署長室を出ると、安全防犯対策課に行った。みんなは帰った後だった。
それから、黒金署を出て家に帰った。
家に入ると、きくが抱きついてきた。
「ご無事で良かったです。撃たれるんじゃないか、と思いました」
「そう簡単に撃たれはしないよ」
「でも、無茶はしないでくださいね」
「分かっているよ」
子どもたちもいた。父や母も四階から上がって来ていた。
「テレビで見ていたが、気が気じゃなかったぞ」と父は言った。
「そうですよ。あんな無茶はしてはいけませんよ」と母が言った。
「でも、パパ、かっこ良かったよね」と京一郎は言った。
「そうね」とききょうも言った。
「かっこ良くなくてもいいんです。無事であってくだされば」ときくは言った。
僕は「取りあえず風呂に入りたい」と言った。
目が覚めると、きくが哺乳瓶で京二郎にミルクを与えていた。
午前七時だった。
ニュースは、昨日の甲府のコンビニ人質事件がトップだった。新聞の一面の写真は、僕がコンビニに向かって行く写真が後ろから写されたものだった。次に逮捕されて、担架に乗せられ運び出されている島村勇二の写真だった。
島村は脳梗塞で倒れ、床に頭をぶっつけた拍子に頭蓋骨にひびが入る脳挫傷を起こしたと書かれていた。
人質は皆無事だったとも書かれていた。
午前九時に安全防犯対策課に入って行くと、皆から「大変でしたね」とか「怖くなかったですか」とか「頑張りましたね」とか言われた。昨日はみんな帰っていたくせに、とは言えなかった。
僕は「防犯安全キャンペーンのキャラクターを早く決定しましょう」と言った。
緑川が「みんなの意見では、この六点までに絞り込んだんですけれど」と六点のキャラクターデザイン画を持って来た。
「似たようなキャラクターがないか、調べなくちゃいけませんね」と僕が言うと、「それは今やっている最中です」と滝岡が言った。
ネットに上がっているキャラクターと比較して、同一のものか非常に似ているものを排除しているところだと言う。
「今、二点ヒットしているところです。もう少し、時間がかかります」と滝岡は言った。
「まぁ、任せる」と僕は言った。
月曜日は剣道の稽古が始まった。
退署して、西新宿署に行くと、道場で西森が待っていた。
「またしても、活躍でしたね」と西森は言った。
「私は何も活躍はしていないですよ」と僕は言った。
「島村勇二はあなたに発砲する気でいたんですよね。それが脳梗塞ですか、よくできた話ですね」と西森は言った。
「全国中継されていたんだから、脳梗塞は脳梗塞なんでしょう」と僕は言った。
「でも、あなたに発砲しようとした人は、大抵失敗していますよね。強運なのか、何なんでしょうね」と西森は言った。
「たまたまでしょう」と僕は言った。
「千人町交番時代も含めると、三度目ですよね。何なんですかね」と西森は言った。
「私に訊かれても困りますよ」と言った。
「まぁ、しかし、逃亡していた島村勇二が捕まって、事件も一段落しましたね」と西森は言った。
「ええ、ようやく、終わりました」と僕は言った。
「では、始めましょうか」と西森が言った。
「手加減はしませんよ」と僕は応えた。
一月二十日にキャラクターは決まった。男性警察官の方はブルドッグに、女性警察官の方はプードルに、警察官の制服を着せたようなキャラクターだった。
二人で一対のキャラクターになっていた。
キャラクターが決まったので、ポスター作りやグッズ作りが始まった。もともと原案はあったので、そこにキャラクターをはめ込むだけだった。月末までには、間に合いそうだった。二月のキャラクターに基づくグッズやポスター作りは楽そうだった。
三月にキャラクターを発表をして、来年度の四月から使うことになっていたが、その時には、安全防犯対策課はなくなっている。これが最後の安全防犯対策課の仕事なのだと思うと、感慨深かった。
二月になって、安全防犯対策課の他のメンバーにも内示が出た。僕が聞いたのと同じだった。みんな、比較的喜んでいたので、良かったと思った。
三月になると、島村勇二は警察官射殺教唆容疑と人質強要行為処罰法による罪と警察官射殺未遂罪などで起訴された。
ききょうは、在校生代表として卒業式に、卒業生に贈る言葉を読み上げた。
そして四月になった。
僕は西新宿署の未解決事件捜査課の課長になった。
了