二十四
東京駅には、午後八時三十二分に着いた。自宅にいれば、もうとっくに夕食の時間だった。新幹線の中で売り子が来たので、弁当を買って食べようと思ったが、昼間も弁当だったから、子どもたちに可哀想な気がした。東京駅から四谷三丁目までは三十分ほどだから、我慢させることにした。
午後九時過ぎに四谷三丁目駅に着いた。地下鉄から道路に出ると、道の両方に食べ物屋がずらりと並んでいる。少し歩いてビルの五階にある鉄板焼き店に入ることにした。子ども連れで入るには、少し敷居が高い店だった。
カウンターに座り、コース料理を頼んだ。
子どもたちの分はお任せにした。
最初にドリンクを注文した。僕は生ビールにした。きくはウーロン茶、ききょうと京一郎はオレンジジュースだった。ドリンクが来ると僕が「今回の旅行に」と言って、乾杯をした。
そして、サラダが出された。続いてお造りが出された。それから鉄板料理だった。
まず、大きなエビが鉄板に四匹載せられ、それらを焼いて、ステンレスのヘラで適当な大きさに切ってくれて、僕ときくとききょうと京一郎の前に出した。それらを箸で鉄板からつまみ、好きなタレで食べた。僕は塩で食べた。美味しかった。きくも美味しいと言った。
次はホタテ貝だった。それを鉄板に載せて、油を入れると銅の蓋を被せた。
殻の開いたホタテをヘラで取り出し、バターを載せてこれも適当な大きさに切って、僕らの前に出してくれた。
それを食べ終わると、いよいよステーキだった。僕はサーロインステーキを頼み、きくはヒレステーキにした。焼き加減はどちらもミディアムレアにした。きくは焼き加減を僕に合わせただけだった。子どもたちはハンバーグステーキだった。油が入れられ、蓋が閉められた。
その隣で野菜を炒めていた。
ステーキが焼き上がると、ヘラで適当な大きさに切ってくれて、こちらに押し出した。僕ときくは鉄板から箸で肉を取り、僕もきくもタレで食べた。子どもたちは皿に焼き上がったハンバーグと野菜が載せられて出された。ハンバーグには特製のソースがかけられた。
京一郎はナイフとフォークが苦手なので、適当にハンバーグを切り分けてから箸で食べていた。
きくが「楽しい旅でしたわ」と言った。
「そうか」と僕は言った。
食べながら、被害者の年齢を考えていた。最初が二十八歳、次が二十三歳、そして、二十八歳、二十六歳、三十二歳、三十五歳、最後が二十八歳だった。平均すると二十八.五歳だった。
犯人の好みは、それほど若い女性ではなかったというわけだ。
最後にデザートが出た。アイスクリームだった。
家に帰ると、父と母が出迎えてくれた。
京一郎が「楽しかった」と言う声が聞こえてきた。
そのまま父も母もダイニングルームにききょうと京一郎と一緒に入り、旅行の話を聞いていた。父と母が僕らのダイニングルームに来るのは、珍しかった。
僕ときくは寝室に入った。僕は着替えると、ひょうたんを机の引出しに入れて、トランクスとバスタオルとタオルを持つと、「京一郎、風呂に入るぞ」と言った。
「はぁーい」と言う声がして、京一郎はダイニングルームから出て来た。
京一郎が来るのを待って、階下の風呂場に僕は向かった。
月曜日になった。定時に出署すると、安全防犯対策課に行った。
デスクに座ると、緑川が来た。
「昨日の黒金保育所の防犯キャンペーンは無事、盛況のうちに終わりました」と報告した。そして、アンケートの束を見せて、「集計が終わったら、課長にお渡しします」と行って戻っていった。旅行については、何も訊かなかった。
午後になったので、警察学校で射撃練習を行った後、西新宿署に行った。
道着に着替えて道場に出ると、すぐに西森がやってきた。
「今日は二本やったら、上に行きませんか」と言った。
「こちらも話したいことがあるので、いいですよ」と言った。
「話したいことって何ですか」と訊くので、「その時に話します」と言った。
主審の者を西森が選んだ。
僕らはコートの外で向かい合い、コート内に入って礼をした。それから開始線まで行って、蹲踞の姿勢を取り、竹刀を向け合った。
主審が「始め」と言ったので、僕らは立ち上がった。西森は仕掛けてこなかった。それならば、こちらから行くしかなかった。竹刀を触れようとすると、西森はかわした。そのかわした竹刀を僕は追いかけた。
西森は素早い足捌きで、竹刀を合わそうとはしなかった。そうなると、仕方なかった。僕は上段に構えて、素早く西森に近付いて振り降ろした。そこを西森は狙っていた。僕から小手を奪った。初めて、西森に負けた。
僕は礼をして一旦コートの外に出た。西森の対策は、竹刀に触れないことだったのだ。竹刀に触れなければ、弾かれることもない。だから、竹刀を交わそうとせずに逃げ回ったのだ。
だが、同じ手は食わない。今度こそ、竹刀を弾いてやる、と思った。
お互いコートの外に立ち、中に二歩ほど入って礼をした。そして、開始線で蹲踞の姿勢を取り、竹刀を向け合った。
主審の「始め」の合図と共に立ち上がると、僕はそのまま西森の小手を狙いに行った。西森は逃げようとしたが、僕の方が速かった。今度は竹刀に触れることなく、西森の小手を打った。「始め」の声から僅か数秒後のことだった。
礼をして、西森が寄ってくると、「やはり二度は通用はしなかったですか」と言った。
「最初は途惑いましたよ。あれを本番まで取っておけば良かったのに」と言うと、「本番では通用しませんよ」と言った。
道着から服に着替えると、十階のラウンジに行った。
二人とも缶コーヒーを自販機で買った。
周りに人がいない席に座ると、西森は「北府中市の女性連続絞殺事件と新宿で起きた二件の絞殺事件は同一犯だと思われます。被害者(ガイシャ)の首に残された絞殺時のロープの線条痕が一致したんです。犯行の手口も犯行場所も犯行の時間帯も似ている。これだけ条件が揃えば、同一犯と考えるのが普通です。それで、西新宿署に合同捜査本部が立ちました」と言った。
「戒名は、『水曜日の絞殺魔事件』ですか」と言うと、「まさか、『北府中市及び新宿区、女性連続絞殺事件』です」と言った。
「それで進展はありましたか」と僕が訊くと、「ええ、少し」と西森は答えた。
「自転車のメーカーがわかりました。台湾の****というところのものです。型番はR*-**です。七年前から製造しているそうで、全国で売られているようです。それほど高いものではありません」と言った。
「そうですか」
「今、一昨年の北府中市に十二月二十日までいた者で、その後、新宿区に住所変更した者をリストアップしているところです」と西森は言った。
「そうですか。でも、それだと結構な数に上りませんか」と言うと「でも、その中に犯人がいる可能性がある以上、潰していかなければなりません」と答えた。
「でも、もう一つ、女性連続絞殺事件が他の場所であったとしたら、どうですか。かなり絞れるんじゃあ、ないですか」と僕が言った。
「他に女性連続絞殺事件があるんですか」と西森は身を乗り出してきた。
「あると言ったらどうします」と僕が言うと、西森はゴクンと生唾を飲み込んだ。