小説「僕が、警察官ですか? 2」

十一

 僕がソファの方に移動していると、黒金幼稚園に行っていた三人が帰って来た。

「ただいま、戻りました」と緑川が言った。鈴木浩一と並木京子はそのまま自分のデスクに向かった。

 緑川が残り、僕の前のソファに座った。報告をするためだった。

「どうだった」と訊いた。

「順調に話は進みました。当日は、町会の人と敬老会の人も来てくれるそうです」

「そうか。花村幼稚園の時と同じだな」と僕が言うと、「それで、園長から来てくれた人にアンケートを取ることが提案されたのです」と緑川が言った。

「具体的にはどんな提案だったんだ」と訊いた。

「黒金地区はあまり治安が良くないところですから、普段、どのようなことに不安を感じているか、といったような項目を挙げていられました」と言った。

「そうか。じゃあ、アンケートを作って、その日に配り、記入してもらって回収するということだな」と訊くと「そういうことになりました」と緑川は答えた。筆記具も用意しておかないといけないな、と思った。

「アンケート作りはどうなっている」

「鈴木と並木が原案を明日までに作るそうです。そして、明後日に仕上げるそうです。印刷はパンフレットと一緒に金曜日に行います」と言った。

「分かった。忙しいんだな」

「今日は水曜日ですよ。防犯キャンペーンは日曜日なんだから、急がなければなりません」と緑川が言った。

「今日は水曜日か」と僕が呟くと、「午後から雨だそうですよ」と緑川が言った。

 だったら、水曜日の絞殺魔は今日は現れないというわけか、と僕は思った。

 今までの五件の事件では、雨の日には一件も起こっていなかったからだ。おそらく、被害者を確認するのが難しいのと、犯行自体が難しいからだろう。それに、足跡など、余計な証拠も残すことになる。犯行は、晴れか曇りの日に限られている。これは断言できる。

 

「できましたよー」と滝岡が声を上げた。

「できたか」と僕は言って、ソファを立ち上がった。

 滝岡がどき、椅子に僕が座ると、滝岡はマウスを操作して、目的の映像を映し出してくれた。西新宿公園の前にあるコンビニの映像だった。

「この前の映像はあるかな」と訊くと、「これですか」と滝岡は答えて、マウスを動かした。そして、「このファイルをクリックすると、曜日とナンバーが書かれた映像ファイル名が出て来ます。そのナンバーの新しい順に時系列に映像が保存されているんです。だから、その日の一番少ない番号をクリックすると、被害者の最初に映し出された映像が見られるわけです」と言った。滝岡は「050901」と書かれたファイルをクリックしていた。

「これが最初の映像です。新宿南口近くのコンビニの映像です」と言った。

「分かった。後は私がやる」と言った。

 滝沢が離れていくと、「050901」のファイルから「050926」のファイルまで見た。どれも一分ほどの映像だった。自転車に乗っている人の映像は、その中に多く映っていたが、気になったのが「050922」の映像に映っていたものだった。自転車に乗っていたその男は、明らかに秋野恵子を見ていた。そして、秋野の姿が映像から消えようとする頃、別の方角に自転車を走らせていった。

 その映像からは、男の顔は分からなかった。黒いブレザーのようなものを着ていた。ズボンも黒だった。よく見かける社員の夏服と変わらなかった。

 次は北園公園の方だった。

 ファイル名は「022001」から「022024」まであった。

 ほとんどがコンビニから提供された映像で、これも一分ほどだった。

 やはり自転車に乗っている人が多く映り込んでいた。気になったのは、「022020」の映像だった。自転車に乗っていたその男は、足を地面につけて、自転車を止めていた。そして、西沢奈津子の方に視線を向けているように見えた。そして、西沢が見えなくなると、足を地面から離して、やはり、別の方角に自転車を走らせていった。こちらは黒い帽子を被っていたので、顔は全く分からなかった。服装は黒いジャンパーに黒いズボンを穿いていた。

 両方の映像を見比べてみた。この人物が犯人だとすれば、背格好は似ていたし、プロファイリングとも一致していた。そして、何よりも自転車が同じように見えたのだった。

 滝岡を呼んだ。

「この映像から、この自転車がどこのメーカーのものか分かるかな」と、滝岡に二つの映像を見せて言った。

「えー、この映像から見分けるんですか」と滝岡は嘆いた。

「科捜研ならできるかも知れませんが、わたしでは……」と言ったが、「そう言わずにやってくれ」と僕は滝岡の肩を叩いた。映像をUSBメモリーにコピーして滝岡に渡せるものならそうしている。しかし、コピーはできないようになっていた。従って、滝岡は僕のパソコンを使うしかなかったのだ。

 

 僕はソファに移動した。実はこっちの方が座り心地が良かった。

 あの自転車がどこに向かって行ったのかは、今となっては分からない。あの映像は、被害者を映したものばかりだったからだ。もっと範囲を広げて映像が採取されていれば、自転車の動きも分かったただろうが、当時、そこまで考えた者はいなかっただろう。

 そして、今、考えついたとしてももう映像はない。とっくの昔に上書きされているだろう。

 

 その時、安全防犯対策課のドアがノックされて、女性警察官が「鏡課長、署長がお呼びです」と言った。そして、緑川に「これを」と言って、何か渡した。署内の電話を使わなかったのは、緑川に書類を渡すついでに、用事を頼まれたからだということが分かった。

 僕はソファから立ち上がって、安全防犯対策課を出た。

 外には、伝言を伝えた女性警察官が待っていた。

「なにか」と僕が訊くと、彼女は「途中までご一緒しようかと思いまして」と言った。

 僕は苦笑いをした。

「どうかされましたか」と彼女は訊いた。

「いや、私がそれほど変人に見えるのかな、と思ったものだから」と答えた。

「変人だなんて」と彼女は言ったが、続けて「でも、キャリアがどうしてこの署を選ばれたんですか」と言った。

「どうも誤解があるようだな。私が、ここを選んだ訳ではない。命じられたから来たまでだ」と言うと、「そうなんですか。もっといいポストに就くことができただろうに、と皆、噂してますよ」と答えた。

「それは買いかぶりか、思い過ごしだ。私は、自宅から歩いて通えるところを望んだだけだ。それにここは私に似合っている」と言った。

「そうなんですか」と彼女は言った。そして、通路が曲がるところで、「ではわたしはこれで」と言って、彼女は離れていった。

 僕はそのまま真っ直ぐ署長室に向かった。

 

 署長室に入ると、「鏡課長、ソファに座ってくれ」と言った。

 女性警察官がお茶を運んできた。

 署長が僕の前に座ると、「月曜日は大変な活躍だったそうだね」と切り出した。

「何のことですか」

 剣道の真似をして、「これのことだよ」と言った。

 ああ、と思った。

「今日、西新宿署に行ってきたんだよ。そうしたら、西森君に会ってね。月曜日の剣道のことを聞いたんだよ」

「そうですか」

「あの西森君が手も足も出なかったそうじゃないか」

「そう言ってましたか」と訊いた。

「そう言ってたよ。そして、全国警察剣道選手権大会に出れば三連覇はまず間違いなしですよ、とも言ってたな」と言った。

「それはお世辞ですよ」

「そうか。真顔だったけれどな」と言った。

「用事は何でしょうか」

「東京都剣道選手権大会に出てくれないか」と言った。

「私にその意思はありませんよ」と言うと「そこをなんとか出てくれないか」と言った。

「お断りします。確か全国警察剣道選手権大会と日程が近いですよね。そんな大会には出ません」と僕は言った。

「まいったなぁ。西森君には、出るって返事をしてしまったんだよ」と署長は言った。

「それなら、ご心配には及びません。今度、月曜日に会った時に、はっきりと出ないと伝えておきますから」と言った。

「はぁー」と署長は頭を抱えた。

「用件はそれだけですか」と訊くと、「ああ」と答えたので「では、失礼します」と言って、ソファを立った。