三十二
きくが寄ってくると、「何て言われたのですか」と訊いた。
僕は少し考えて、「凶相が出ていると言われた」と答えた。
「まぁ」
きくは振り向いて易者の方を見ようとした。しかし、その時には、易者は立ち去った後だった。素早かった。
「変な易者でしたね」と風車は言った。
「奴は公儀隠密でした」
「そうなんですか。そんな奴と話をされたのですか」
「公儀隠密といっても、いろいろいるもんなんだなと思いました」
「すると、鏡殿が会われていたのは、公儀隠密だとしても敵ではなかったのですね」
「今のところは。しかし、所詮は公儀隠密は公儀隠密です」
僕はそう言いながら、奴の狙いは自分の情報と引換えにしてでも、僕の力を確認したかったことにあったのだろうと思った。
根来三兄弟と同じ力を持っていると考えれば、彼らは戦法を変えてくるかも知れなかった。より、気をつけなければならなくなったということなのかも知れなかった。
また歩いて行くと、人だかりがしていた。
「何でしょう」と僕が言うと、「見てきますよ」と好奇心旺盛な風車が、もう走り出していた。
僕が台車を押して、ゆっくりと歩いていると、風車が戻ってきて、「あそこで講談師が面白い話をしていますよ」と言った。
「講談師なんだから、面白い話はするでしょう」と僕が言うと、「でも、来てくださいよ。聞いてみれば驚きますから」と言った。
僕はきくの方を見た。きくも興味を持ったようだった。
僕は台車を押して、講談師の方に向かった。風車が「ちょっとどいてくださいね」と言って、台車の通る道を空けて、講談師の前に連れて行った。
講談はこれから佳境に入るところだった。
「さて、お立ち会い。泉京太郎は木の槍を見て、それでは不服だと青松藩の殿に申し上げたのだ。真の槍でお願いすると言い出したのである。木の槍でさえ、二十本もあるのに、それを本物の槍に変えろと、言い出したのである。これには、青松藩の殿も驚いた。しかし、泉京太郎の言うことである。聞かぬ訳にはいかなかった。木の二十本槍の部隊は本物の槍を取りに行った。その間に泉京太郎は木刀から、真剣に取り替えて、二十本槍が来るのを待った……」
自分の話が講談にのせられているよりも、京太郎という名前が出て、亡くなった京太郎のことを思い出していた。
「ねっ、鏡殿のことを講談にしているでしょう」と風車は興奮して言った。
「そうですね」と僕は言った。
「自分のことですよ。凄いじゃありませんか」と風車は言ったが、僕は台車に座った。
きくも詳しい話は初めて聴くことなので、興味を引いたのだろう。前に出て聴いていた。
僕は台車を邪魔にならないところに下げると、講談が終わるまで腰を下ろしていた。
話が終わるまで、結構時間がかかった。
それはそうだろう。二十人槍の後には、氷室隆太郎との戦いが待っているのだ。それを聴き終わるには、時間がかかることだろう。
近くに甘味処を見付けたので、そこで団子を頼んで待っていた。
相当経ってから、人が散らばり、きくも風車も戻って来た。僕が団子を食べ終えたのを見ると、二人とも団子を頼んだ。
「面白かったですよね」と風車が言うと、きくも「面白かったです」と言った。
「あんなことがあったんですね」ときくが言うと、僕は「講釈師が脚色して、大袈裟に言っているだけだよ」と言った。
「でも、普段の鏡京介様を見ていると、二十人槍なんて何てことないですよね」ときくは言った。
「そうそう、何てことない」と風車も相づちを打った。
「だって、百六十人ぐらいは平気で斬ってしまうんですものね」ときくは言った。
「そうそう」と風車は言った。
「でも、講談師の話は面白かったですね」と続けた。
「確かにそうでしたわね。その場にいるような感じでした」ときくが言った。
そのうちに団子が運ばれて来た。
「昼餉は団子になってしまいましたね」と僕が言うと、「それじゃあ、お汁粉も頼もうかな」と風車は言った。
風車がお汁粉を食べている間に、きくは饅頭を五個、おはぎを三つ笹に包んでもらい、それを紙で包んでもらった。
ききょうのために白湯ももらった。
代金を払って、僕らは甘味処を出た。
道すがら、風車は講談師の真似をして、きくを笑わせた。
次の宿場を通り過ぎてしばらく行くと、水が湧き出しているところに出た。
「ここで休みましょう」と僕が言うと「良いですね」と風車も言った。
手で水を掬って飲むと、きくが手ぬぐいを渡しながら、饅頭とおはぎの包みを開いた。
「風車殿もどうぞ」ときくが言った。
風車は「かたじけない」と饅頭を掴んだ。
「美味い」
饅頭はたちどころに、風車の胃の中に消えていった。
「こちらもどうぞ」ときくはおはぎも勧めた。
風車はおはぎを摘むと、これも一口で食べてしまった。
僕はゆっくりと食べた。
風車は立ち上がると背伸びをした。
周りは田んぼだらけだった。
「のどかですな」と風車が言った。
「のどかなのが、一番です」と僕は言った。
「それもそうですね」と風車は同意した。
「一昨日のようなことが続いて起こるようでは、大変ですものね」と続けた。
「そうですよ」ときくは言った。
きくは、ききょうに乳を与えていた。風車は気を遣って、背を向けていた。
乳を与え終えると、きくは着物を直して、ききょうをおんぶした。
「さぁ、出かけましょうか」と僕が、背を向けている風車に言った。