小説「僕が、剣道ですか? 6」

三十五

 船着き場に着いた。

 風車は、みねの手を取りながら、桟橋に降りた。

 舟は空いていた。

 二艘使うことにした。

 一つの舟には、風車とみねを乗せた。そして、もう一艘の舟に僕と行李を担いでいる小僧が乗った。

 向こう岸には、すぐに着いた。

 舟から下りると、船頭に代金を渡した。

 風車はみねの手を引いて土手に上がった。そして、家に向かった。

 

 風車はゆっくりと歩いてくるので、小僧には風車たちの後ろを歩くように言って、僕だけ先に行って、門を開けようと思った。

 門を叩くと、すぐにきくが門を開けてくれた。

 門を大きく開いて振り向くと、太陽を背にした風車とみねが見えた。

「さぁさぁ、中に入って」と言うきくの声がした。まだ着物は着替えていなかった。

 風車とみねが玄関に入ると、きくは二人を表座敷の方に案内した。

 座卓には、上座に二枚並んで座布団が敷かれていた。

 行李を担いできた小僧には、行李を玄関の上がり口に置かせた。そして、帰りの船賃とは別に祝儀を含んだ駄賃を渡した。小僧は、こんなにもらっていいのか、という顔をしたが、「今日は祝いの日だから」と言うと、嬉しそうに玄関を出て行った。

 僕は門を閉めて、表座敷に上がった。

 二人は、座布団を外して、畳に座り、僕を待っていた。

「さぁさぁ、座布団に座って」と僕が言うと、風車が頭を下げ、それに習うようにみねも頭を下げた。

「この度は、ありがとうございました。いくら返しても返せぬ借りができました」と風車が言った。

「そんなことは……」どうでもいいことです、と言おうとしたが、それでは、この身請けの値打ちが下がってしまうと思い直して、その先は言わなかった。僕は値打ちが高い方がいいと思っているわけではなかった。風車とみねにとって、どれほど大事なことだったかが重要なのだ。

 二人がもう一度僕の勧めで、座布団に座ると、きくがお茶を持ってきた。頃合いを見計らっていたのだろう。

 きくが、二人にお茶を出すと、僕の隣に座った。

「これがきくです」と僕はみねに言った。

 きくは二人に頭を下げて、「きくです。よろしくお願いします」と言った。

「奥方ですよね」とみねが言ったので、横で風車が肘でみねを突っついた。みねは言ってはいけないことを言ったことに気付いて、「済みません」と小声で謝った。

「以前は京介様のお世話係をしていました。でも、藩を出た今は何でしょう」ときくは、この時ぞとばかりに言った。

 僕は「私の方に事情があって……」と言い出したが、どんな事情で結婚ができないのかは、説明できないことに気付いたので、そこで止めた。でも「妻のようなものです」と言うと、きくは嬉しそうに僕を見た後、顔を俯けた。

 あーあ、絵理が遠くなる、とちらっと思った。

 

 僕は気を取り直して、「さて、お二人に話したいことがあります」と言った。

「お二人は夫婦(めおと)になりたいと思っていますか」と訊いた。

 風車とみねは顔を見合わせた。そして、風車が「わたしはおみねさんをおかみさんにしたいです」と言った。

「おみねさんはどうですか」と僕が訊いた。

「わたしは……」と言った後、「それは本当のことですか」と訊き返した。

「本当です」

「でしたら、わたしに異存はありません」と答えた。そして「わたしには過ぎたることです。でも、本当でしたら、風車様と夫婦になりたいです」と続けた。

「それを聞いて安心しました。婚姻の祝宴をもう用意しているんです」と僕が言った。

「えっ」と風車は驚いた。

「この前、会席料理を食べたでしょう」と風車に言うと頷いた。

「そこで、今日、婚姻の祝宴を行います。形ばかりの簡単なものですが、それで祝言としましょう」と僕は言った。

 そこまで言うと、みねが泣き出した。

「わたし……信じられません」

 きくがみねの隣に行って、背中をさすった。

「本当ですよ」ときくが言った。

「あの時、そこまでお考えになっていたんですか」と風車が言った。

「まぁ、いいじゃないですか」と僕が言うと、「うかつでした。でもありがとうございます」と風車は言った。

「ですから、今日の夕餉はあの料亭の祝宴の料理になります。祝宴を始めるのは、酉の刻です。そして、風呂は遅くなりますが、帰ってから入りましょう」と僕は言った。

「まだ、時間がありますから、おみねさんに家を案内したらどうだろう」と僕は風車に言った。

「そうですね。そうします」と風車が言った。

 二人は立ち上がると、まず自分たちの住む離れに向かった。

 僕は、玄関の上がり口に置いてあった行李を離れに運んだ。その時、風車が「わたしが運びましたのに」と恐縮した。

 

 午後四時を過ぎた頃に、僕はきくに「そろそろ着替えたらいいだろう」と言った。

「ええ、そうしますわ」

 ききょうはずうっと大人しくしていた。何かがあるんだろう、と子どもながらに思ったのだろう。いつもと違う雰囲気に興味を持っていたのかも知れない。

 きくの着付けはすぐに終わった。後はききょうだった。ききょうも大人しく、新しい着物を着た。

 

 風車とみねが一通り見終わったようなので、「じゃあ、出かけましょうか」と言った。

 きくは新しい下駄を出して履いた。

 ききょうは僕が抱いた、ききょうの履くかどうか分からない下駄を持って。

 風車とみねは、まず風車が草履を履き、みねの手を握って、下駄を履かせた。

 玄関を出ると、門の隣の通用口から外に出て、そこの鍵を閉めた。

 五人でゆっくりと両国に向かって歩き出した。

 僕ときくが先になって、風車とみねが後になった。

 酉の刻の少し前に、料亭に着いた。

 川に面した二座敷が取られていた。

 一方の座敷に宴会の準備がされていたので、もう一方は何か芸を見せるためのようだった。

 僕は宴会場を見ると、女将に紙に包んだ三両を渡した。

「後でよろしかったのに」と女将は言ったが、「騒いでいるうちに忘れたら困るでしょう」と僕は言った。

 面倒なことは、早めに済ませたかったからだった。

 その他に一分金を紙に包んで用意して置いた。高砂を歌ってくれる人に渡すためだった。

 酒は一本だけ用意してもらった。

 杯は、四つだった。酒は飲めなかったが、結婚の固めの杯を上げるためだった。

 時間が来た。

 どう宴会を進めていいのか、分からなかったので、太鼓持ちに訊いた。すると「任せてください」と言った。それから、結婚をする者、仲人をする者の名前を訊かれた。僕が仲人なのか、と思ったが、仕方なく名前を言った。すると、「奥様も」と言われ「きく」と答えた。

「最初に固めの杯をしたいのだがな」と言うと、「わかりました」と言った。

「では、夫婦になられる風車大五郎様、おみね様、お二人は杯をお持ちください。仲人の鏡京介様、おきく様も同じように」と言われた。

 僕らが杯を持つと、酌女が酒を注いで回った。

「では、鏡様からお言葉をお願いします」と言われた。

 えー、急に言われてもな、と思いながらも、言わないわけにはいかなかった。

「風車大五郎殿。そしておみねさん。今日はおめでとうございます。今日からお二人は夫婦になられます。これは固めの杯です。どうか、円満に、末永く共に歩まれますように。乾杯」と言った。

 僕は飲めない酒を飲み干した。きくは少し、口をつけただけだった。お腹に赤ちゃんがいるからだった。

 風車とみねは酒を飲み干した。周りの者が拍手をした。そして、太鼓持ちが「おめでとうございます。これで晴れて夫婦になられました」と言った。

 そして、三味線が鳴った。太鼓持ちは太鼓を後ろに回して、背筋を伸ばした。

高砂やー」と歌い出した。

 歌い終わると、僕たちも拍手をした。

「どうぞ、料理を召し上がってください」と言った。

 僕らは料理に箸を付けた。

 向こうの座敷では、二人の女が三味線に合わせて踊っていた。

 そのうち、ひょっとこが出て来て、杯を差し出す。仕方なく、酒を注ぎ、酒を追加した。

 二時間もかからず、宴会は終わった。

 僕は高砂を歌った太鼓持ちに、紙に包んだ一分金を渡した。

「ありがとうございます」と言って懐に入れた。