二十三
しばらく待っているとひょうたんが震えた。
「読み取りました」とあやめが言った。
「だったら、映像を送れ」と言った。
「はい」と答えた。
映像が頭の中に入り込んできた。クラクラとした。しばらくすると、それに慣れ、そして落ち着いた。
被害者は携帯に夢中になっていた。メールを読み、それに返していた。
犯人が後ろにいるのに気付かなかった。僕はストップウォッチのボタンを押した。犯人はハンカチを持った左手で被害者の口を塞いだ。被害者は携帯を取り落とした。そして暴れた。それを止めようと犯人は鈴蘭テープを取り出し、右手で首に巻こうとした。しかし、鈴蘭テープは軽く、そして柔らかいため、右手だけではうまく首に巻き付けることができなかった。仕方なく、犯人は口を塞いでいた手を離して、鈴蘭テープを左手に持ち替え、首に回した。その一瞬、被害者は悲鳴を上げた。それは大きな声だった。あたりに人がいれば気付くはずだった。しかし、不幸なことに近くには、人がいなかった。逆に言えば、人がいないことを見越して、犯人は犯行に及んだのだ。
鈴蘭テープを首に巻き付ける間も被害者は抵抗した。だから、紐を首に巻くのでさえ、時間がかかった。そして、巻き付けると、思い切り引っ張った。被害者は声も出せず、息もできなかった。
そのまま林に連れ込まれた。そこでストップウォッチを止めた。四分三十秒かかっていた。今までの四倍以上だった。
まだ被害者には意識があった。涙を流した目で犯人の顔を見た。犯人は目出し帽を被っていた。ガラス玉のような目が見えるのと同時に意識がなくなった。
犯人の頭から微かにヘアリキッドの匂いはしたが、制汗剤の匂いはしなかった。犯人のわきがの臭いがした。ヘアリキッドの匂いは今まで嗅いだものと同じだった。
犯行現場から公園の入口に向かって歩いた。被害者は携帯のメールを読んでいた。友人からのものだった。
『今日あった、面白いこと。係長のかつらが風で飛んだこと』と書かれていた。中島は声を上げて笑った。
『それ、マジ』と返信した。すると『マジ、マジ』と返って来た。
そして『今まで、みんな気付いていたんだけれどね、気付かないフリをしていたの』と書いてきた。
『笑える』と書いて返信しようとしたところで襲われたのだ。
公園の入口まで行って思ったことは、今までの公園なら女性が一人で夜間通ったとしても危険は感じなかった。しかし、この公園を女性が一人で夜間通るとしたら、危険を感じないのだろうか。
公園の周りの通りも通ってみた。途中は片側が田んぼだけで、家は遠くにある。林がないが、夜間は人通りは少ないだろう。公園内の道とさほど変わらない気がしてきた。中島にしても同じだったのではないだろうか。公園内も外もさほど変わらない……。
コンビニを探した。公園に入るかなり手前に一軒ある。その他は駅前だった。公園に入るかなり手前のコンビニに午後八時頃、被害者は防犯カメラに写っていたのだろう。もちろんメールのやり取りをしているから、犯行時刻は午後八時二十三分だということは、捜査本部でもわかっていることだろう。犯行時刻が午後八時から十二時頃とリストにあったのは、防犯カメラの映像と死体検死書からの推定だ。犯行時刻を公表していないのは、いわゆる秘密の暴露に当たるからだ。犯人を捜し出したときに、この犯行時刻を犯人が覚えていたら、直接的ではなくても犯行の証拠の一つになる。
駅まで行って公園に戻った。犯人が自転車を使っているとすれば、手前のコンビニの防犯カメラに映っている可能性はある。そこからなら、犯行現場まで先回りできるからだ。公園の周りに柵のようなものはないから、林の中に自転車を止めただろう。そうすれば、かなり時間は稼げる。
僕はあやめからの映像を見ているから、この犯人が今までの絞殺事件の犯人と同一だということは分かる。しかし、他の者にそれを理解させるには、この場合は自転車が一番手っ取り早い。南秋田署がコンビニの防犯カメラの映像を保存しておいてくれたらいいのに、と思ってしまう、もちろん、自転車が映っていない可能性もあるが。
僕はきくやききょう、京一郎のところに行った。彼らを次の目的地に連れて行くためだ。
その前に昼食をとらなければならなかった。
子どもたちを車に乗せると、カーナビに三つ森公園と入力した。
車をスタートさせた。途中にレストランを見つけたら、寄るつもりだった。しかし、見当たらなかった。そのまま三つ森公園に来てしまった。二十分ほどだった。
「駅まで戻ろう」と言うと、きくが「いいわ、コンビニがあったら寄って」と言った。
僕は三つ森公園の入口に車を回して、そこから近いコンビニを探した。すぐに見つかった。入口から三分足らずのところにあった。歩いても五分ほどだろう。
コンビニの前で車を止めて、中に入った。きくはお弁当を四つ買った。そして、ペットボトルのお茶も。
きくが「他に何か買う」と訊くので、僕は「いいや」と答えた。
僕が代金を払うと、きくがレジ袋に入ったお弁当とペットボトルを持った。
車に乗って、三つ森公園の駐車場に向かった。駐車場に車を止めると、子どもたちを車から降ろした。走り出して公園の中に入っていこうとするので、きくが「待ちなさい」と言った。子どもたちはびっくんとして止まった。
僕はきくの後を付いていった。ベンチが見えてきたので、そっちに向かった。
そして、ベンチに座った。テーブルはなかった。きくを挟んで両方に二人の子どもが座った。きくが弁当を取り出し、子どもたちに好きな弁当を選ばせた。それから箸を取って「いただきます」を言って、弁当を蓋を開けた。僕は鮭弁当だった。いつもはきくのハートマークの付いた弁当を見慣れているので、少しがっかりした。
僕は弁当を食べ終わると、立ち上がった。子どもたちはまだ食べていた。
「そこらを散歩してくる。子どもたちを頼む」ときくに言った。
「わかりました」ときくは言った。
僕は一刻も早く、犯行現場に行きたかったのだ。リストによれば、被害者は子鹿幸子、二十三歳、OL。犯行時刻は午後八時半から午後十時頃とされていた。午後十時頃に通りかかった者に発見されたのだろう。犯行時刻の午後八時半というのは、おそらく、コンビニの防犯カメラの映像から割り出したものだろう。
僕は公園内の通路を歩いて行って、林の近くに来た。ジーパンに入れていたひょうたんが震えた。
「ここです」とあやめが言った。
「霊気を感じるか」
「はい」
「では、読み取ってくれ」と言った。
周りを見た。街灯は通路にはあったが、公園の奥にはなかった。ここを女性一人で夜通るのは、やはり都会では躊躇われた。
その時、ひょうたんが震えた。
「読み取りました」とあやめが言った。
「映像を送れ」と僕は言った。
「はい」と言う声とともに、頭に映像が流れ込んできた。クラクラする時間をやり過ごすと落ち着く。
子鹿幸子は、やはり携帯を見ていた。イヤホンをして音楽を聴いていた。目はメールを読んでいた。友達とのメールだった。次の土日にどこに行こうか、という内容のものだった。その時、子鹿はハンカチで口を塞がれた。僕はストップウォッチのボタンを押した。
今回は、右手だった。そしてすぐに首にロープが巻き付けられた。あのロープだった。子鹿は両手でロープを引き離そうとした。しかし、強い力が締め上げた。右手も加わって、さらに強く締め上げられた。子鹿は犯人の顔を見ようとした。しかし、犯人は目出し帽を被っていた。やはりガラス玉のような目で子鹿を見ていた。子鹿は林の方に引きずり込まれた。
子鹿の目から涙が流れた。そして、意識が薄れていった。
ストップウォッチのボタンを押した。時間を見た。一分十五秒だった。前に比べると随分と時間が短縮されていた。子鹿が林の方に引きずり込まれる前に、ストップウォッチのボタンを止めていたら、一分ほどだったろう。
ヘアリキッドの匂いがした。あの犯人のものだった。そして、今回は制汗剤の匂いもした。それも今までの犯人のものと同じだった。この前の犯行後に、制汗剤を使い出したのだ。誰かに何かを言われたのかも知れない。それほどわきがの匂いは強烈だった。
犯行現場から、公園の入口に向かった。犯人に口を塞がれた時に、携帯は取り落とした。少し歩くと、メールに返信しているのが分かった。
『今度の土日、暇なんだけど』と書かれていた。その送信時刻は、午後八時四十一分だった。その二分後に口を塞がれたのだ。友達からは『海に泳ぎにでも行かない』というメールが届いていた。子鹿が口を塞がれたのは、このメールを読んだ直後だった。
公園の入口まで五分ほどだった。そこから歩いて、五分ほどのところにさっきのコンビニがあった。監視カメラも付いていた。
この事件の捜査本部は、ここの映像も押収したことだろう。とすれば、映像は残っているはずだ。
それから駅まで歩いた。子鹿はずうっと携帯を見ていた。友達と携帯でメールのやり取りをしていた。駅まで来た。公園から十五、六分ほどだった。
子鹿の自宅は、公園を抜けて十分ほどのところにあった。
公園を通らなければ、かなりの回り道になる。多少の危険があったとしても、公園を突き抜けたくなる気持ちは分かる。
あのロープは、これまでの絞殺に使われたものと同じだった。この秋田が事件の始まりだったのだ。
僕は公園に戻ると、きくとききょうと京一郎を呼んだ。
「遊べたか」と京一郎に訊くと、「うん、楽しかった」と答えた。
「わたしも」とききょうも言った。
「そうかそれは良かった」
僕らは駐車場に向かい、車に乗った。秋田駅をカーナビに入力して、その指示に従って、秋田駅に着いた。駅前のカーレンタルに車を返すと、時計を見た。午後四時二十分だった。
これだと、午後四時三十四分のこまち三十四号に乗れる。そうすれば、午後八時三十二分に東京駅に着く。
僕らは急いだ。そして無事にこまち三十四号に乗れた。空いていたので、自由席に座った。僕は通路側の席に座り、今日、映像で見たものを再生していた。