小説「僕が、警察官ですか? 1」

十二

 次の日、午前八時に剣道の道具を持って、家を出ると、西新宿署に着いた午前八時半に携帯に電話がかかってきた。

「山岡です。おはようございます」

「おはようございます」

「滝沢工業の一室から石井和義さんの指紋と毛髪が出ました。飯島明人、中本伸也、そして興津友康は拉致監禁の容疑で取り調べることになりました。これから取調が始まります。その前に、連絡だけしておこうと……」と言った。

「わざわざ、ありがとうございました」と言うと携帯が切れた。

 午前九時から取調が始まるのだ。その前に山岡は電話をかけてきてくれた。写真を見付けたお礼だろう。

 あの三人がそう簡単に吐くとは思えないが、物証がある以上、自白がなくても拉致監禁罪には問えると思うが、絞殺から死体遺棄までを認めるかどうかが山になるだろう。

 朝のニュースを見てきたが、マスコミは覚醒剤の報道一色だった。僕は知らないが、また有名なタレントが捕まったそうで、そのことが話題になっていた。覚醒剤の汚染はどこまで広がるか分からなかった。

 

 交番に着き、勤務に入った。すぐに西新宿署のオペレーターから連絡が入った。

「千人町一丁目の交差点で、車が歩道に突っ込んだようです」

「分かりました。すぐ、行きます」と言って電話を切った。

 僕は『パトロール中です』の掲示板を出して、自転車で千人町一丁目の交差点に向かった。

 二分ほどで着いた。

 車は白の軽自動車で、電柱にぶつかって停まっていた。

 中に運転者が乗っていた。歩道にも倒れている人がいた。

 遠くにパトカーと救急車のサイレンの音が聞こえた。

 歩道の人は足に怪我をしているようだったが、命に別状はなさそうだった。

 車から煙が出ていたので、運転者の救助を優先した。

 車の前に回ってドアを開けていたところに、パトカーがやって来た。僕がシートベルトを外して、若い警官と一緒に運転手を引きずり出した。エアーバッグのおかげで頭はフロントガラスに打ち付けていなかった。八十代の高齢者男性だった。

 歩道にいた怪我をした人と一緒に救急車に乗せた。救急車はすぐに走り出した。近くの病院に行くのだろう。

 パトカーの警官は、二人降りてきて、写真を撮るなど現場検証をしていた。僕は交通整理をしていた。そのうち、車両を運ぶ車が来て、事故車を載せて、どこかに走り去って行った。

 一人若い警官がやって来て、「現場検証は終わりましたので勤務に就いてください」と言った。

「分かりました」と僕は言って、その場を離れた。パトカーはまだ現場に残っていた。

 

 正午になったので愛妻弁当と水筒を鞄から出して食べた。携帯でテレビのニュースを見たら、千人町の交差点の交通事故の後に、渋谷区でも似たような事故があったことを報じていた。そっちは七十代の高齢者男性で、突然、車が歩道を走って、五人の男女をはねたと報じていた。いずれも軽傷で、運転していた高齢者の男性は、アクセルが戻らなくなったと言っていると伝えた。

 似たような事故は続いて起こるものだな、とその時は思っていた。

 ところが、午後三時のニュースでは、今度は足立区で八十代の高齢の男性が車道を逆走して、電柱にぶつかって停まったという報道が入ってきた。それだけではなく、午前中の千人町の交差点で事故を起こした男性からも、渋谷区で事故を起こした男性からも、覚醒剤反応が出たと報じていた。二人とも覚醒剤の使用については、否認していると言っていた。

 その後、二人、道を尋ねに来ただけで、午後五時になった。午後五時半に北村巡査が来たので、勤務を交代して、僕は剣道の道具を持って西新宿署に向かった。係員に今日あった事故の報告をした後、制服を着替えて、地下の剣道場に下りて行った。

 一時間、剣道の稽古をして、家に帰った。

 

 僕が風呂に入ると、ききょうと京一郎が一緒に風呂に入ってきた。

「先に入っていたんじゃないのか」と言うと、ききょうが「今日もイルカさんをパパに見せたいの」と言った。

「一度だけって言っただろう」と言うと、京一郎が「ねっ、もう一度いいでしょう」と言った。

「しょうがないな。頭と躰をちゃんと洗ってからだぞ」と言った。

「やったー」と京一郎が言って、頭を洗い出した。ききょうも洗っていた。

 躰も洗ってすすぐと、「僕からだからね」と言って、京一郎が浴槽に入り、潜った。そして、向こうの壁で頭を縁から飛び出して見せた。

 京一郎が浴槽から出ると、「今度はわたしね」とききょうが浴槽に入った。潜って、こちらの壁を蹴り、向こう側の壁に手をついて浴槽の縁から頭を出した。

 京一郎が「手を使うのは反則だぞ」と言ったが、ききょうは「わたしはあなたより背が高いんだからしょうがないじゃない」と言った。

 でも、昨日より上手くやれていたのは確かだった。

 二人にシャワーを浴びせて、きくの待つ脱衣所に送り出した。

 僕は髭を剃り、頭と躰を洗って浴槽に浸かった。

 今日起きた三件の事故は偶然なのだろうか。二件は血中から覚醒剤が検出されたと言っていた。高齢者にまで、覚醒剤汚染が広がっているとは思いたくなかった。

 

 風呂から出ると、夕食の時間だった。

 今日は天ぷらだった。ビールを飲みながら食べた。

 ニュースはタレントの覚醒剤使用の話題と、今日の三件の交通事故が中心に報道されていた。

 チャンネルを変えるとサプリメントのコマーシャルが出た。毎食前に一粒飲むだけで、痩せるというものだった。原理的には、サラダを先に沢山食べれば痩せるのと同じだった。ただ、サラダを山のように食べるのは、確かに大変だからサプリメントに頼りたくなるのは分かる気がした。

 夕食の後は、子どもたちは一時間勉強する時間だった。きくが作ったプリントでもやっているのだろう。

 それから、子どもたちは、歯を磨いて眠りについた。

 

 次の日は、午後五時からの勤務だったので、ゆっくりと起きた。朝食は食べなかった。

 新聞には、交通事故の運転者の覚醒剤使用について、いずれもNPC田端食品が販売している「飲めば頭すっきり」というドリンクが関係していると報道していた。三件目の運転手もそのドリンクを飲んだということだった。その他にも、同じドリンクを飲んだ人が、痙攣を起こしたという事例も報じられていた。捜査当局はそのドリンクを押収して成分を確認しているという。

 昼のテレビのニュースでは、NPC田端食品の株価が暴落していると伝えた。交通事故の原因と目されている「飲めば頭すっきり」というドリンクが関係しているのだろう。因果関係が分からなくても、この手の情報はすぐに株価に影響する。頭のいい奴なら、今回のNPC田端食品の株価の暴落で儲けているかも知れない。頭のいい奴というのは、この株価の暴落がわかる奴のことだ。「飲めば頭すっきり」というドリンクに覚醒剤を混入した者がいるような気がしてきた。そうであったとしても、僕の手の届く事件ではなかった。

 

 昼食はきつねうどんだった。稲荷寿司も作ってあった。

 ニュースはNPC田端食品の株価がストップ安値をつけたと報道した後、タレントの覚醒剤使用について続報を流していた。民放のニュースショーではコメンテーターがタレントの覚醒剤使用についていろいろと話していた。

 

 朝食の後、お昼は食べないと言って、仮眠を取った。

 午後三時半に起きて、警察に向かう準備をした。ひょうたんを持った。

 午後四時に家を出て、西新宿署に向かった。西新宿署に着くと、私服から制服に着替えて、係員から指示を受けた。

 午後五時に赤木巡査から引継ぎを受けて、勤務を交代した。

 午後六時に携帯でニュースを見た。

 NPC田端食品の「飲めば頭すっきり」が全品回収され、今、同製品を購入した人は飲まずにNPC田端食品宛てに送るように伝えていた。

 同製品に覚醒剤の混入が判明しているのは、一週間前に製造した品川工場のあるロットだけだということが分かった。出荷は三日後だったので、購入者が飲むのはそれが配送されてから数日中だということがはっきりした。

 NPC田端食品には、脅迫状のようなものは届いていないという。それが嘘か本当かは分からなかった。僕が犯人なら、本音はNPC田端食品の株価が目的でも、それを隠すために、陽動作戦として、脅迫文を送るだろう、と思ったからだった。仮に送られてきていても、NPC田端食品が握りつぶしている可能性はあった。脅迫文だけで、商品が売れなくなるからだった。だから、犯人は実力行使したのかも知れなかった。