八
定時に退署して、午後五時半には家に帰った。
「お帰りなさい」ときくとききょうと京一郎が出迎えてくれた。
二人に手を引かれて、玄関から廊下に上がった。
ききょうと京一郎はそのままダイニングルームに入って行き、きくは僕と一緒に寝室に来た。背広とズボンとワイシャツを脱いで、きくに渡した。僕はスウェットの上下を着た。
「暑くなってきたから、明日からＴシャツに短パンにしようかな」と言うと、きくは「わかりました」と言った。
きくが「お風呂にしますか」と訊くので、「そうだな、風呂に入ろう」と答えた。
「ききょうと京一郎も入れてやってくださいね」
「分かった」
寝室を出て、ききょうと京一郎に聞こえるように「風呂に入るぞ」と言うと、ききょうと京一郎が走って僕の足元に来た。
僕はきくが渡してくれた着替えと、バスタオルを持つと、階下に降りていった。
バスルームは四階にあった。
父や母はリビングルームにいるらしく、「お先に入るよ」と声をかけると、「おう」と言う父の声が返ってきた。
そのまま脱衣所に入った。ききょうと京一郎は争って服を脱いだ。僕も着ているものを脱ぐと洗濯籠に肌着とトランクスを放り込んだ。
手拭いを持ち、浴室に入った。ききょうと京一郎も入ってきた。
二人に、頭から手桶で風呂から汲んだ湯をかけると、バスチェアに座らせた。
僕も躰にかけ湯をすると、手拭いで石けんをとり、手拭いに石けんをまぶした。その手拭いで躰を洗うと、そのまま、ききょうと京一郎の頭も躰も洗った。
シャワーを取り、湯加減を見て、まず自分の躰を流してから、ききょうと京一郎の頭も躰もシャワーで洗った。
それから二人を風呂に入れた。京一郎は立って入っていた。
僕は頭をシャンプーで洗った後、髭を剃った。そしてシャワーで流すと、風呂に入った。「一、二……」とききょうと京一郎は数を数え始めた。僕が風呂に入って、二人が肩まで浸かって百になったら、風呂から上がっていい、という決まりになっていた。
「九十九、百」と数え終わると、二人は風呂から飛び出した。
「シャワーを浴びるんだぞ」と僕は言った。
二人は「はぁーい」と声を揃えて返事した。
ききょうがシャワーを取り、お姉さんらしく、まず京一郎の頭からシャワーをかけた。それから、自分も頭からシャワーを浴びた。
シャワーを浴びた二人は、バスルームから脱衣所に出て行った。脱衣所には、きくが待っていた。二人にバスタオルを渡すところが見え、バスルームの戸は閉まった。
僕は風呂にゆっくりと浸かった。
この後、夕食をとったら、少し休んでから出かけるつもりだった。
午後八時半を少し過ぎていた。僕はポロシャツを着、ジーパンを穿くとひょうたんをジーパンのポケットに入れた。
「今日も出かけられるんですか」ときくが訊いた。
「ああ、今日は北園公園に行ってくる」と答えた。
「まぁ、北園公園ですか」ときくは言った。北園公園は家から歩いて、十五分ほどのところにあった。
「そうだ」
「北園公園で、事件が起こった後は大変でしたものね」ときくは言った。
町内会や敬老会が主催となって、しばらくの間、夜間、防犯パトロールが続いたのだ。
「あの事件は解決したのですか」ときくが訊いた。
「いいや」と僕は答えた。
「まぁ、そうですか」ときくは言った。
僕は安全靴を履くと、玄関のドアを開けた。そして、外に出た。
北園公園には、午後九時前に着いた。
周りは、八階から十階ほどのオフィスビルに囲まれていた。二ブロックほどの公園だった。新宿南口から、被害者の住む富永三丁目までは歩いて三十分ほどの距離だった。その中間にこの北園公園があった。公園内を通らず、回り道をすれば、事件に遭わずに済んだはずだった。公園内を通らず、回り道をしてもそれほど、帰宅までの時間がかかるわけではなかった。僅か四分か五分ほど多くかかるだけだった。だが、西沢奈津子は照明で照らされた通りを通ることなく、この北園公園を横切ったのだ。そして、事件に遭った。
午後九時になった。僕はひょうたんの栓を抜いた。あやめが現れた。
公園内には人気がなかった。
新宿南口から来たとすれば、南西側の角の入口からこの公園に入ったことになる。僕はそこまで行ってみた。そして、被害者が歩いたと思われる、北東の出口に向かった。
公園内は薄暗かった。公園の周りに植えられている木々で、通り道は外の通りからは見えにくかった。そして、少し木が生い茂ったところを通る。ここで被害者は襲われたと思われる。
僕はあやめに「霊気を感じるか」と訊いた。
あやめは「はい」と答えた。
「感じとったものを私に送れ」と言った。
「わかりました。すこし待ってください」とあやめは言った。
その時間が長く感じられた。周りを見回した。
人気がなかった。南西側の角の入口から北東の出口までの公園内の道は、ほぼ公園を斜めに横切った形になっていた。
公園の周りをぐるりと回るよりも、この公園内の道を通りたくなるのは、よく分かる。しかし、周りの通りからの死角は多くあった。この公園内に人がいれば、気にはならないだろうが、先程から誰も入ってくる気配はなかった。
昼間は、公園の周りに置かれたベンチで弁当を食べているＯＬやサラリーマンが目に浮かぶ。しかし、夜の公園は静かだった。
「終わりました」とあやめが言った。
「だったら、映像を私に送れ」と僕は言った。
とたんに、頭がクラクラするような感じになった。一度に映像は流れ込んできた。それを僕の頭が処理しようとしていた。
目眩がしばらく続いた。そして、止んだ。
僕は被害者と同じ道を辿ろうと思った。だから、新宿南口まで歩いた。十五分ほどかかった。
被害者は駅を出ると、すぐにスマホを取り出し、ＬＩＮＥを見た。書き込まれているメッセージに返信した。
「今、南口を出たとこ」と書き込んでいた。
「これから、カラオケに行こうかと思うんだけれど来ない」と書込みが来た。
「今日は駄目。彼氏が来るから」と返信した。
「頑張ってー」というスタンプ付きのメッセージが送られてきた。
それから今日のニュースを見ていた。
一通り見ると、明日の天気予報を見た。晴のち曇りだった。
そして、占いコーナーを見に行った。
今日の運勢は、大凶だった。
『何事も焦らず、じっくり待つことです。今、付き合っている人がいれば、今日会うのは止めた方がいいでしょう。喧嘩の元になります。ラッキーアイテムは手袋』と書かれていた。
その後、メールが来た。開いてみると、広告だった。削除ボタンを押した。
そうして、携帯を見ながら、南西側の角の入口から北園公園に入って行った。
人気はなかった。
彼はもう部屋の前に来ているかも知れなかった。午後九時半という約束だったからだ。しかし彼は少し早く来るのが常だった。彼からメールが来た。
『もう、いるのかと思った。待たせんなよ』と書かれていた。
西沢奈津子は『ご免。急な用事が入っちゃって少し遅れる。今、北園公園にいるから、後十分ほどで帰る』と書いて、返信ボタンを押そうとした。その時、口を塞がれた。
