小説「真理の微笑」

六十三

 次の日、真理子の提案で、千葉の房総にある富岡の母の施設を訪ねた。

 富岡の母はベッドに寝ていたが、私が来ると起こされて、車椅子に座った。

 私と富岡の母とは車椅子で庭に出た。

 その施設の庭からは、雄大な海が水平線まで見えた。風が強かった。

「母さん、寒くないですか」と私が言うと、真理子が「いつもは、お袋って言っているわよ」と言った。

 真理子には何気ない言葉だろうけれど、こういう発言が一つ一つぎくりと胸を刺す。

「子どもの頃に戻ったからだろう」と言うと「子どもの頃を思い出したの」と訊いた。

「いいや、ただ、そう思っただけだ」

 風が強くなってきたので、中に入った。

「修、元気にしていたか」と、急に富岡の母が私の手を握ってきた。

「ええ、こうして何とか」

 私が車椅子に座っているのが、わからないのだろうか。私はちょっと驚きながら答えた。

 真理子は「あなたの事はわかるようね」と言った。

「どうだろう。本当に分かっているのかな」と言った後、富岡の母の手を解きながら、「お袋も元気にしていてくれよ」と言った。

 

「お義母さん、元気だったわね」

 施設の帰りだった。真理子が運転しながら言った。

「そうだったね」

 私は自分の両親にも会う事ができなかった。元気にしているのだろうか。

 普段、仕事が忙しくて、実家に帰る事はほとんどなかった。農家をしていた両親は、毎月、玄米とその時とれた野菜を送ってくれた。そのため、家には小型の精米機があった。

 十二月になると、干し柿と一緒にお餅を送ってくれた。干し柿は、私より夏美が好きだった。祐一もよく食べた。お餅は、夏美はラップに包んでタッパーに入れ冷凍保存していた。元日には、必ず雑煮を作って食べた。もう、それは永遠にできなかった。

 目をつぶった私は、自然に涙を流していた。

 それに気付いた真理子が「どうしたの」と訊いた。

 私は「お袋を見ていて、昔を思い出したような気がしたんだ」と言った。

「思い出したの」

「いや、思い出したわけじゃない。ただ、お袋を見ていて、このお袋と一緒に過ごしていた時があったんだな、と思ったのだ」

 私は嘘を語っていた。だが、そう話しながら、実家にいる母を思い浮かべていた。母はどうしているのだろう。干し椎茸を水で戻して、おせち料理を作っているのだろうか。

 

 帰りにデパートに寄った。

 私も行こうとしたが、あまりの人混みで車椅子ではどうにもならなかった。真理子は「ごめんね。いったん、家に戻って出直してくるわ」と言ったが、私は「車の中で待っている」と答えた。すると、「それじゃあ、ゆっくり買えないもの」と言う真理子に「気にするな」と、私はシートを倒して目を閉じて、「こうして眠っているよ」と言った。

 真理子はそんな私の頬にキスをして、「待っててね」と言って買物に行った。

 私は本当に微睡んだ。

 掘った穴の中に富岡が横たわっていた。私は固く大きな石を持って、富岡の顔を何度も殴り、そして潰した。特に歯の部分は入念に砕いた。仮に死体が発見されても身元が分からないようにするためだった。歯型は歯医者のカルテがあれば照合できる。顔を潰したのは、復顔されるのを恐れたためだった。そして、その潰れた富岡の顔を私は見下ろしていた。まだ、私にはする事があった。富岡の手を焼く事だった。指紋、掌紋は個人によって異なっている。顔を潰しても手が残っていれば、指紋、掌紋から個人が特定されてしまう。だから、私は掘った穴の中に横たわる富岡の手に灯油をかけた。そして火をつけた。本来なら、全身燃やしてしまう方が手っ取り早いには違いなかったが、人間が燃えるのには時間がかかる。その後で、埋めるのでは時間がかかりすぎるのだ。だから、掌だけを焼いてしまおうと思ったのだった。そして実行した。最初は灯油の匂いが強かったが、火が着くと肉の焼ける嫌な匂いが漂った。それは決して忘れる事のできる臭いではなかった。

 真理子に起こされた。真理子はハンカチを出して、私の首筋の汗を拭いてくれていた。

「何か怖い夢でも見ていたの」

「そうかも知れない。買物は済んだの」

 真理子は後ろの座席を指さした。私が振り向くと、沢山の紙袋が積まれていた。

「カートを戻してくるわね」

 真理子は駐車場にあるカート置き場までカートを運んだ。戻ってくると車を発進させた。

 

 道は渋滞していた。田舎に帰る車が多いのだろう。幹線道路を抜けると道は空いてきた。

 家に着いた時は、陽も落ちていた。

 真理子は冷蔵庫に買ってきた食品をしまうと、私の隣に座った。

「こうして年末年始を二人だけで過ごすのは、いつ以来かしら」

「いつまでだったろう」と私が言うと、真理子は「覚えていないくせに」と言った。

「そうだね、ちょっと言ってみたくなっただけだよ」

 

 その日は、近くの中華店に行く事にした。

 私たちは、フカヒレスープに、蟹焼売、春巻き、小籠包、水餃子、麻婆豆腐を頼んだ。そして、ごま団子の後にデザートとして杏仁豆腐を食べて店を出た。

 自宅に戻ると、私は真理子にアルバムを持ってこさせた。

「どうしたの、急に」

「昔のアルバムを見れば、記憶が戻るかと思ってね」

 そう言ったが、目的は違っていた。アルバムを見て、富岡という男の過去を知る事、そして……。

 真理子が運んできたアルバムは埃で汚れていた。真理子にタオルを持ってこさせて、私はアルバムを拭きながら中の写真を見た。一見、それは埃を拭っているように見えるが、実際には、私はアルバムを見たであろう富岡の指紋を消していたのだ。そして、新たに自分の指紋を付けたのだった。

 真理子もアルバムを見ながら記憶を呼び起こしていたようだった。

 富岡と真理子は、実に多くの場所を観光していた。海外では、グァムを初めとして、ハワイ、オーストラリア、アメリカ・ニューヨーク、西ドイツ・西ベルリン、デンマークコペンハーゲン……。それぞれの写真を指さしながら、真理子は説明した。

 私はそれを記憶した。記憶しながら、アルバムの各ページを丁寧にタオルで拭いていた。

 

 シャワーを浴びてベッドに入ると、間もなく真理子もベッドに入ってきた。

 明るいまま布団を剥ぎ、真理子を裸にした。エアコンが効いていたので寒くはなかった。

 唇にキスをして、次に喉を、そして胸に唇を這わせ、乳首を吸った。私の唇はだんだん下がっていき、お腹を通り、へそを通過すると、股の間に顔を沈めた。

 真理子が電気を消そうとするので、私は止めた。真理子の躰や顔を見ていたかったのだ。

 そして、真理子の割れ目を嘗めた。それからクリトリスを剥き上げて吸った。

 真理子は身をよじった。私はますます強く吸った。そして、舌でクリトリスを転がした。

 真理子は声を上げた。

 私は真理子の股を大きく手で広げ、唇を這わせて、最後にまたクリトリスを吸った。そして指で強く擦りあげた。真理子は広げていた足をピンと伸ばして、躰を反らせながら痙攣させた。そして、また一際大きな声を上げた。