小説「真理の微笑」

三十四
 真理子が買ってきてくれたアイスクリームはとても甘かった。しかし、それより真理子とのキスの方が遥かに甘かった。
「事故を起こしてからのあなたは変わったわね」
「そうか」
「キスがうまくなったもの」
「俺は変わっていないつもりだけど、もしそうだとすればリセットされたからだろう」
「リセット?」
「パソコンを起動し直す時に、リセットするだろう」
「変な事を言うのね」
「記憶をなくしたから新鮮なんだ、何もかも」
「女房と畳は新しいほどいいって言うものね」
「馬鹿な事、言うな」
 真理子の笑い声が聞こえた。
「冗談よ」
「で、見積もりの方はどうだった」
「結構かかるわね」
「そうか」
「段差のある所にはスロープをつけてもらうようにしたわ。これは大した事なかったけれど」
「けれど……」
「二階に上がるのに、椅子式階段昇降機というのを付ける事にしたの。一番性能のいいのにしたのよ。これに費用が一番かかったわ」
「どれくらいした」
「百五十万円ぐらいだったと思うわ」
「そうか」
「バスルームとかトイレの改修も加えると、全部で三百万円ほどかかるわね。今回ね、トイレをウォシュレットにする事にしたの」
「分かった。とにかく真理子に任せるよ」
 それからしばらく真理子と話をした。そして、帰り際にもう一度、真理子とキスをした。

 真理子が帰った後、高木が買ってきてくれた便せんを取り出した。
 表紙をめくって、いざ書き出そうとすると言葉が見つからなかった。
 どう書けばいいんだ。
 電話できないのと同じ事だった。現在の状況も、いる場所も書く事はできない。結局、何も書けなかった。私は便せんをサイドテーブルに置いて、ベッドに横たわった。