十九
次の日、真理子は手帳と富岡のインタビュー記事が載った雑誌を持ってきた。
「これでいい」と真理子が訊くので「うん」と頷いた。
その時、医師が入ってきた。ドアをノックしたのだろうが、気付かなかった。
昨日の採血とレントゲンの結果を伝えにきたのだった。
「腎臓は、一時は透析も考えたくらいでしたが、随分と回復してきましたよ。肝機能の数値も良くなっている。皮膚はもう安定してきているので、包帯は明日取りましょう。手と足の骨折は、ほとんどくっついているんですが、肘と膝はまだ保護が必要なので、もう少しっていうところですね」
「歩けるようになるんですか」と真理子が訊いたが、医者は首を横に振った。
「短い距離なら、松葉杖でも移動できるでしょうが……」
それは車椅子での生活が待っていると言われているのと同じ事だった。
「膝の損傷が激しいので、普通に歩くというのは難しいでしょう」
私は絶望的な気分になった。私が気落ちしている事を真理子も気付いたのだろう。
「大丈夫よ。わたしが足になるから」
彼女はそう言った。その言い方が何故か嬉しそうに聞こえた。
自由に歩けないという事は、真理子の目を盗んで、夏美や祐一に会いに行く事ができない事を意味した。もちろん、夏美や祐一に直接会うつもりはない。遠目にでもその姿を見る事ができればいいぐらいにしか考えていなかった。その些細な願いもできそうにはなかった。
「頭の方は、脳に損傷も見られませんし、外科的にいえば何の問題もありません。ただ、記憶が失われているというのは、原因は事故によるショックとしか言いようがありません」
医者がそう言うと、真理子はすぐに「全部を忘れていると言うのではないんですよ。プログラムの事はよく覚えていたし……」と言った。
「もちろん、全部の記憶を失っているわけではないと思いますよ。部分的に記憶があるというのは、よくある事です。第一、私の話している事が理解できているでしょう。言語能力は失われていないわけです。そのうち、記憶を取り戻すという事もあるでしょう」
そう言うと彼は椅子から立ち上がった。「では、これで……」と、医者は部屋から出て行った。真理子はドアまで見送ったが、振り向いたその顔は決して暗くはなかった。私は車椅子生活をしなければならない事に、かなりショックを受けているにもかかわらず、真理子の顔は逆に輝いて見えた。そんな真理子の口から出た言葉が「急いで、おうちをリフォームしなければね」だった。
「えっ」
「バリアフリーにするのよ。一階と二階全部」
「…………」
「あなたが退院してくるまでに改修しておかなくちゃ」
真理子の事は、元々知らなかったが、彼女がこんなにも行動的だったとは分からなかった。今までは、ただ見た目で判断していただけだった、と思った。
「ありがとう」と私が言うと真理子は、不思議そうな顔をした。
「どうした」
私がそう言うと、「えっ、だって、あなたがそんな事言うなんて……」と答えた。
私は富岡を知らなかった。だから、自然と出た言葉が、富岡が普段は決して言わない言葉とは知らなかったのだ。まずいと思ったが、「事故のせいだろう。事故が性格を変えたのかも知れない」と、上手い言い訳ができない代わりに、適当な事を言って誤魔化した。
「そうね、そうかもしれない」
私は、真理子が持ってきた手帳を開いてみた。びっしりと癖のある文字でスケジュールが埋まっていた。入院前のある日付をめくった。北村が事故を起こした日だった。
星印がついていてPM2:00と書かれていた。そういえば、あの日、北村を街で見かけたのは二時半頃だったろうか。私はある会合の帰りで、会社からは離れた所だった。
手帳を遡って見ていくと、何箇所かに星印と時間が記入されていた。北村と接触を持った日時だと思われた。
新しいソフトを開発していた頃には、二週間毎に会っていたようだ。手帳には、今年の初めから星印が付いていたから、北村と富岡が出会ったのは、去年だろう。
午後五時以降は、違うイニシャルが毎日のように付けられていた。
「何か思い出した」
「いいや」と言い、手帳をめくりながら、「俺はどんなんだったのだろう」と呟いた。
「会社人間だったのかな」
高瀬だった頃の私は、七時に夏美と祐一と一緒に夕食をとる事にしていたから、六時には退社した。社員たちにも六時には帰るように言ったが、北村は遅くまで残業していたようだった。それが富岡のためだったとは、気付くよしもなかった。
「あなたが、会社人間?」
真理子は呆れたように言った。
「違うのか」
「さぁ」と、真理子ははぐらかした。だが、その様子からすれば、違うような気がした。
それにしても、あの午後五時以降に付けられたイニシャルは何なのだろう。毎日、接待でもしていたか、されたのだろうか。私も接待したり、されたりする事はあったが、ごくたまにだった。
今度はインタビュー記事の方を読んだ。最初に目に飛び込んできたのは、富岡の写真だった。右足を下にし左足を上にして組んで、椅子に座っていた。その左膝の上に右手の親指が上に来るように両手を組んで置いていた。こうした座り方や手の組み方は、個人差がある。つい、ベッドの上で手を組んでみた。普通に組むと、左親指が上に来た。慌てて組み替えた。そんな私を見ていたのだろう。「何してるの」と真理子が不思議そうに言った。手を雑誌に戻して、「いや、何でもない」と言ったが、ひやりとした。うっかりやっていい事ではなかった。真理子がいなくなってからしても良かったのだ。
「良く写っているわね」
「ああ」
私は次のページを開いた。こちらは顔だけがクローズアップされた写真が載っていた。見たとたん、咄嗟に雑誌を閉じたくなったが、今はインタビュー記事を読む事に集中すべきだと思い直した。
ページを前に戻した。今後、どのようなソフトが流行ると思いますか、という質問に対して、『まず、ワープロソフトだと思いますね。今、パソコンはゲーム機のように思われていますが、事務処理能力は高いですから、質の良いワープロソフトが出てきたら売れると思いますよ。今、開発中のワープロソフトは画期的ですからね。世に出れば、きっと評価されると思います』と答えていた。
いけしゃあしゃあと自分で作りもしないソフトの事を持ち上げて、しゃべっていた。読むだけでムカムカしてくるが、ここは落ち着かなければならなかった。私は富岡なのだ。高瀬ではない。そして、側に真理子もいる。
「ここで言っている事、みんな、あなたの言ったとおりになったわね」
真理子は私に顔を向けてそう言った。褒めているのは分かっていたが複雑な気分だった。
インタビュー記事は編集してあるから、そこからは富岡の生の言い癖はあまり読み取れなかった。ただ、自己主張が強く、自慢したがり屋だという事は分かった。
「き……」
「えっ」
「君の言う通りかも知れないが……」と言いかけ、真理子をどう呼んだらいいのか、分からなかったので、慌てて止めた。富岡なら「君」と言うだろうか。「お前」と言いはしないだろうか。真理子の事をどう呼ぶのか、考えた方がいい、と思った。それで「きょうは、これから会社に行くのか」と言い直した。
「ええ」
「毎日、大変だね」
「そうでもないわ。これも慣れね」
「そうか」
「サポートで大忙しよ。何しろユーザー数が何十倍、いえ何百倍にもなったんだから」
真理子は夕方に来ると言って病室を出て行った。
真理子が出て行くと、私は週刊誌を隅から隅まで見た。蓼科の事故の事は出ていなかった。しかし、突然、失踪した某ソフトウェアの社長の事については、一誌だけが記事を書いていた。まず、社長の失踪する二ヶ月ほど前に専務が交通事故で亡くなった事が報じられていて、それで会社が見る見るうちに傾いていき、遂には社長までが会社を捨てて失踪した、という書き方になっていた。会社は倒産し、自宅も手放して、途方にくれる夏美と祐一の姿が目線は隠されていたが、妻の実家から出てくるところを、それと分かる形で写真に撮られていた。それを見て、私は胸が締め付けられるような思いがした。