小説「真理の微笑 真理子編」

五十一
 夜のベッドで高瀬と抱き合った後、真理子は浴室でシャワーを浴びた。
 真理子が寝室に戻ってくると、高瀬は「入院中、真理子のご両親もうちの両親も面会に来なかったけれど、どうしてだろう」と訊いた。
「知らなかったの」
「何も覚えていないんだ」
「あなたのお母様は認知症で千葉にある施設に預けられているわ。お父様は五年前にお亡くなりになった」
「そうだったのか」
「わたしの両親はもう亡くなっているわ。母は十年前に、父はその三年後にね。去年、父の七回忌をやったの、覚えていないの」
「うん、全然。うちの父は何をやっていたんだろう」
「普通の会社員よ。何て言ったかな、確か大手の証券会社の子会社に勤めていたと思ったけれど」
「真理子のお父さんは」
「うちは自動車修理工場をやっていたわ。わたし、小さい頃、自動車の下に入って、よく遊んだもの」
「へぇー」
「車のタイヤ交換や、簡単なエンジントラブルならすぐ直せるわ。父から教わったもの。父はわたしが男だったらなぁ、と良く言っていたわ。工場を継いで欲しかったのね」
「父親ってのは、大抵そんなもんだよ。子どもに跡を継がせたくなる」
 高瀬がそう言うと、真理子は黙った。高瀬は、真理子が富岡と不妊治療専門のクリニックに通っていたことを知らなかったのだ。だから、子どもの話も気楽に話せる。しかし、真理子にとってはそうではなかった。しかし、いつまでも黙っている訳にはいかなかった真理子は「そうよね、そういうもんよね」と言った。その時の真理子には、由香里のことがチラリと頭を過った。
 高瀬は真理子を抱き寄せた。真理子は高瀬のするままに抱き締められた。そして、胸の内に広がっていこうとする子どもに対する執着心を、高瀬との抱擁の中で溶かそうとした。

 クリスマスイブの日が来た。
 高瀬を会社に送り届けると、少しドライブをしてから、デパートに向かった。そして、料理の材料を山のように買った。
 クリスマスイブの料理をお昼頃から作り出していたが、いつのまにか、時計は午後四時を回っていた。
 急いで、料理を皿に盛り付けて、ダイニングテーブルに運んだ。
 それから化粧をして、服を着、高瀬を会社に迎えに行った。
 去年まではクリスマスイブは、真理子は料理を作って富岡を待っていたものの、富岡は家には帰って来なかった。仕方なく、真理子は一人で、その料理を食べたのだった。
 でも、今年は違う。高瀬がいる。それだけで真理子の心は浮き立った。
 高瀬を会社から連れて戻ってくると、ダイニングにすぐに連れて行った。
 そこには、真理子が手塩に掛けたご馳走とクリスマスケーキが並んでいた。
 真理子は、高瀬の車椅子を動かして、それらのご馳走の並んだ正面の席に着かせた。
 そして、シャンパンを抜き、高瀬の目の前に置かれているシャンパングラスにそれを注いだ。
 高瀬が心配そうに真理子を見るので、「大丈夫よ、子ども用のものだからお酒は入ってないわ」と真理子は言った。
 真理子にも高瀬はノンアルコールのシャンパンを注いだ。そして、高瀬はシャンパングラスを取って真理子のグラスに当てると一口飲んだ。
 真理子はその姿を嬉しそうに見ていた。
 高瀬が、カモの肉を一口頬張った後、「忘れるところだった」と言った。そして、ジャケットの内ポケットから何やら細長い箱を取り出すと、真理子に渡した。
 真理子は「なあに」と言いながら開けると、そこには、ダイヤモンドのネックレスが入っていた。びっくりした後、顔がほころんできた。
「これって……」
 高瀬は「ありがとう、感謝の気持ちだ」と言った。
 真理子は口を拭って、立ち上がった。そして、すぐに鏡の前に行って、それを首に当ててみた。
 高瀬が「つけてみろよ」と言うので、真理子は「ええ」と応えながら、ダイヤモンドのネックレスを首につけた。
 鏡に映るネックレスは、それは美しかった。
 真理子は振り向いて、ネックレスをつけた姿を高瀬に見せた。
「素敵だ」と高瀬は言った。
「これ、高かったでしょう」
ジルコニアじゃないよ。本物のダイヤだ。真理子には本物が似合う」と高瀬が言うと、真理子は高瀬にキスをした。
 そして真理子は、高瀬に「ありがとう、あなた。大切にするね」と言った。

 夜の時間になった。
 高瀬は先にベッドに入っていた。
 真理子はそんな高瀬を見て、化粧水を顔につけた。そして、薄いバスローブを羽織った。
「ねえ、真理子。さっきのネックレスをつけてくれないか」と高瀬が言うので、「いいわよ」と応えた。
 真理子は化粧台の中から細長い箱を取り出した。そして、箱を開けてダイヤのネックレスを首につけた。
「そのまま、立って」
「わかったわ」と言って、真理子は立ち上がった。
「バスローブも脱いで」
 そう言われると真理子は恥ずかしかった。寝室の電気が点いていて明るかったからだ。しばらく躊躇していたが、やがてバスローブを足元に落とした。
 裸身にネックレスだけの真理子がそこにいた。首元で、銀色と透明に輝くネックレスが裸の真理子をより一層引き立てていた。
「こっちにおいで」
 真理子は高瀬の元に寄っていった。
「そのままベッドに上がって」
「でも」
「いいから」
 真理子はベッドに上がった。そして、高瀬の隣に横たわった。高瀬はその真理子に覆い被さり口づけをした。
 胸に当たるネックレスのダイヤがひやりと冷たかった。
「だめ、ネックレスを壊しちゃう」
 真理子は起き上がった。そして言った。
「わたし、そんなに大人しい女ではいられないわ」
 真理子は、ベッドから出てネックレスを外して箱の中にしまうと、再びベッドに戻っていった。