小説「僕が、剣道ですか? 5」


 店を出て、少し行くと人だかりができている。
 何事かと思って見てみると、敵討ちだった。敵を討ちたがっているのは、乳飲み子を抱えた女性とその子どもと思われる七、八歳の男の子である。敵と言われている方は、見るからに強そうな壮年の侍だった。
 女性は「御赦免状はあります。何とぞ、助太刀をお願いします」と周りの者に言っていた。しかし、相手を見ればいかにも腕が立ちそうな男だった。誰も助太刀をするとは言い出さずに、ただ成行きを見守っているだけだった。
 僕も通り過ぎようかと思った。その時、きくが「京介様、助太刀をしてあげれば」と言った。
「私がか」
「はい」
「別に関わりのある者ではない。放っておけばいい。敵討ちは起こらないよ。そのうち、あの親子も諦めるだろう」
「でも……。それではせっかく、敵を見付けたあの親子が可哀想ではありませんか」
 僕は溜息をついた。女は何事も構図で見てしまう。確かに、この状況からすれば、遥々(はるばる)、藩から追ってきた敵をここで見付けた親子の熱意にはほだされる。しかし、あの親子が敵を討とうとしても無理なのは最初から分かっていたはずではないか。乳飲み子を抱える女性に七、八歳の男の子が敵を狙っているのである。これでは、相手を見付けたとしても、斬ることは出来ない。最初から助成にすがる他のない敵討ちではないか。これは体よく、藩から追い出されたと言っても良かった。初めから、この敵討ちを認めた藩の者は、この女性が敵討ちができるはずがないと思ってのことなのではないのか。そんなことも、きくは分からないのかと、僕は思った。
 しかし、きくは「鏡京介様がご助成します」と声を張り上げて言っていた。
 おい、おい、誰がやるって言ったと言いたくなった。
 ぱっと人だかりが開けて、視線は僕に向かってきた。こうなると引くに引けないという奴だった。
「助成すると言ってもどういう成行きなのか分からなければ、困る」と僕は僅かな抵抗を見せた。
 乳飲み子を抱えた女性が僕の前に走ってきて、道に膝と両手を突いて頭を下げた。七、八歳の男の子も同じようにした。
「ご助成、ありがとうございます。私は丸山藩勘定役配下の杉田源五郎の妻です。昨年の夏に、夫がこの時村隆信に斬られました。藩政における意見の対立からでございます」
 僕は時村隆信に目を向けた。
「この女性が言っていることは真か」
「ああ、最初は酒の上での口論だった。店の外に出てもあまりに杉田源五郎がうるさいので、つい斬り捨ててしまった。後悔はしている。謝罪をしたいとも思っていた。しかし、杉田源五郎は私の上役にあたっていて、それも叶わず、私に上司殺しの罪が負わされた。それで私は藩を捨てた」
「そうか。それだと敵討ちをすれば、杉田源五郎の家は取り潰されず、この少年が元服すればお家再興になるというわけだな」
「はい、そうでございます」と頭を下げ続けている女性は言った。
「分かった。ご助成しよう」と僕が言うと、相手の侍が「ちょっと、待った。おぬしは鏡京介と言うのか」と訊いた。
「そうだ」
「あの鏡京介か」と言うので、「あのとは、何を言っているのか知らないが、私は鏡京介だ」と言った。
「黒亀藩の二十人槍や指南役の氷室隆太郎を破ったという、あの鏡京介か」
「そうだ。他に盗賊や山賊なども倒している」
「それじゃあ、私には相手にならない。まさかこんなに若いとは」
 時村隆信が狼狽していると、さっきすれ違った旅芸人の一団が彼の後ろについて、「何ならわしらがおぬしの助太刀をするぞ」と言った。
 相手は十五人だった。
「訳あって、こんななりをしているが、鏡京介はわしらの敵なのじゃ」と団長らしい者が言った。
「お前らに敵呼ばわりされる覚えはないがな」
「そっちになくても、こっちにはあるのだ」と団長らしき者が言った。
「そうか。だったらやり合うしかないな」
 時村隆信は望外の助成者が現れたので、元気づいた。
「ならばこの敵討ち受けてやろう」と時村隆信は言った。
「いいんだな」と僕は念を押した。
「いいとも。これだけの助っ人がいれば、鏡京介といえども恐れるには足りない」と言い放った。
「後悔しても知らないぞ」
 そう言った後で、僕は周りの者に言った。
「見ての通り、これは尋常の敵討ちである。双方に助っ人がいるが、これは認められたものである。だから、役人が来たら有り体に申せばいい。皆は証人になって欲しい」
「わかった」、「任せておけ」と言う声が飛んだ。
 僕は「杉田源五郎殿の妻子は、きくと一緒に私の後ろにいるように」と言った。
 杉田源五郎の妻と子はきくの後ろに隠れた。それを見て、僕は定国を抜いた。
 向こうは旅芸人の一団が前に出た。隠し持っていた剣や槍を大きな荷車から取り出した。
 最初に手裏剣が飛んできた。僕はそれを掴むと投げてきた者に投げ返した。その者の肩に当たった。次に槍が突き出された。僕は飛び上がって、その切っ先をかわすと、槍を突いている者のところまで行って、その胸を斬り裂いた。残りの者は刀を向けてきた。僕はそれらをかわしつつ、次々と斬り捨てていった。斬り合いは激しかったが、力量の差が大きかった。相手は僕の敵ではなかった。ただ、斬られるだけだった。相手は刀をかわすことさえできなかった。あっという間に十人は斬り倒された。荷車を楯にしている者は、僕が荷車に飛び乗って、上から斬り付けていった。何人かの頭を割った。そして残るは団長だけになった。さすがに剣捌きは鋭かったが、僕に敵う力量はなかった。難なく袈裟斬りにされた。
 時村隆信は信じられないものを見ているという顔をしていた。僕は彼に駆け寄ると、両腕を叩き折り、当て身を喰らわせて気絶させた。そして、躰を引き起こして、杉田源五郎の妻と子に「とどめを」と叫んだ。
 杉田源五郎の妻と子は刀を抜くと、それを腹のあたりに構えて、時村隆信に体当たりするように斬り付けてきた。僕はすぐに横に飛び退いた。
 杉田源五郎の妻子は見事、時村隆信を討ち果たした。
 誰かが「番所の役人を呼んでこい」と言っているのが聞こえた。
 杉田源五郎の妻が僕の前に来て、頭を下げた。
「ご助成ありがとうございました。後になってしまいましたが、私は杉田源五郎の妻、みやと言います。こちらにいるのは息子の源吉です。些少ではありますが、これを」と懐紙に包まれた金子を渡そうとした。
 僕はその金子を掌で押し返し、「金子目あてではありませんから、お気を遣わずに」と言った。台車には千両箱が載っている。巾着には百両近い金がある。これ以上金子が増えても困るだけだ。
「それでは私が困ります」とみやが言った。
「それなら、乳を貰えますか」と僕は言った。
 貰い乳はしたことがなかったので、きくの方を見た。きくが頷いたので、きくに任せることにした。
「それでいいのですか」とみやが訊くので、これ以上金子が増えても困るのでとも答えられずに、僕はただ「ええ、それで結構です」と言った。
 木陰に入り、きくが周りの視線を隠すように立つと、みやはききょうに乳を飲ませた。ききょうもキューブミルクではない乳は美味しかっただろう。
 そうこうしているうちに数人の役人がやってきた。
 身だしなみを整えたみやが赦免状を取り出して、役人に見せた。他の役人は周りの見物人から状況を聞いていた。
 当然、僕たちの方にも役人が来た。いきさつを説明すると、それを書き留めて帰って行った。鏡京介という名は、彼らのところまで届いてはいなかったのだろう。何も言われなかった。
 死体検分が済むと、僕らは解放された。杉田源五郎の妻みやと源吉は残った。
 みやと源吉に手を振って別れると、僕たちは次の宿場を目指した。