三十一
家に戻ると、きくに饅頭と魚を渡しながら、今日のことを話した。
「そうでしたか。大変でしたね」と言った。
「身請けの後に祝宴もしてあげようと思うのだがどうだろう」と言った。
すると、「祝宴は両国のどこか料亭を借りて行えばいいんじゃありませんか。そこで高砂を歌える人も付ければ祝言にもなるじゃあ、ありませんか」と答えた。
「そうか、そういう手があったか」と僕は感心した。
ちょっとした結婚式みたいなものだ。料亭に頼み、そこに任せればいいのだときくに教えられた。
おやつは饅頭だった。
風車は離れに籠もって、出てこなかった。
夕餉の席で、風車に「おみねさんを身請けしたら、夫婦になる気はござらんのか」と訊いた。その時、風車ははっと顔を上げた。
「そのことに気付きませんでした」と言った。
「どうなんですか」
「拙者はそう思っていますが、向こうは……」と言ったので、きくがすぐに「風車さんのお考えでいいんですよ。身請けするんですから」と言った。
「それなら、拙者は夫婦になりたいです」
「そうですか。それなら、私たちに任せてもらえますか」と僕が言った。
「ええ」
「身請けしたその日に、夫婦にしてあげますよ」と言った。
「形ばかりの祝宴をご用意しますわ」ときくが言った。
しばらく風車は黙っていた。そして、涙を流した。泣きながら「ありがとうございます」と言って、頭を下げた。
「では、進めてもいいんですね」と僕が言うと、風車は頷いた。
「それと、今の着物で身請けに出向くのはどうかと思うので、明日、紋付羽織袴を買いに両国に行きましょう。きくも紋付の礼装の着物を買うんだぞ。ききょうもな」と僕は言った。
「わたしも吉原に行くんですか」ときくが言うので、「きくは行かないよ。行くのは私と風車殿だけだ。その後の……」と言葉を濁すと、「ああ」ときくは頷いた。
風呂に風車と入ると、「何から何までありがとうございます」と言った。
「大したことではありませんよ。それに後五日です。五日経てば、ここにおみねさんを迎えましょう」と言った。
「はい」
「こちらも準備が必要だし、向こうも準備があるでしょうからね、五日はあっという間に過ぎますよ」
「そうですね」と風車は言った。
「おみねさんを迎える準備は、いいですね」と言うと「どうしたらいいのですか」と訊いてきた。
「まず、布団がいるでしょう。それに茶碗や湯呑みや箸。湯上がりの浴衣。いくらでもすることがありますよ。明日から、それらを風車殿が用意するんです」と言った。
「そうでしたね」と風車は言った。
「それほど時間があるわけではないんですよ」と言うと「確かにそうですね」と応えた。
蚊帳を吊り、寝室できくとききょうが眠ると、時を止めて、奥座敷に行った。
あやめが出て来て、「風車様はようございましたね」と言った。
「ああ」
「主様がホッとされているのが、わかります」
「だから……」
「心を読むなでしょう。そんなこと言われなくても、わかりますよ。見ていれば」
「そうか。でも、こうなればこうなったで、これからが大変なんだがな」と言った。
「そうですわね。でも、風車様が羨ましいですわ」
「…………」
「京介様にこんなにも思われているんですもの」
僕は笑った。
「男に焼いてどうするんだ」
「それだけではありませんよ。風車様はおみねさんと夫婦になれるんですもの。羨ましいですわ。わたしは最初から夫婦には決してなれませんでしたから」と言った。
あやめの言いたいことは分かった。
「そうだな」と言った。
「わたしを憐れんでくださいますか」と言うと、抱きついてきた。
女の術中に嵌まったとは思ったが、そのままあやめを抱いた。
翌日、朝餉を済ませたら、早速、両国に行った。
大きな呉服屋を探し、そこに入った。
紋付羽織袴を二組と、きくの紋付の礼服に、やはり紋付のききょうの着物を買いたいと言った。
店の中に上がり、それぞれ採寸をした。それが終わると、布の見本を取り出してきてどれがいいか訊くので、流行の物で高級な物を選んだ。ききょうは見本を見て、適当に指を差していた。
家紋について訊かれた。
「風車殿の家紋は」と僕が訊くと「風車です」と言った。そのまんまじゃないか、と思った。
店の者が見本帳を見せて、「これですか」と訊くと、「それです」と風車は答えた。
次に僕だった。僕の家の家紋は珍しい名前だったので覚えていた。
「三種の神器というのは、ありますか」と訊くと、店の者は見本帳を繰って、「ああ、これですね」とその家紋を見せた。家紋の図の下に「三種の神器」と書かれていた。
「それです。ではそれでお願いします」
「確認しますね。こちらにいる風車様が『風車』の家紋でいいんですね」
「そうです」と風車が言った。
「そちらの鏡様は『三種の神器』という家紋でよろしいんですね」と言った。
僕は「結構です」と答えた。
「それでですが、四日後にその着物を着たいので、三日後までに仕立てられますか」と訊いた。店の者は奥にいた職人に確認して、「大丈夫です。では、三日後の夕刻にでも来て頂ければお渡しします」と言った。
「代金は」と言うと「八両になりますが、その時で結構です」と言った。
「分かりました」と言って、店を出た。
昼餉時になっていた。
大川沿いの料亭に入った。
入る時、きくが「昼餉を料亭で食べるんですか」と訊いた。
「どんな味か知っておきたいじゃないか」と僕は答えた。
一番安い会席料理を頼んだ。
そして、店の女が来ると、女将を呼んでくるように言った。
しばらくして、女将が来た。
僕は座から離れて、通路に出て、女将と話をした。話すことを風車に聞かせたくなかったからだ。
「四日後の夕刻に、ちょっとした宴席、祝言なんだが、それをしたいと思っています。来る人数は、今いる四人、赤ん坊も含めてですが、それにもう一人、女性の五人です。あそこにいるのが風車殿というのですが、彼と夫婦になる女が来ます。その時、細やかながら祝宴を開きたいと思っています。そこで、高砂を歌える者がいるんですが、都合がつきますか」と訊いた。
女将は「わかりました。それはご用意できます。ちょっとしたお囃子の者も呼べば、高砂を上手く歌ってくれますよ。それに祝宴が盛り上がります」と答えた。
「全部で、いくらかかりますか」と訊いた。女将は指を三本出した。
「三両でいいのですか」と確認すると、頷いた。
「時刻はわかりますか」と女将が訊いた。
「夕刻としか言いようがありませんが、時間を指定して欲しければ言ってもらえればなるべく都合をつけます」と僕が言った。
「酉の刻(午後五時から七時頃)ではどうでしょうか」と女将が言った。
「大丈夫だと思います。遅れるようなら、誰か使いを出して知らせます。その時は追加料金も払いますよ」と僕は応えた。
「あまり、遅れなければ、気にされなくても結構です」と女将は言った。
それで、女将からは離れた。
座敷の卓には、料理が沢山用意されていた。
僕が来るのを待っていたのだ。
「いただきます」と言って、最初の箸は僕がつけた。