小説「真理の微笑 真理子編」

十九-2

 やがて西野がノックして入ってきた。
「これですか」
 そう言って、差し出したのは、名刺を印刷する紙の種類を集めて、ホルダーファイルに入れたものだった。
 清宮は「その中から、お好みの用紙を選んでください。今、うちにある用紙はそこに全てありますから」と言った。
 真理子は薄いピンクの多少凹凸のあるものを選んだ。
「これでいいわ」
「片面印刷ですか、両面印刷ですか」と西野が言うので、「片面でいいわ」と言った。
 そう言いながら、メモ用紙に名刺に印刷する文字を書いて、清宮に渡した。
「で、スピード印刷なのよね」と真理子が言うと、西野が「三十分でお持ちします」と言って出て行った。
「こんなこともできるのね」と真理子は感心したように言った。
 清宮が須藤が持ってきたA4版のマニュアルを見て「あれなら、うちだったらA5版に両面印刷して製本して持ってきますよ」と言った。
「そうなの」
「ええ。以前は、フロッピーの大量コピーも製本もうちでやっていたものです。A5版のマニュアルにボール紙を四角くくりぬいたところにフロッピーディスクを入れて、ビニールでパックして出荷したものです」
「そうなんですか。それに比べると隔世の感があるわね」
「ええ」
「今日来た須藤さんのところも、言ってみれば以前のうちのようなものだったのね」
 そう真理子が言うと、清宮は「まぁ、最初は何かと大変でしたから」と言って、少し感慨にふけったようだった。
「とにかく、いろいろな分野のソフトに手を出しては、失敗の繰り返しでした。TS-Wordの最初のバージョンを出して、やっとソフト会社のような感じになったんです」
「そうだったのね」
「ええ、TS-Wordは我が社を救ったソフトです」
「じゃあ、今度のTS-Wordも成功させなくちゃね」
「そうですね。少しずつですが、シェアも伸ばしているし、今回は他ではない罫線を使った表計算もできる優れものですから、使ってもらえれば、その良さがわかると思います」
「そうだといいわね」
 そう言っているうちに西野が戻ってきた。息せき切って来たのがわかった。
「ごめんなさいね。急がせてしまったわね」と真理子は謝った。
「いいんです。それより、出来具合はどうでしょうか」
 西野に促されて、半透明のピンクのアクリルケースに入った名刺を一枚取り出して見た。
「すごい。名刺屋が作ったようじゃないの」
「そうでしょう」と西野は言った。
「でも作るのは、簡単なんですよ。パソコンに必要な情報を入力して、プリンターから印刷するだけですから」
「これ、『名刺屋さんもビックリ!』という名のソフトを使って作ったんですよ」と横から、清宮が口を挟んだ。
「そうなんだよね」と西野が言うと、二人は笑い出した。
「どうしたの」と真理子が訊くと、「『名刺屋さんもビックリ!』は、ビックリするほど売れなかったんですよ」と西野が答えた。これには、真理子も笑った。
「そうなの。でも、これだけ上手くできるのに、どうして」と訊いた。
「同じことがワープロソフトでもできるんですよ、用紙サイズや印刷位置の指定が面倒なだけで」と清宮が答えた。
「おまけにテンプレート、これはサンプルにする文書のことなんですが、それに名刺を付け加えたものだから、TS-Wordがあれば、これと同じものが作れるんです。だから、『名刺屋さんもビックリ!』はすぐに売れなくなったんです」
「そうだったの。あなたたちの仕事はそうしたトライアル&エラーの繰り返しで、上達していくのね」
「良く言えば、そうですね。ただ、上手くいく確率の方が低いのが難点ですが」と西野が言った。
「でも、そのうち、ホームランを打つわよ」
「そうだといいんですが」と清宮が返した。
「打ってくれないと、わたしが困るわ」
 真理子がそう言うと、三人で笑った。
「もうこんな時間だ」
 そう言ったのは、清宮だった。もう時計は十二時を回っていたのだった。
「ごめんなさいね、気付かなくて」と真理子が謝った。
「では、これは持ち帰って検討します」と清宮が言うと、「よろしくお願いします」と真理子が答えた。
 二人が出て行くと、社長室の中は、急に静かになった。