小説「僕が、警察官ですか? 4」

三十

 定時になったので、安全防犯対策課を出て、家に帰った。

 きくが出迎えてくれた。

 僕はきくに昼間、岸田信子から電話があったことを話した。そして、彼女の弟の結婚式に出ることを約束したことを伝えた。

「もう、その女の人とは会わないと約束しましたよね」ときくは言った。

「そうだから、話しているんじゃないか」と僕は言った。

「何故あなたが出なければならないんですか」ときくは言った。

「結婚する二人の相談に乗ったことは話しただろう。だからじゃないのか」と僕は言った。

「あなただけ招待されるのはおかしいじゃないですか」ときくは言った。

「それはそうだが、身内以外の者にも見届けて欲しかったんだろう」と僕は言った。

「それにしても……」ときくは言った。

「結婚式は、風車の時にもしたから知っているだろう(「僕が、剣道ですか? 6」参照)」と僕は言った。

「ええ、それは知っていますけれど」ときくは言った。

「二人だけで会うわけじゃないんだ。峰岸康子さんがお母さんに、自分の結婚する姿を元気なうちに見せたいんだ。そのための結婚式なんだ。俺は見届け人として出るよ」と言った。

「わかりました。そういうことなら、今回だけですよ」と言った。

「ああ、今回だけだ」と僕は言った。

 きくも出産が近いから、気が立っているんだろう。

「ああ、それから、来春、西新宿署の未解決事件捜査課の課長になる内内示を受けた」と言った。

「内内示とは何ですか」と言った。

「内示の前の内示のことだが、内示される時は、確定されているから、その前の打診みたいなものだな」と言った。

「よくわからないんですが、お受けになったんですか」ときくは言った。

「受けるも受けないもないよ。ほとんど決まっていることだからね」と僕は言った。

「そうすると、今度は西新宿署に行くことになるんですね」ときくは言った。

「そうだ」

「西森さんがいるところですよね」

「うん」

「西新宿署なら、ここから近いから良かったじゃないですか」ときくは言った。

「そうかも知れない」と僕は応えた。

「それから、忘年会をすることになった」と僕は言った。

「いつですか」ときくが訊いた。

「三十日だ」と答えた。

「出産の翌日ですね」ときくは言った。

「二十九日は、あくまでも予定日だから、実際に二十九日に出産するとは限らない。三十日になるかも知れない。そうしたら、俺は忘年会には出ない」と言った。

「そうですか」

「ああ、ただ、その前に出産したら、三十日はきくに会いに行けないから、承知しておいてくれ」と言った。

「わかりました」と言った。

 

 僕は風呂に入った。

 浴槽に浸かりながら、来春、西新宿署の未解決事件捜査課の課長になるのか、と思った。安全防犯対策課の方は、このところ仕事らしい仕事をしていなかったので、未解決事件捜査課の方が面白いかも知れないと思った。

 風呂から出るとビールを飲んだ。

 

 二十七日のことだった。黒金署に出署して一時間ほど経った頃だった。

 母から携帯に電話があった。

「おきくさんが陣痛を起こしたので、今、病院にいるの。産まれそうなので来てくれない」と言った。

「分かった。行くよ」と言って電話を切った。

 緑川を呼んで「妻が出産しそうだと、母から電話があった。これから病院に行くので後はよろしく頼む」と言った。

「そうですか。無事に産まれるといいですね」と言った。

「ああ。病院からはそのまま自宅に帰るから」と僕は言った。

「大丈夫です。後のことは、任せておいてください」と緑川は言った。

「うん。じゃあ、行ってくる」と僕は鞄を持って、安全防犯対策課を出た。

 通りへ出て、タクシーに乗った。

 病院に着くと、分娩室の前に行った。母がいた。

「良かったわ、間に合って」と母は言った。

「どんな様子なの」と訊いた。

「よくわからないけれど、もうすぐ産まれるわよ」と言った。

 それから一時間ほど待った。

 分娩室の中から、赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。

 分娩室のドアが開いて、看護師が出て来て、「今、男の赤ちゃんがお産まれになりました。午前十一時三十八分です」と言った。

 僕は割烹着のようなものを着せられて、頭には綿の帽子のようなものを被せられた。

 手を消毒してから、分娩室に入った。

 赤ちゃんは台の上の籠に、白いふわふわとした布に包まれていた。盛んに泣いていた。

 きくは、白い毛布のようなものをかけられて、赤ちゃんの手を握っていた。

「よくやったな」と僕は言った。

 きくは頷いた。目から涙をこぼしていた。

「もう、赤ちゃんは抱いたのか」ときくに訊くと頷いた。

「そうか」

 看護師に「赤ちゃんを抱いてもいいですか」と訊いた。

「ええ、いいですよ」と言った。

 僕は白い布に包まれた赤ちゃんを看護師から渡されて抱いた。意外に重かった。

 猿のような顔をしていた。真っ赤だった。

「わたしにも抱かせてくれる」と母が言った。母も僕と同じような格好をしていた。

 一度、看護師に赤ちゃんを渡して、看護師から母に赤ちゃんを抱っこしてもらった。

「お前の産まれた時とそっくりだよ」と母は言った。

 

 赤ちゃんを抱くと、僕らは分娩室から出た。

 三十分ほどすると、きくはストレッチャーに乗せられて、分娩室から出て個室にしてもらった病室に向かった。

 僕らもついて行った。

 ストレッチャーから看護師二人で、きくをベッドに移した。

 僕らはきくの枕元に行った。

「頑張ったな」と僕は言った。

 きくは「うん」と言った。

 看護師は「赤ちゃんは今、ベビー室にいます。様子を見て、連れて来ますからね」と言った。

 三時間ほど待った。その間に母と昼食をとった。鞄の中の愛妻弁当と水筒はそのままだった。これは夕食に食べることにした。

 赤ちゃんが看護師に抱かれて、病室に入って来た。きくのベッドの隣のベビーベッドに赤ちゃんは寝かされた。

 赤ちゃんは眠っていた。

 その寝顔を見ていたら、一時間が過ぎた。

「今日はこれで帰る。明日は仕事が終わったら、来るよ」と言った。

「わたしが午前中から来ているから大丈夫よ」と母が言った。

「じゃあ、帰るからね」と言って、病室を出た。

 

 家には午後五時頃着いた。

「退院するまで五日かかるって言っていたから、それまではわたしのところに食べに来なさい」と母が言った。

「よろしくお願いします」と僕は言った。

 僕は愛妻弁当を食べてから風呂に入った。

 しばらくぶりの母の手料理だったが、僕は少ししか食べなかった。