小説「僕が、警察官ですか? 2」

十九

 西新宿署から四谷五丁目の自宅まで、歩いて帰る途中のことだった。

 どうしても頭に引っ掛かるものがあることが分かった。それが何なのかはよく分からなかった。しかし、何か引っ掛かるのだ。

 時計を見た。歩き出して、まだ十五分経ったぐらいだった。新宿駅西口を過ぎ、もう少しすると、新宿三丁目に入るところだった。後、十五分ぐらい歩けば自宅に戻れる。

 とその時、閃いた。腕時計を見た。

 北府中市ではこれをストップウォッチ代わりに使っていた。最初の事件は、北椿ヶ丘公園だった。この事件だけはストップウォッチで時間を計ってはいなかった。しかし、一分もかからず犯行が行われたことは確かだった。

 次は、南椿ヶ丘公園だった。ここではストップウォッチで時間を計った。四十五秒だった。

 最後は東椿ヶ丘公園だ。ここでも、ストップウォッチで時間を計った。五十秒だった。

 問題なのは、いずれも手慣れていたことだった。北椿ヶ丘公園が最初の犯行ではない可能性が高かった。犯人には、その前にも犯行を重ねている可能性があった。

 それを見落としていた。

 だったら、それは何だろう。

  リストから外した秋田と大阪の件が頭を過った。これをリストから外したのは、ロープ状のものという表現で示されていて、予め用意していたロープという感じがその報告書からは伝わってこなかったからだ。だが、最初から、決まったロープを使っていたのだろうか。それよりも、もし初めての絞殺事件だとしたら、あの北府中市で見たようにスムーズに犯行におよべたのだろうか。もっと、手際が悪かったのではないか。そんなことが思われてしまった。

 そう思えば、思うほど、あれが最初ではなかった気がしてきた。

 しかし、今はどうにもならなかった。明日、署に行って、リストを見直すしかなかった。

 それまでは忘れようと思った。考えても仕方なかったからだ。

 

 自宅に帰ると、きくとききょうと京一郎が出迎えてくれる。それで、すべてが忘れられた。

 僕は風呂に入ることにした。ききょうと京一郎がついてきた。

 今日は射撃訓練や剣道で汗を流していた。それらを洗い流したかった。そして、秋田と大阪の件も、一時的にせよ……。

 家に帰ると生き返った気がする。真っ当な幸せがそこにあった。それで良かった。

 

 次の日、安全防犯対策課に行くと、真っ先にリストを探した。そして見付けた。

 まず、大阪を見た。いずれも若い女性の絞殺事件だったが、場所が路地裏だったり、廃工場だったり、人通りの少ない路地だったりした。どれも行き当たりばったりの事件のように思われた。それに、何よりも水曜日ではなかった。一件は火曜日、一件は木曜日、そして、もう一件は金曜日だった。

 水曜日の絞殺魔事件ではなかった。

 だが、秋田は違っていた。

 最初は四年前の五月十三日水曜日、南秋田駅から歩いて、北に十四、五分ほどの万秋公園で起きていた。犯行に使われたのは、引越しなどでよく使うビニール紐、いわゆる鈴蘭テープだった。そして、次の犯行は、三年前の六月二十二日水曜日、やはり南秋田駅から歩いて、南に十五、六分ほどの三つ森公園だった。こちらはロープ状のものと書かれていた。

 四年前の五月十三日水曜日、南秋田駅から歩いて、北に十四、五分ほどの万秋公園で起きた絞殺事件が、水曜日の絞殺魔事件の最初だったのではないのか、という思いが強くなった。

 旅行予定届をパソコンに表示し、そこに今週の土曜日から日曜日まで、秋田の男鹿温泉に行く旨を入力して、おおよそのスケジュールを適当に入力したものを打ち出し、自分で判を押して、署長室まで持っていった。

 警部になると、勝手に旅行することもままならなかったのだ。旅行に行っても良いのだが、形式的にせよ、どこに行くかを署長に伝えておくのが、ベストだと思ったのだ。

 署長室のドアをノックした。

「入りたまえ」と声がした。

「鏡です」と言って入った。

「ほう、安全防犯対策課の課長か。そこに、座りたまえ」と署長はソファを勧めた。

 僕は指示されたところに座った。女性の警察官が来て、お茶を置いていった。

「警察学校の教官は、えらく褒めていたぞ。安全防犯対策課の課長にしておくのは、もったいない、とまで言っておったぞ」

「お世辞です」と僕は言った。

「そうかなぁ、本気みたいだったが。ところで、何か用か」

「ええ、これをお渡しに来ました」と、旅行届の紙を一枚、署長に渡した。

「今度の土日に男鹿温泉に行くのか」

「はい」

「確か日曜日は黒金保育所で防犯キャンペーンをするのじゃなかったのか」

「ええ、しますよ」

「見に行かないのか」

「部下がすべてやりますから、大丈夫ですよ」と僕は言った。

「そうか、それならいい。わかった。行ってくればいい」

「ありがとうございます」と言って僕は立ち上がった。

「そのかわり、剣道の都大会には出てくれよ」と言った。

「それはお断りしたはずですが」と言うと、「君の名前が載った用紙が回ってきたので、決済印を押して出してしまった」と署長は言った。

「そんな」

「だったら、男鹿温泉は止めるか」

「それはないですよ」

「じゃあ、出場するんだな」と署長は言った。

「最初から、そのおつもりだったんですね」と言うと、「君のような逸材を誰が放っておくものか」と言った。

「分かりました。出場します」と僕は渋々言った。

「そう来なくちゃ」と言う声を背に、署長室を出た。

 

 安全防犯対策課に戻ると、緑川を呼んだ。

「今度の土日は、男鹿温泉に行ってくる。よって、日曜日の防犯キャンペーンはしっかりやってくれ」と言った。

「課長がいなくても、しっかりやりますよ」と緑川は言った。

「用件はそれだけだ」

「再来週の金曜日の代休の件三人分もよろしく頼みましたよ」と緑川は言った。

「分かっている。月曜日に申請書を持ってきたら、判を押す」と言った。

 緑川は頭を下げて、デスクから離れていった。

 もうすぐお昼だった。