小説「僕が、警察官ですか? 3」

 僕は次の日、机からひょうたんを出して鞄に入れた。今日、黒金署に行き、安全防犯対策課に顔を出したら、被害現場に行くつもりだった。その時、ひょうたんをズボンのポケットに入れて行こうと思っていた。

 自宅を出て、黒金署の安全防犯対策課には、ちょうど午前九時に着いた。

 安全防犯対策課の中も、すでに昨日の放火事件についてメンバーが話している最中だった。

「おはよう」と言うと、緑川が来て、「とうとう放火殺人事件にまで発展してしまいましたね」と言った。

「被害者の名前と年齢は分かりますか」

「わかりますよ。戸田喜八さん、八十八歳。そして、戸田良子さん、八十六歳です」

「被害者は老夫婦だったのか」

「そうです。しかも、良子さんは、認知症で寝たきりでした。それを喜八さんが、一人で介護していたそうです」と緑川は言った。

「そうですか。痛ましいことですね」と僕が言うと、緑川は「こんな犯人、許せません。一刻も早く捕まえなければなりません」と言った。

「そうですね。私はこれから現場に行ってきます」と言うと、緑川が「課長が現場に行かれても中には入れませんよ」と言った。

「分かっています。外から、被害者のご冥福を祈ろうと思っています。それと現場を見るだけでも見ておきたいのです」と言った。

「わかりました」と緑川は言った。

「では、後はよろしく」と僕は言うと、鞄からひょうたんを出して、ズボンのポケットに入れた。

 

 安全防犯対策課を出ると、黒金町四丁目三十三番地二号の被害現場に向かった。被害現場には、野次馬が集まってきていた。立入禁止のテープが張られている前で、巡査二人が野次馬たちを押し留めていた。

 僕は警察手帳を見せて、立入禁止のテープの中に入れてもらった。現場は家がすっかり焼け落ちていて、まだ焦げ臭かった。

 時を止めた。ズボンのポケットのひょうたんを叩いて、あやめに「霊気を感じるか」と訊いた。

「はい。二人の霊気を感じます」と答えた。

「では、読み取ってくれ」と言った。

「はい」と応えた。

 時を動かした。

 両隣と、裏の家も被害を被っていた。

 僕は捜査の邪魔にならないように、立入禁止のテープの側から、捜査の様子を見ていた。今は鑑識が入っていた。捜査一課の者は家の近くに待機していた。捜査一課の中には、野次馬の写真を撮っている者もいた。犯人が犯行現場を見に来ている可能性もあったからだ。

 しばらくすると、ズボンのポケットのひょうたんが震えた。

 時を止めて、「読み取れたのか」と訊くと「はい」と答えたので、「映像を送れ」と言って、時を動かした。

 頭に映像が流れ込んできた。目眩にも似た気分が襲ってきた。それに堪えていると、慣れてくる。今回は二人分の映像だった。戸田良子、八十六歳の映像は、認知症のためか、穏やかなものだった。煙を吸い込んだ時だけ、苦しそうにしていたが、それもすぐになくなり、穏やかに死んでいった。辛かったのは、戸田喜八、八十八歳の映像だった。死ぬ直前まで、良子、済まない、と言っていた。喜八も煙に巻かれて、気を失い、呼吸困難になり死亡していた。躰が焼けたのは、その後だった。

 映像を戻していった。

 去年の夏まで戻した。六十歳になる息子がこの家に来ていた。

「親父、お袋は施設に入れた方がいい」と息子は言っていた。

「わしは嫌だ。良子と離れたくはない」と喜八は言った。

「それじゃあ、どうするんだよ。このままじゃあ、二人、共倒れになるだけじゃないか」と息子は言った。

「わしが世話をできるうちは世話をする。ほっといてくれ」と喜八は言った。

「親父だって、もう歳なんだから、無理はできないだろう」と息子は言ったが、喜八は聞かなかった。

 物別れになり、息子は帰っていった。

 それから数ヶ月、喜八は良子の面倒をよく見た。しかし、そのうち持病の腰痛が悪化して重い物が持ちにくくなった。当然、良子を抱き起こすことができなくなった。この時、息子の忠告通り、介護の手が差し伸べられるべきだったのだ。

 だが、その後も喜八は一人で頑張った。しかし、それにも限界があった。良子が「死にたいよぉ」と言うようになった。喜八はその手を取って、泣いた。

「大丈夫だ。俺がいる」と言った。息子に助けを求めるべきだったが、夏にそれを拒絶した喜八には、それができなかった。一人で頑張ろうとした。しかし、無理が来た。

「死にたいよぉ」と言う良子の声が胸に入り込んできたのだ。

「じゃあ、一緒に死のう」と、喜八は思ってしまったのだ。

 しかし、無理心中をしたのでは息子たちに迷惑がかかると思った喜八は、前に新聞で読んだ記事を思い出した。それが連続放火事件だったのだ。犯人は大学生だった。就職浪人をしていて、その腹いせに放火を繰り返していたのだ。それを思い出したのだった。連続放火事件に見せかけて、無理心中をすれば、犯人は別にいると思われる。そうなれば、息子たちにも迷惑がかからないのではないかと思ったのだった。

 最初は、二月二十六日に近所のゴミ集積所のゴミに灯油をかけてマッチで火をつけたのだ。連続放火事件に見せかける第一弾だった。三月二十八日も、近所の板塀の隅に灯油をかけてマッチで火をつけた。これが二番目だった。次は、いよいよ、自分の家だった。灯油は、ストーブのために購入していたものを使った。二週間に一度、ガソリンスタンドから配達してもらっていた。幸いにも、というか、不幸にもというべきだが、二件の放火事件は喜八が起こしたものとは思われなかったのだ。それはそうだろう。八十六歳の妻を介護している八十八歳の喜八は、連続放火魔のプロファイリングとは異なっていたのだ。

 喜八は四月も二十日を過ぎると、いつでも実行できるように用意はした。しかし、いざ、火をつけようとすると躊躇した。何も分からない妻を焼き殺すのだ。喜八の心が痛まないわけはなかったのだ。しかし、二十九日になって、ようやく決心ができた。初めに外に火をつけると、消し止められるおそれがある。家の中で火がついた後に、外のゴミ箱に火をつけることにした。ゴミ箱に灯油をかけて、家の中に入った。

 まず、天麩羅を揚げる材料を買ってきて、天麩羅を揚げようとしている様子を作り出した。そして、天麩羅鍋にいっぱいに油を入れて、火にかけた。

 次に、居間で新聞を片付けているフリを作り出した。そして、沢山の新聞を積み上げて、その端に煙草で火をつける用意をした。台所の天麩羅鍋の油に火がついた。それから、新聞紙に煙草で火をつけると、煙草を落とした。そして、火が燃え上がるのを見て、外に出て、ゴミ箱にマッチで火をつけた。

 そして、家の中に入った。火は激しさを増して燃えさかった。

 喜八は妻の眠るベッドに行くと、妻の手を握って、「ご免よ。少しだけ熱い思いをさせるけれど、あの世に行っても一緒だからね」と言った。そして、妻の手を離すと、火が燃えさかる居間に入って行った。そして、煙に巻かれた。苦しくなった。息ができなかった。妻のベッドの方を向いた。まだ、ベッドには火も煙もなかった。喜八の着ていた服に火がついた。躰が熱くなった。熱が躰にひどい痛みを感じさせた。その時、また煙を吸い込んだ。途端に、意識がなくなっていった。

 映像はそこまでだった。

 一連の連続放火事件の犯人は、喜八だったのだ。

 僕はやるせなかった。

 立入禁止のテープを潜ると、黒金署に向かった。

 今回の犯行は、家の内部から燃えている。ゴミ箱から火が移って家が燃えたわけではない。そんなことは鑑識なら、すぐに判明するだろうと考えた。

 そうであれば、犯人が喜八であることも、そのうち分かることだろうと思った。

 だが、違っていた。