小説「僕が、警察官ですか? 2」

 家に帰り着いたのは、午後八時頃だった。

 僕は射撃訓練や剣道をしてきたので、風呂に入りたかったが、僕が帰ってくるまで、夕食をとるのを待っていてくれた子どもたちのために食事を先にすることにした。

 

 夕食の後、風呂に入った。子どもたちはきくが入れていたので、僕一人だった。一人で風呂に入るのは、久しぶりだった。

 浴槽に浸かると、今日の西森幸司郎の話が浮かんだ。

 

 去年の五月九日水曜日、午後八時半から十時頃に西新宿公園で、女性会社員、秋野恵子三十五歳が絞殺死体で通りがかりの者に発見されたのが最初だった。

 午後八時半から十時頃という死亡時間ないし、犯行時間の推定は、近くの防犯カメラに写っていた秋野恵子の生前の映像と遺体が通りがかりの者に発見された時までの時間だった。それは遺体所見と一致していた。

 次に今年の二月二十日水曜日、午後九時から十一時頃に北園公園で起きた、パートタイマー、西沢奈津子二十八歳の絞殺死体で、これも通りがかりの者に発見されたのが二番目だった。午後九時から十一時頃という死亡時間ないし、犯行時間の推定は、やはり近くの防犯カメラに写っていた西沢奈津子の生前の映像と遺体を通りがかりの者が見付けるまでの時間によってだった。これも遺体所見と一致していた。

 この二つの事件が、同一犯なのかそうではないのか、今のところ両方の面から捜査が行われているようだった。同一犯だという意見は、両方の被害者が女性で年齢が似通っており、何よりも殺害方法が似ているという点だった。

 そして、物盗りの犯行でないことも一致していた。また、女性の着衣に乱れはなく、淫行目的でないことも分かっている。

 プロファイリングによれば、二十代から五十代前半までの男性。筋肉質で、百七十センチ以上。ある程度、成熟した女性に興味のある者、とされているようだった。

 以上が、西森幸司郎から聞けた話だった。週刊誌程度でいいと言ったが、西森は意外にも、詳しく話してくれた。

 

 僕は風呂から上がると、肌着とポロシャツを来て、ジーパンを穿いた。ジーパンのポケットには、あやめの入ったひょうたんを無理に押し込んだ。家から出たら、ベルトから下げるつもりだった。

 きくが「今から、どこかに行かれるんですか」と訊くので、「ああ、湯上がりに散歩でもしてみようかと思って」と答えた。

「そうですか」と言った。

 僕はすっかり虜になっていた安全靴(「僕が、剣道ですか?」シリーズ参照)を履くと、玄関のドアを開けた。

「気をつけて行ってらっしゃいませ」と言うきくの声が聞こえた。

 

 今、午後九時だから、速く歩けば、二十分後には西新宿公園に着く。僕は急ぎ足で歩いた。

 九時半前には、西新宿公園に着いた。

 五月末だったから、普通にジョギングしている人やカップルが幾組かいた。

 絞殺死体が見つかったのは、人気の少ない場所だった。木陰だったそうだ。

 僕は辺りに人がいないことを確認して、ひょうたんの栓を抜いた。あやめが現れた。

 あやめは僕の腕にすがりつくようにすると、「嬉しい。こうして外で逢い引きができて」と言った。

「おいおい、遊びに来たわけじゃないんだ。ちゃんと仕事をしてくれ」と僕は言った。

「何をすればいいんですか」

「この辺りに霊気が漂っていないか、確認して欲しい」

「はぁーい、わかりました」とあやめが言った後、しばらく沈黙が続いた。

「どうした」と言おうとした時に、「あっちです」とあやめが指さした。

 そこは林のようなところになっていて、入って行くと、一組のカップルに出会った。キスをしていた。彼らは僕に気付くと、去って行った。あやめは、僕の後ろにしゃがんで隠れていた。

「もう、いいよ。で、どこなんだ」と僕は言った。

「ここです」とあやめが指し示したところは、林の中の一本の木の下で、周りに低木があり、近寄らなければ、死体があったとしても決して人に見つかるようなところではなかった。

「霊気を感じるのか」と訊いた。

「はい」とあやめは答えた。そして、黙った。あやめは霊気を感じとって、それを頭の中に取り込もうとしているのだ。僕はそれを邪魔しないように見守るしかなかった。

 しばらくすると「取り込みました」と言った。

「それを私に送れるか」と訊いた。

「やってみます」とあやめは答えた。

 すぐに頭の中を掻き回されるような目眩を感じた。

 背後から、ロープを首に巻き付けられて、締め上げられている女性の気持ちが直接伝わって来たのだ。凄まじい苦しみが襲った。息ができなかった。手でロープを解こうとしたが、それはがっちりと首を締め付けていた。足が伸び切った。意識が薄れていった。女性は死んだ。

 僕は呼吸を整えた。凄まじい体験だった。

 映像を少し前に戻した。秋野恵子は会社帰りは、いつもここを通っていた。社員の女性と新宿で午後八時前まで夕食をとって、帰宅する途中だった。

 公園の前にコンビニがあった。そこを通る時の映像が、ほぼ午後八時半だったのだ。

 そして、この公園に入った。公園に入ると、すぐに秋野は携帯を取り出して、メールを読んでいた。そして、返信していた。だから、背後から来る者に気付かなかったのだ。

 秋野はこの林よりも開けた公園内の道を歩いていた。

 林に近付いてきた。その背後に犯人がいたのだろう。

 突然、口を皮手袋した手に持ったハンカチで塞がれ、引きずられるようにこの林に連れ込まれた。

 当然、秋野は抵抗した。しかし、男の力は強かった。すぐに首にロープのようなものが巻き付けられた。それで声が出なくなった。口を塞いでいた手は離れて、ロープを引っ張った。頸椎が折れそうなほどの力だった。

 秋野の手がロープを掴もうとするのが、やっとだった。しかし、できなかった。秋野は失禁していた。そして、息が止まった。

 男の顔は見えなかった。素顔でこの犯行に及ぶとは思えなかった。直前に目出し帽でも被っていたかも知れなかった。

 しかし、手慣れた犯行だった。犯人に躊躇する感じが全く無かった。

 犯人はがっしりした男だった。秋野の身長が百六十二センチだったから、ハイヒールを履いていたとしたら、男の身長は百七十センチ以上は必要だった。

 もう一度、映像を見た。秋野は五センチほどのベージュのハイヒールを履いていた。

 殺されたのは、公園に入ってすぐだから、午後八時四十分から五十分頃だろう。後で、コンビニの防犯カメラからここまでの時間を確認してみようと思った。

 それから犯人は何をしていたのだろう。

 霊の映像は、死亡するところで止まっていた。その後、あやめのようになって、犯人を観察することはなかったのだ。それはそうだろう。突然、死が襲ってきたのだから。

 ここで秋野が殺されて、死体が発見されるまでには、一時間ほど時間がある。

 周りを見渡してみた。ここに死体があっても、すぐに発見される場所ではない。

 ここまでカップルが入ってこなければ見つからなかっただろう。発見者については、西森からは聞いていなかったが、さっきのようなカップルだったのに違いない。

 見落としたものがないか、もう一度、周りを見た。あやめから送られてきた映像に加えるものはなかった。

 僕は映像を遡らせた。

 新宿のレストランで同僚の女性と夕食をとっている光景が見えた。そこに犯人らしい者は映っていなかった。この時には、秋野はターゲットになってはいなかったのだろう。

 僕はそのレストランの前まで歩いて行った。犯行現場から二十分弱かかった。

 このレストランを午後八時二十分頃、秋野は出た。そして、歩いて帰った。自宅は西新宿公園を通り越した向こうにある。西新宿公園をつっ切れば、二十分ほどで帰れるところにあるタワーマンションだった。そして、十分ほど歩き、公園前にあるコンビニの前を通った。これが午後八時半頃だった。そして、公園に入っていった。

 秋野をターゲートにした犯人は、最初から公園にいたのだろうか。それとも、途中からつけていたのだろうか。もし、途中からつけていたとしたら、コンビニのカメラに録画されているはずだ。しかし、捜査陣もそのくらいは分かるだろう。秋野の後に映っている者を片っ端から調べたのに違いない。

 しかし、犯人はそんなへまはしまい。とすると、最初から公園にいたか、遠くから秋野を見ていたかのどちらかだ。とにかくコンビニのカメラには写ってはいない。これは確かだ。

 そこから事件現場まで歩いてみた。公園には、適度な照明設備が施されている。秋野が歩いた公園内の道も、それほど危険だとは思われなかった。ただ、林の近くを通るところだけが危うかった。そのただ一箇所を狙われたのだった。

 犯人はもちろん、他に目撃者がいれば、秋野を襲うことはなかっただろう。そして、秋野が襲う前に気付いていたなら、これも襲わなかっただろう。秋野はその時、携帯のメールのやり取りをしていた。これが不運だった。

 

 時計を見た。午後十一時を過ぎていた。北園公園は帰り道にあるから、そこも検証しようとしたが、今日は止めることにした。

 あやめをひょうたんに入れて栓をした。栓をする時、あやめは「後でご褒美ね」と言った。

 

 家に戻った時には、午後十一時半を少し過ぎていた。

 きくが「お帰りなさい」と言った。

「子どもたちは寝たか」と訊くと「はい」と答えた。

 

 きくが眠ると、時を止めて、ダイニングルームの長ソファに行って、ひょうたんの栓を抜いた。あやめが現れて、「今日は疲れたんですよ」と言って抱きついてきた。

 あやめと交わった後、ひょうたんに栓をした。疲れていたので、シャワーを浴びることなく、寝室に戻った。ベッドに入ってから、時を動かした。