小説「真理の微笑」

二十一
 会社移転となれば、形式的にでも取締役会と株主総会を開かなければならないだろう。
 まだ、私には株主の事も、誰が取締役になっているのかさえも分からなかった。どんな会社組織になっているのかも把握していないのだ。これらの事は真理子を通して、速やかに知らなくてはならなかった。
 会社の約款と、議事録を見れば、これまでの事は分かるだろう。
 思いつけば、すぐにでも手を付けたくなった。躰が自由であれば、会社に行けば済む事が、今はまどろっこしくてしょうがなかった。

 今日は午前中には、真理子は現れなかった。会社移転の事を誰かに話しているのだろう。突然の話だから、そう簡単に切り上げる事はできないのに違いない。
 退屈していた私は、パソコン雑誌を広げていた。ラップトップパソコンの記事が出ていた。ラップトップというのは、膝の上に載せて操作できるといった種類のパソコンを意味していた。通常はパソコン本体とディスプレイは分かれているが、ラップトップパソコンは、それが一体化していた。その最上位機種は五十万円を超えていた。しかし、今の私にはそれが欲しくて仕方がなかった。
 パソコンがあればできる事が広がる。病室の隅に電話の端子があるのが見えていた。モデムか音響カプラを使えば、パソコン通信もできるようになる。社内にある自分のパソコンにアクセスする事も可能になるのだ。真理子が来たら、ラップトップパソコンと必要な機器一式を購入するように話そうと思った。

 昼食を終えて、しばらくすると看護師が来て、「さあ、シャワーに行きましょうね」と言った。私は真理子が用意してくれていたバスタオルとフェイスタオルに肌着を車椅子の膝の上に置いた。そして、看護師が持ってきたレンタルのパジャマがその上に載せられた。
 私は一階下の浴室に向かった。
 脱衣室には、もう一人の看護師が待っていて、膝に載せていた荷物は、傍らの籠に入れられた。パジャマを脱ぎ、包帯と紙おむつを取られて私は真っ裸になった。
 看護師二人はゴムでできたつなぎのようなものを着ると、ゴム長靴にゴム手袋を嵌めた。私を浴室の椅子に座らせると、一人が壁のポールにかけられていたシャワーへッドを掴み、湯加減をみて、私の肩から全身にかけた。もう一人がシャンプーを手に取り泡立てた後、頭に付けてゴム手袋で洗った。その後は、ガーゼのようなものに液体石けんを染み込ませて、私は二人に全身を洗われた。私は終始、目をつぶっていた。二人のどちらかが性器を洗ったのだが、それも分からなかった。
 石けんまみれになった私は、シャワーで丁寧に洗われた。その後、浴室から出て、タオルの敷かれた椅子に座らされて、フェイスタオルで頭を、バスタオルで躰を拭かれた。そこで、新しい紙おむつをはき、肌着と新しいパジャマを着た。包帯は巻かなかった。長袖に隠れていない手首から先は、ケロイドにはなっておらず綺麗に見えた。
 着替えが終わると、車椅子に乗った。そして、この浴室に連れてきた看護師に車椅子を押されて部屋に戻った。二ヶ月ぶりに躰を洗ったのだ。気持ちよくないわけがなかった。包帯が取れたのも大きかった。急に身軽になった気分がした。
「さっぱりしたでしょう」と、看護師が訊いたので、「ええ」と答えた。
「来週からは週二回、火曜日と金曜日にシャワーに入れます」
「そうですか」
「今日は軽く流すように洗っただけだけれど、皮膚もしっかりしてきたから、そのうちスポンジを使って洗えるようになりますからね」
「そこのシャワーはいつから使えるようになるんですか」
「まだまだです。手足のリハビリが始まって、自分で立てたり、躰が洗えるようにならないと駄目ですね」
「そうですか」
 私は自分の両手を持ち上げてみて、まだまだ無理そうだと思うと、残念だった。
「それじゃあ、ベッドに上がりましょうね」
 車椅子がベッドの横に着くと、私は車椅子から降りて、腰をベッドの端に降ろした。そして、看護師に両脇を抱えてもらい、ベッドの中央に腰を移動させると、足をベッドに乗せた。躰がベッドの中央に来ると、ベッドを高く上げた。
「明日から、午後、リハビリが始まりますよ」
「えっ、そうなんですか」
「ええ。今のように車椅子に自分で乗れるだけでなく、操作して動かせるようにならないと不便でしょう」
「それはそうですが、できるようになるんですか」
「もちろん、できますよ。努力次第ですけれどね」
「頑張ります」

 看護師が出て行くと、富岡の手帳を見た。インタビューは五月半ばだった。すると、その直後に発売された雑誌にインタビュー記事が載った事になる。
 私は、その記事を読んで、怒りでその雑誌を投げつけたものだった。
 手帳を見ていくと、来年四月にも新しいソフトを発売する事になっていた。それはカード型データベースソフトらしかった。
「カード型データベースソフトだと……」
 私は再び怒りに躰が包まれた。
 おそらくそれも(株)TKシステムズが開発していたものに違いなかった。(株)TKシステムズが開発していたのは、カード型データベースソフトといっても、基本は表計算ソフトだった。見た目がカード型データベースソフトに見えるというだけだった。
 通常のデータベースソフトは、入力項目のフォーマットを作らなければならない。どの項目に何のデータを入力するのか、最初に決めなければならない。これが面倒なのだ。カード型データベースソフトは、白紙状態のカードに見立てたページという概念のディスプレイ画面の任意の位置に、入力したい項目名を書き、その隣に入力するデータのサイズ(半角で何文字とか)を決めたら枠を作る。これがデータ入力領域になる。この作業を、ディスプレイ一画面を一枚のカードに見立てて、全部行う。それが済んだら、入力フォーマットのできあがりだ。後は、カードにデータを入力して、改ページしたら次のデータが打てるようになる。基本が表計算ソフトだというのは、入力項目は最初の行になっていて、次の行には、そのカード一枚分のデータが入力されているからだった。例えば、カードを何枚も入力していけば、表計算ソフトのように表示させた場合、名前の列にはずらりと名前が並ぶ。名前の前か後に「ふりがな」の項目を付けておけば、あいうえお順に並べ替える事もできる。
 ワープロソフトは北村がリーダーとなって開発していたが、カード型データベースソフトは私が中心になって開発していたものだった。ただ、ワープロソフトに表計算ソフトを組み込む際に、北村には手伝ってもらった。そのカード型データベースソフトまで富岡に渡していたというのか。
 確か、トミーソフト株式会社はワープロソフトでは実績があったが、カード型データベースソフトには手を出していなかったはずだった。それよりもグラフィックソフトに力を入れていたはずだった。
 …………
 カード型データベースソフトだと……。その時、私はある事を思い出した。
 私は自分のプログラムにちょっと分からないように妻と息子の名前を入れていたのだった。それはヘルプメニューのバージョン情報に入れていた。使用者名に私の名前を入れ、法人名を(株)TKシステムズにし、ユーザーIDを0000-0000-0000とすると、ユーザ名の私の名前の隣に妻と息子の名前が現れるような仕掛けを作っていたのだった。
 これをそのまま生かしておいては致命傷になる。
 ごく初期のプロトタイプはパソコンにインストールしなくてもフロッピーディスクだけで動くものだった。簡単なプロテクトはかけてあったが、北村なら外せるだろう。それを富岡に渡していたら、そして、富岡が誰かにやらせるようにフロッピーディスクのコピーでも作っていたら……。考えるだけでもぞっとした。もし、そうなら何としてでもすべてのフロッピーディスクを集めてそれを消してしまわなければならない。誰かが私の仕込んだものを偶然発見するとも限らないのだから。開発が進んでいなければいいのだが、と思った。β版が作られて、無差別に社外に持ち出されたらおしまいだ。