小説「僕が、警察官ですか? 3」

十三

 五月中旬を過ぎようとしていた。山田の自供を取れずに、捜査一課二係は焦っていた。山田の勾留期限はあと僅かだった。こうなれば、山田は頑張り通すだろう。自供が取れなければ、釈放するしかなくなる。しかし、僕は毎日のように山田を陰から応援していた。それが功を奏していたのだ。取調も厳しくなるだろうが、山田は崩れないと僕は思っていた。

 そんな折だった。五月二十二日、新たな放火事件が発生した。黒金町の路地裏でボヤ騒ぎが起きたのだ。発見したのは通りがかりの若者だった。丁度、午後九時三十分だった。それは一一九番の通報記録で分かったことだった。僕はその十分後に時村から、このボヤ騒ぎを知った。時村はその時刻、近くの居酒屋で飲んでいて、騒ぎに気付いたそうだ。とにかく、僕に一報入れておく気になったようだ。

 僕の自宅からボヤ騒ぎの起きた現場まで、歩いて三十分ほどの距離だった。僕は着替えて、ズボンのポケットにひょうたんを入れると、家を出て、とにかく事件現場まで行ってみることにした。

 すでに立入禁止のテープが張られていて、鑑識が入っていた。立入禁止のテープの前に立っている巡査に、警察手帳を見せて、中に入れてもらえるように頼んだが、「鑑識が終わるまでは誰も通すなと言われていますので」と言われた。

 事件現場では、鑑識が優先するのは常識だった。僕は仕方なく、立入禁止テープの前で、時を止めた。そして、ズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「ボヤを起こした犯人の霊気を感じるか」と訊いた。

「少しだけ」とあやめは答えた。

「追えそうか」と訊くと「追ってみます」と答えた。

「では、やってくれ。振動のする方に向かって歩くから」と言った。

「わかりました」と返ってきた。

 時を動かした。と同時に腕時計のストップウォッチのボタンを押した。

 立入禁止のテープの反対の方向に向かって振動が来た。そちらに歩いて行った。角に来て、右に振動した。そちらに曲がった。しばらく歩いた。コンビニが見えてきた。そこを避けるように通りの反対に向かった。今度はこっち側のコンビニが見えてきた。すると、通りの反対側に向かった。明らかにコンビニの前を避けていた。

 それから街灯だけがついている細い路地に入っていた。くねくねと曲がり、三段ほどの階段を上がると、また少し広い通りに出た。そこを右に向かって歩いて行った。そこの三番目の通りを曲がった先にアパートが見えた。

 あやめが「あのアパートの二階、一番奥の部屋です」と言った。

 その部屋の下の階に行った。ストップウォッチのボタンを押した。見ると、二十三分だった。ボヤを起こすまでを一、二分として、二十四、五分の所に犯人のアパートがあるという訳だ。

「今奴はいるか」

「います」

「だったら、そいつの頭に入ってくれ。今日やってきたことと、今やっていること、どうしてこんなことをしたのか、読み取って来てくれ」と言った。

「わかりました」とあやめは応えた。

 アパートの端の一階には、まだ住人が帰ってきていないようだったが、怪しまれてもいけないので、時を止めた。

 あたりは街灯が一つあるだけだった。薄暗かった。アパートは一階と二階に四つずつ部屋があった。二階は両端が灯りが点いていて、一階は反対の隅だけに灯りが点いていた。

 このボヤ騒ぎが、単独事件であることは僕だけが知っていることだった。おそらく連続放火事件に触発されてやったことなのだろう。人気のないところに火をつけていることから、それほど度胸がある奴ではないだろう。愉快犯の類いに違いなかった。

「終わりました」とあやめが言った。

「映像を送れ」と言った。

 目眩とともに映像が送られてきた。目眩はすぐに良くなった。

 男は、学生風だった。

「これで俺が連続放火事件の真犯人だということがわかるぞ」と言っていた。

 路地裏のゴミ袋が積み上げられているところの隅に、人がいないことを確かめてから、百円ライターで火をつけていた。火がつくと、 携帯でゴミが燃えている写真を撮り、すぐに逃げ出した。

 ゴミ袋の一つが燃え上がっているのを、通りがかりの若者が気がついた。

「火だ。燃えている」と言いながら、携帯を取り出して一一九番に通報した。

 学生風の男は家に向かって急ぎ足で歩き、最後はほとんど走っていた。

 そして、二階の部屋に入ると、すぐにパソコンを起動した。学生風の男は興奮していた。

 今やってきた放火の写真を携帯から取り込むと、犯行声明みたいなものを書いていた。

『わたしが今回の連続放火事件の真犯人である』というような書出しで文章を作っていた。文章は時間が止められているのでそこまでだった。しかし、何を書こうとしてるのかは、分かった。すでにマスコミで取り上げられた記事を元に、あたかも自分が真犯人であるかのように装おうとしていた。

 学生風の男は中上祐二、二十八歳、フリーターだった。パソコンについては、かなりの知識を持っていて、他人のパソコンにウィルスを送り込み、勝手に操作できるようにしていた。日本でも二十八台は自由に使えていたし、海外のパソコンも五台使っていた。海外のパソコンを使って、他の人のパソコンも使えるようにしていた。こうしておけば、自分のパソコンからデータが送られていることが絶対に知られずに済むのだ。特に海外のパソコンを使っているときはそうだった。

「あやめ、こいつの二月二十六日と三月二十八日と四月二十九日の行動を読み取ってきてくれ」と言った。

「はーい」とあやめは言った。

 少し待っているとズボンのポケットのひょうたんが震えた。

「取ってきました」とあやめは言った。

「じゃあ、流してくれ」と僕は言った。

 目眩がして、映像が流れてきた。

 僕は時を止めているのに疲れてきた。まだ映像は流れ切っていなかったが、時を動かして、その場を離れることにした。

 三段ほどの階段のところで、映像は終わった。

 二月二十六日と三月二十八日と四月二十九日の映像を見るのは、後回しにしようと思った。

 中上祐二は、ネット上での架空の会社を作って、パソコンウイルス退治します、という偽の広告で客を募っていた。一回、税込みで五百円という安い料金だったので、かなりの人がこの広告に釣られて、マウスをクリックしていた。その数は二万を超えていた。単純計算して、一千万円以上の収入が中上祐二にはあったのだ。それも他人のパソコンを経由して、仮想マネーに変えていた。この仮想マネーを換金して、自分の通帳に入金していた。

 中上祐二は、このようにお金の流れをつかまれないようにしながら、自己顕示欲は強かった。特に放火に関してはそれが強かった。彼が五歳の時、近所で火災があった。放火ではなかったが、その燃え上がる炎が彼の心に残った。

 そして、二月二十六日と三月二十八日と四月二十九日と、自分が住む黒金町で連続放火事件が起きた。他人事には思えなかった。

 マスコミの報道では、容疑者が黙秘を続けているという。容疑者はまだ犯人ではない。しかし、マスコミは容疑者の氏名、写真まで明かしてしまっていた。中上は山田の写真を見た。とても、連続放火事件の犯人には見えなかった。この犯人はもっと賢くなければならなかった。中上にとっては、山田が犯人であっては困るのだ。

 山田は今、警察署の中にいる。だったら、次の犯行を犯せば、容疑が晴れるんじゃないか、と中上は思った。

 それで今日実行した。中上は顕示欲が強くても、気は小さかった。自分が捕まることだけは避けたかった。そのために周到な用意をした。その一つが、どこに火をつけるかだった。火をつけているところを誰にも見られずに済ませたかった。というより、誰にも見られたくはなかった。そんな場所と時間を探した。

 連続放火事件の報道を見るとすぐに探し始め、先週、やっと格好の場所を見付けた。何度か火をつけようとしたが、気が進まなかったり、人が来たりして、その機会を逃していた。

 そして、今日、ついに実行したのだ。手袋をした手で、ゴミ袋の一つを掴むと、その端に百円ライターで火をつけたのだ。

 火をつけた瞬間、もの凄くスカッとした気分になった。それはこれまで味わったことのなかった気分だった。と、同時に恐怖も襲ってきた。誰かに見られたのではないか、と思った。周りを見回した。誰もいなかった。それはそうだった、誰もいないことを確認してから、火をつけたのだから。

 幸い、写真を撮った後、路地を出るまで誰にも見られなかった。路地を出るとコンビニの前を避けるように歩いた。自然に興奮は高まってきた。

 後は自宅に帰って、撮ってきた写真をパソコンに取り込んで、犯行声明を作るだけだった。原案は作ってあった。しかし、今日、実際に火をつけてみて、原案に書いた心境が絵空事であったことに気付いた。書き直す必要があった。

 できた犯行声明は、乗っ取った外国のパソコンに送り、そこから、何台かのサーバーを経由して、マスコミに送るつもりだった。この犯行声明から自分に辿り着くことは、不可能だ、と中上祐二は思っていた。

 そこで今日の映像は終わっていた。