十四
退署し、家に帰ると、きくとききょうと京一郎が出迎えてくれた。
寝室で背広を脱ぎながら、「今度の土曜日なんだが、北府中市にドライブしに行こうと思うんだが、どうだろう」と言った。
「珍しいですわね、あなたがドライブしようなんて言うのは。でも、あなたが、良ければ子どもたちは大喜びですわ」と言った。
「そうか。晴れるといいな」と言うと、「今週末は晴れだそうですよ」ときくは言った。
「テレビを見ていたのか」
「はい。お義母様におやつをいただき、その時テレビを見ていたら、天気予報というのがあって、今日までぐずついていた天気が明日からは良くなって、週末は晴れると言ってました」と言った。
「そうか。そうすると、日曜日の黒金幼稚園の防犯キャンペーンも園庭でやれるな」と僕は言った。
「黒金幼稚園でも防犯キャンペーンをするんですか」ときくが言うので、「そうだよ」と答えた。
「あなたも行かれるんですか」
「まぁ、そうだな。部下がやるから行かなくてもいいんだが、気になるじゃないか」と言った。
「そうですね」ときくも言った。
金曜日は、黒金幼稚園の防犯キャンペーンの準備で一日が潰れた。
そして、土曜日が来た。
午前九時になると、地下の車庫から七人乗りのミニバンを家の前につけた。
運転免許は大学の試験を受けてから、教習所で取った。その時には、東都大学には受かるとは思ってもいなかった。慶明大学には、合格していたが、入学金は、母には払い込んだと言っていたが、ネコババをしていた。もし、東都大学を落ちていたら、浪人することを両親に頼もうと思っていたのだ。だから、東都大学から合格の通知が来た時は、不思議な気がした。
ミニバンに、きくとききょうと京一郎を乗せると、「シートベルトは締めるんだぞ」と言った。
僕もシートベルトを締めると、車を動かした。
普通の道路を使って、北府中市までは一時間ほどだろうか。
道路が空いていたので、椿ヶ丘駅まで五十分ほどで来た。カーナビを使って、北椿ヶ丘公園の位置を確認した。最初にそこに向かうつもりだった。
十分ほどで着いた。駐車場に車を止めて、車からききょうと京一郎を下ろし、最後にきくが降りてきた。
子どもたちは公園の遊具に向かって、「わあー」と言って走って行った。きくがその後を追った。
僕は素肌にポロシャツを着ていた。そしてジーパンを穿いていた。ジーパンのポケットに、ダッシュボードに入れていたひょうたんを押し込んだ。
事件現場は、この園の道を歩いていた先にある林の側だった。子どもたちは、きくに任せて僕はそちらに向かって歩いて行った。
死体発見現場の辺りに立った。辺りには人はいなかった。
ひょうたんを叩いて「あやめ」と呼びかけた。
「はい」
「霊気を感じるか」
「弱いですが、感じます」と答えた。
「読み取ってくれ」
「少し時間をください」
「待っている」と言った。
周りを見た。今立っている少し前にある木がホシが隠れるのに適しているように見えた。そこから通路は近くだった。
ちょっと飛び出せば、被害者に出会うことができる。
「できました」と言うあやめの声が聞こえた。
「送ってくれ」
「わかりました」
そう言うなり、僕は目眩にも似たものを感じた。すでに何度も経験があるから、それはすぐに慣れた。被害種は水沢麗子、二十八歳、OLだった。
会社帰りに椿ヶ丘駅で電車から降りて、自宅に帰る途中だった。左手には新宿駅構内の売店で買った惣菜を持っていた。耳には、イヤホンをしていた。携帯から音楽を聴いていたのだ。好きな若手ボーイズグループの歌だった。
そして、ここを通りがかったのだ。耳にはイヤホンをしていたから、犯人には気付かなかったのだ。すぐに口を塞がれた。左手に持っていた惣菜のレジ袋が落ちた。
すぐにロープが首に巻き付けられた。そして、引き締められた。両手でロープを掴もうとしたが、ロープは首にがっしりと食い込んでいた。そのまま、木陰に引きずられていった。水沢は足をばたつかせた。しかし、無駄な抵抗だった。木陰に引きずり込まれると、なお一層強く首のロープは締まった。水沢の目から涙が出てきた。水沢は男の顔を見ようとした。だが、目出し帽を被っていて、顔は見えなかった。薄らぐ意識の中でガラス玉のような目だけが自分を見ているのを感じた。
水沢は死んだ。
僕は息を吐いた。このシーンはいつ見ても慣れなかった。ひどくムカムカとした気分になった。
もう一度、映像を再現した。匂いを確認するためだった。やはり微かだが、あのヘアリキッドの匂いがした。制汗剤の方は分からなかった。
僕は立ち上がって通路に出た。被害者が歩いてきたのと反対向きに歩いていった。
途中で、遊具で遊んでいるききょうが「パパー」と言って手を振った。同じように京一郎も手を振った。僕も手を振り返した。いくつになっても子どもだなぁ、と思った。
きくは二人の子どもたちを見ていた。
僕の隣に反対向きに歩く水沢がいた。イヤホンの音楽に聴き入っていた。そして、公園の入口に来た。振り返った。どこにでもある公園だった。あの林の近くだけが危険で、他に危険そうなところは見当たらなかった。
そのまま水沢が歩いた逆向きに、水沢が歩いた経路を辿った。公園の側にコンビニがあった。このコンビニの監視カメラの映像から、殺害時刻が割り出されたのだろう。
ここから殺害現場までは数分だった。自転車に乗っていたとしても、それほど時間が稼げるとは思わなかった。犯人はもう少し前に水沢から離れたのだ。
少し先に行くと、またコンビニが現れた。ここの映像も調べられたことだろう。この辺りで犯人は水沢から離れたのではないだろうか。
だが、仮にそうだとして、犯人が稼げた時間は数分に過ぎない。西新宿公園の時と北園公園の時の自転車の映像からしても、犯人は大して時間を稼いでいたわけではなかった。どちらも数分が限度だった。
その数分の間に、犯人は先回りをして犯行現場に行ったのだ。そして、獲物が来るのを待った。
一見すれば、際どい犯行のように思える。しかし、狩りとはそのようなものではないのか。もし、不都合なことが起これば中止すればいいだけのことだ。事件の日付けはたまたま狩りに成功した日に過ぎないのではないだろうか。
犯人は水曜日にはこだわっているが、それ以外にはこだわりがないのではないか。
狩りが成功できると思ったらする、それだけのことかも知れなかった。
念のため駅まで歩いて行った。水沢がその間に不審に思ったことは、何もなかった。いつも通りに駅を降り、いつも通りの道を歩いて、家に向かったのだ。
水沢のアパートは、北椿ヶ丘公園を突っ切った先にあった。駅からは三十分ほどのところだろうか。僕は北椿ヶ丘公園に戻っていった。この公園を無事通り過ぎれば、後十分で自宅に帰れたのだ。水沢はいかに無念だったろう。最後に流した涙にそれは現れていた。
公園に入っていくと、きくが寄ってきた。
「これからどうしますか」と訊いた。
時計を見た。午前十一時を過ぎたところだった。きくは、お昼にするかどうか、僕に訊いたのだ。
「いや、もう一つの公園に行って、そこでお昼にしよう」と言った。
「わかりました」ときくは言った。
僕はきくと一緒に歩いて、ききょうと京一郎を迎えに行った。
二人を連れて、駐車場に向かった。
車にきくとききょうと京一郎を乗せると、南椿ヶ丘公園に向かった。十分ほどで着いた。
北椿ヶ丘公園からはそれほど離れてはいなかったのだ。椿ヶ丘駅から歩いて三十分ほどのところにある公園だったから、当然と言えば当然だった。