小説「僕が、警察官ですか? 2」

三十

 僕はクラクラとした。

 事情聴取は続いていた。芦田勇はのらりくらりと刑事の質問をかわしていた。

 ここから見ていると、怒りが湧いてくる。中島明子さんを絞殺したのは、お前じゃないか、と怒鳴りたくなる。

 事情聴取では、芦田勇の五月十三日水曜日のアリバイがないことは、はっきりした。だが、成果はそれだけだった。

 刑事も犯行現場と犯行時間は言わなかった。犯行現場はマスコミに報道されているだろうが、正確な犯行時刻は報道されていなかった。

 芦田は「喉が渇いたんですが、コーヒーでも入れてもらえませんか」と言った。

 僕は、ふざけるな、と怒鳴りたくなったが、記録を取っていた巡査がコーヒーを芦田に出した。

「砂糖とミルクは」と芦田は言った。コーヒーを出した巡査は、スティック状の砂糖の入った袋とクリームの入った小さなカップを渡した。

 芦田はそれらをコーヒーに入れて、スプーンでかき混ぜて飲んだ。

「秋田では、父親と継母と義弟と一緒に暮らしていますよね」と刑事が訊くと、「ええ」と答えた。

「それでは、四年前の五月十三日と三年前の六月二十二日も、どちらも午後七時に退社してから午後七時四十五分頃まで***食堂という所で食事をして自宅に帰ったということですね。自宅には午後八時十分頃帰ったということでしょうか」と訊いた。

「そうなりますね」と言った。

「そのことを父親か継母か義弟の誰でもいいから証言してもらえませんか。もちろん、家族の証言は直ちにアリバイの証拠にはなりませんが、傍証にはなりますよ」と言った。

「あいにく、家族とは没交渉なので、わたしがいつ帰ったかはわからないでしょう」と言った。

「やはり、秋田については、両日ともアリバイはないわけですね」と言った。

「それはさっきも言いましたが、***食堂という所で訊いてもらえませんか。わたしが午後七時四十五分まで食事をしていたということを」と言った。

「わかりました。確認してみます」

 僕はこれを聞いていて、怒りが湧いてきた。確かに、退社後に***食堂という所で食事をして自宅に帰ったことはある。しかし、毎日ではない。事件の翌日もその翌日もこの食堂で食事をしている。それは確かに、退社後の午後七時十五分頃から午後七時四十五分頃までだった。会社からその食堂まで十五分ほどの距離だった。事件を起こそうとした日だけだった。この食堂で食事をしなかったのは。そんなに時間がなかったのだ。そんなことを確認してどうするんだと思った。

 

 芦田は中島を絞殺してから、数ヶ月ほどはその場面を思い出してはオナニーを繰り返していた。あの首を絞めた感触が忘れられなかった。

 しかし、時間が経てば経つほど記憶は色あせていく。半年も経つとオナニーのネタにはならなくなっていた。

 犯行に使った鈴蘭テープもハンカチもゴミ袋に捨てた。もう、とっくに回収・破棄されている。犯行時に使ったもので持っているのは、目出し帽と皮手袋だった。運動靴は念のために洗って干した。だが、げそ痕のことまでは、芦田には分かっていなかった。げそ痕とは、靴の足跡のことである。げそ痕からは、靴の種類から、歩き方から靴の底の減り具合が、それぞれの靴によって違うので、指紋ほど確定的でなくても、ある程度の証拠能力がある。

 犯行現場には、運動靴のげそ痕がはっきりと残されていたのである。それによれば、***メーカーの***という運動靴が最も近いということだった。足の長さは二十七センチだった。もちろん、第二の犯行現場にも、げそ痕は残された。それも第一の犯行現場に残されたものと一致した。それがこの二つの事件が連続絞殺事件とされた根拠の一つだった。ただし、げそ痕については、マスコミには一切明かされていなかった。

 

 芦田は半年も経つと、イライラが始まった。継母がうちに来た時と同じ年頃の女を見ると、目で追うだけでなくつけることもあった。しかし、大抵、犯行ができそうな所を通らず、大通りを歩いて、自宅に帰って行った。

 犯行から一年も経つと、居ても立ってもいられなくなった。そして、去年犯行を犯した五月十三日が過ぎていった。

 前回は、利き腕の左手で口を塞ぎ、右手で鈴蘭テープを首に巻いた。そのために、犯行に時間がかかっただけでなく、被害者に悲鳴を上げられてしまった。今度はそんなへまはしたくなかった。口を塞ぐのは、何も利き手でなくても十分できる。それは前回の犯行で分かったことだった。そしたら、利き手で首にロープ、そうだ、鈴蘭テープではなく、ロープを巻けばいいのだ。鈴蘭テープでは滑ってしまって、首に巻き付けるのに苦労した。それで、隣町の雑貨店までロープを買いに行った。どれぐらいの太さがいいのか分からなかった。持ちやすさと柔らかさの両方を兼ね備えているものを探した。手にかかりやすいのは、太いものだった。だが、柔らかさに欠けた。余りに細いと皮手袋を滑った。一センチか八ミリメートルのどちらかで迷った。

 柔らかさで八ミリメートルのものを選んだ。それを切る裁ち鋏も買った。そして、百円ショップで新しいハンカチも買った。

 六月に入ってすぐだった。午後八時十分に着く、反対方向の電車から降りてくる子鹿幸子、二十三歳を駅で見かけたのは。子鹿幸子は継母によく似ていた。

 芦田は子鹿をつけた。子鹿は南に向かって、歩いていた。中島と同じように携帯を見ていた。

 最初は人通りがあった。いくつかのコンビニを通り過ぎた。そして、十五、六分ほどして、三つ森公園に入って行った。

 充分、間隔を置いて、後をつけた。途中で子鹿を襲うのに、都合のいい林の近くを通った。そして、公園を抜けた。公園からは住宅街になっていた。子鹿の自宅は、公園から五分ほどのところにあった

 それを確認して、芦田は帰っていった。

 もし、子鹿も中島と同じように南秋田駅で降りる時間が一定しているなら、襲うのは簡単だった。明日は自転車で南秋田駅に来て、電車を降りる時間を確認すれば良かった。秋田とは逆方面に向かう電車だが、一時間あたり二本しか本数がないのは同じだった。だから、降りる電車も当然決まってくる。今日は、午後八時十分の電車だったから、明日も午後八時十分の電車を待てばいい。

 そして南秋田駅から、午後八時十分に降りてくることになる。そこから十五、六分ほど歩くと三つ森公園に入る。三つ森公園を十分ほどで抜ければ、あとは五分で自宅に帰れる。公園こそ違っているものの中島明子の帰宅ルートと時間が似通っていた。時間の違いは、電車の到着時間の差でしかない。

 次の日、午後八時に南秋田駅に来て、十分後に到着する電車を待った。

 午後八時十分になった。電車が着いた。人が駅から出て来た。中島は北に向かって歩いたが、子鹿幸子は南に向かって歩いた。

 自転車でつけながら、次第に興奮してくるのが分かった。歩く度にクイクイと左右に揺れる尻が魅力的だった。この女の首にロープを巻き付けるのだ。それを思うと堪らなかった。

 中島の時と同じように、通りを変えながら、子鹿幸子をつけた。そして、時々、交差してその顔を確かめた。子鹿は携帯を見ていて、そんなことには気付かなかった。

 六月二十日、月曜日に決行しようとした。しかし、その前日の日曜日に激しい雨が降った。月曜日は晴れたが、林の下がぬかるんでいることは明らかだった。そんな時に、決行することは無いと思った。しかし、会社に行くと、子鹿を絞め殺したくて、仕方なかった。

 今日が晴れているだけに、余計にそう思った。ぬかるんでいてもいいから、林に引きずり込んで殺すのだ、と一方の芦田は思った。もう一方の芦田は、服が泥で汚れたらどうするんだ、と言っていた。

 退社した後、***食堂で急いで食事をした後、家に帰り、自転車を南秋田駅に走らせた。ギリギリで午後八時十分に間に合った。

 駅を出てくる子鹿を見付けた。その後を付けながら、首にロープをかけて引き締める場面を何度、想像したことか。絶対にやってやるからな、待っていろよ、子鹿幸子、と芦田勇は心の中で叫んだ。だが、途中の道はぬかるんでいた。断念せざるを得なかった。

 次の日も、晴れたが、まだ日陰の所は少しぬかるんでいた。まして、公園の林の下はぬかるんでいるのに違いなかった。

 芦田勇は我慢した。それが会社でのイライラを募らせた。上司に注意をされたが、それが癪にさわった。帰る時は、心は限界に来ていた。もう明日は何が何でも決行する。そう、心に決めなければ、爆発しそうだった。