小説「僕が、警察官ですか? 2」

三十八

 午前七時に起きた。

 昨日というか、今朝の四時に寝た。睡眠時間は三時間だった。

 髭を剃り、歯を磨き、顔を洗った。

 朝食はお茶漬けにした。今朝四時まで飲んでいた時、少しつまみものを食べたので、あまりお腹が空いていなかったのだ。

 その最中だった。携帯が鳴った。時計を見た。午前七時半だった。

 携帯に出ると、西森が急き込むように話した。

「芦田勇のお札が取れました」

「逮捕状が出たんですか」

「はい。げそ痕が決め手でした」

「足跡ですね」

「ええ。これから、奴を****ホテルから引っ張ってきます」

「逮捕に行くんですね」

「そうです。ちゃんと伝えましたからね。ではこれで」と言って切れた。

 ついに芦田勇に逮捕状が出た。これからは、任意ではなく、正式な取調が行われる。弁護士の立会は、これからはできなくなる。それが日本の普通の取調だった。

 昨日の事情聴取のような黙秘権は、被疑者の権利だから逮捕されても当然使える。だが、任意のときと、逮捕後の黙秘権の行使とでは意味が変わってくる。

 任意のときであれば、気まぐれであっても答えたくない場合には、黙秘権を行使することはあるだろう。だが、逮捕後に黙秘権を行使すれば、当然、そこに犯行を裏付ける何かが隠されていることを意味する。それが何かを暴くのは、警察の役目だが、警察も当然、そこに着目する。そして、捜査陣はそこに集中的に投入されるようになる。何のために黙秘しているのか。それがあぶり出されるのは、時間の問題だった。

 僕は朝食をとり終えると、歯を磨き、口をすすいだ。それから、寝室に向かい、鞄の中にひょうたんがあるか確かめた。ひょうたんはあった。今日もあやめに活躍してもらうかも知れなかったからだ。

 きくが来て着替えを手伝ってくれた。ワイシャツを着てネクタイをして、ズボンを穿き、背広を着た。

 そして、鞄を持った。午前八時半少し前に家を出た。四谷五丁目の自宅から黒金署までは、歩いて三十分ほどかかった。いい運動になる。

 黒金署には午前九時少し前に着いた。そして、午前九時丁度に安全防犯対策課に入った。

 メンバーは全員来ていた。すでに防犯キャンペーンは終わっていて、することがなかった。

 僕はメンバーに「防犯マップの盲点を各自点検してもらいたい」と言った。

 気のない「はーい」という返事が返ってきた。

 僕は緑川に「ちょっと、署長室まで行ってくる」と言った。

「はい」と応えた。

 僕は安全防犯対策課を出ると、署長室に行き、ドアをノックした。

「どうぞ」と言う声がしたので、「おはようございます」と言って中に入り、礼をし、署長の座っているデスクの前に立った。

「何か用ですか」

「はい。西新宿署に行ってもいいでしょうか」と僕は言った。

「どういう用件で」と署長は訊いた。

「今朝、連続絞殺殺人事件の被疑者が逮捕されたということを聞きました」と僕は言った。

「誰からですか」

「西新宿署の西森刑事からです」と答えた。

「それで」

「連続絞殺殺人事件は公園で起きています。この地区にも公園があります。被疑者が本当に犯人であるのか、確認したいのと、犯人であれば、どのような手口で犯行に及んだのか、知りたいのです」と言った。

「それは、追々わかることではありませんか」と署長は言った。

「今回の連続絞殺殺人事件の犯人逮捕には、私も貢献しているつもりです。取調の様子を直に見たいのです」と言った。

 署長はしばらく考えていた。

「あなたが行っても取調には立ち会えないでしょう」と署長は言った。

「それは分かっています。でも、取調の様子を見たいのです」と僕は言った。

「取り合ってもらえないと思いますが、西新宿署に行くことは認めましょう。ただし、わたしからは何も向こうに伝えませんよ」と言った。

「それで結構です。ありがとうございます」と言って、署長室を出た。

 署長室を出ると、安全防犯対策課に戻った。部屋の中に入ると、鞄を持って、緑川に「これから西新宿署に行ってくる。後を頼む」と言って、安全防犯対策課を出た。

 署を出ると、覆面パトカーの所にいた巡査に「西新宿署まで送ってくれないか」と言った。

「失礼ですが、あなたは」と訊かれたので、警察手帳を見せた。

「失礼しました。鏡警部でしたか。お名前は聞いていました。今、同僚に西新宿署に鏡警部を送ってくことを伝えますので、少し待っていてください」と言って署内に入って行った。

 しばらくして、巡査が戻ってきて、「これから西新宿署までお送りします。お乗りください」と言った。

 僕は助手席に乗ると、安全シートベルトを締めた。

 覆面パトカーはすぐに動き出した。

 西新宿署までは十分ほどで着いた。覆面パトカーを降りる時に、巡査に礼を言った。

 西新宿署に入ると、エレベーターホールに向かい、待っている者と一緒に降りてきたエレベーターに乗り、八階のボタンを押そうとしたが、もう誰かが押していた。

 八階で降りると、捜査本部に入って行った。

 本部内は慌ただしかった。本部席には、捜査一課長も管理官もいなかった。

 本部席に座っている者に「捜査一課長や管理官はどこに行きましたか」と訊くと、「今、犯人が逮捕されて護送されてきたので、そちらに行きました」と言った。

 僕は携帯を取り出して、西森刑事に電話した。

「何ですか。今、忙しいんです」と西森は言った。

「分かっています。捜査一課長か管理官が何処にいるのか、訊きたいのですが」と言うと「七階の取調室にいるんじゃないですか。今から芦田勇の取調が始まりますから」と言った。

 僕は、鞄を捜査本部の隅の席に置き、ひょうたんだけは取り出して、ズボンのポケットに入れ、階段で一階下に下りていった。取調室の前に警官が立っていた。その警官に警察手帳を見せて、「捜査一課長か管理官を呼んでもらえないか」と言った。

「ちょっとお待ちください」と言って、部屋のドアをノックした。ドアが開き、警官はその中の誰かと話をした。一度、ドアが閉まると、再び開き、中から管理官が出て来た。

「おはようございます」と言うと「何ですか」と訊かれた。

「芦田勇が逮捕されたそうですね」

「ええ、これから取調が始まるところです」と言った。

「立ち会わせていただけませんか」と言った。

 管理官は「お断りします」と言った。

「芦田勇の逮捕には、協力したつもりです。私が芦田勇の取調の様子を見ていれば、何か分かることもあると思うんです」と僕は言った。

「それとこれとは関係ありません。お引き取りください」と言うと、外にいた警官に何か言って、部屋の中に入って行った。

 僕が「待ってください」と言うと、部屋の外にいた警官が「ここからは立入禁止です。お帰りください」と言った。

 僕は仕方なく、捜査本部に行き、鞄を置いた席に座った。

 周りに誰もいなくなった席で、ズボンのポケットに入れてあったひょうたんを叩いた。

「はーい」というあやめの声がした。

「取調室の位置は分かったよな」

「はい」

「中に芦田勇がいるのは分かったか」

「わかりました」

「ここから、芦田勇の頭の中に入れるか」と訊いた。

「なんとかできると思います」と答えた。

「ではしてくれ。様子がわかり次第、戻ってきてくれ」と言った。

「はーい」とあやめは言った。

 しばらくすると、刑事が一人やってきた。

「ここは関係者以外立入禁止なんですが」と言った。

「私は関係者です。芦田勇の逮捕のきっかけを作りました。今は芦田勇の取調の結果を待っているところです」と答えた。

「あなたの所属は」と言うので、警察手帳を見せた。

「鏡警部でしたか」と刑事は言った。

「私のことを知っているのですか」と訊くと、「ええ、もちろん、お名前だけは」と答えた。

「捜査状況を教えてもらえますか」と僕は言った。

 その刑事は躊躇していた。部外者に余計なことは言えなかったからだ。

「申し訳ありません。お教えできません」と刑事は言った。

「そうですか。では、ここで待たせてもらいます」

「済みませんが、お引き取り願えませんか」と言った。

「待つぐらいいいでしょう」

「そういうわけにも……」と刑事は困った顔をした。

 僕は仕方なく、鞄を持ち、捜査本部のある大会議室を出た。あやめが戻ってくる時、迷わなければいいがと思いつつ、仕方なく、十階のラウンジに行った。

 自販機で缶コーヒーを買って、隅の席に座った。鞄は隣の椅子に置いた。

 時計を見ると、午前十時半だった。

 午前十一時にひょうたんが震えた。あやめが戻ってきたのだ。

「主様がどこに行かれたのか、最初は迷いました。でも霊気を感じ取って戻ってきました」と言った。

「そうか、済まなかった。で、取調の様子はどうだった」

「今から映像を送りますね」と言うと、頭の中に映像が流れ込んできた。

「送りましたよ」とあやめが言った。

「ああ、受け取った。もう一度、芦田勇の頭の中に入ってもらえるか」

「わかりました」と言って、あやめはひょうたんからいなくなった。

 僕は映像を再生した。