小説「僕が、剣道ですか? 7」


 風車の筆学所は、盛況だった。教え子がすでに三十人を超えていた。教える場所のキャパシティも超えていたので、昼餉までの部(午前の部)と昼餉からの部(午後の部)とに分けて教えていた。相手の理由で毎日来られない子もいた。それらの子は、授業料を按分して、それぞれ相応の月謝を取っていた。それでも、月七両近くは手元に入ってきた。
 風車とみねは朝から忙しかった。風車は夕餉前に風呂に入ることは、できなくなっていた。夕餉の後に、すぐに風車はみねと風呂に入り、その後は寝るまで、明日の教えることを確認していた。
 それでも、みねは身重のきくを手伝って、炊事洗濯は一緒にした。客をとっていた時とは違って、とても忙しい毎日だった。
 買物は、僕の仕事になった。

 そんなある日の夜だった。奥座敷で時間を止めて、あやめと会っていた。今では、奥座敷にも長い座卓が並んでいる。
「ネズミが一匹いるな」と僕が言った。天井裏に何者かが潜んでいたのだった。
「ええ」とあやめが応えた。
「忍びだな」
「そうですね」
「あやめ、あの者の精気を吸い取ることができるか」と僕は訊いた。
「今までやったことはありませんが、できると思います」と答えた。
「だったら、動ける程度に吸い取ってきてくれ」と僕は言った。
「はい」
 あやめは姿を消すとすぐに戻ってきた。
「吸ってきました」
 そういうあやめの目の色が赤くなっていた。
「こっちに来い」と僕が言った。
 あやめを抱き締めた。
「吸った精気を僕に吐き出せ」と言った。
「いいんですか」
「大丈夫だ。定国での経験がある」
 あやめは僕と交わると、吸い取った精気を放った。それを僕が吸収していった。
 あやめの目の色が赤から、黄色に、そして、グリーンに、最後は黒に変わった。
「あの者に取り憑くことができるか」と僕は訊いた。
「できます」とあやめは答えた。
「どこから来たのか、知りたい。取り憑いて、どこに戻っていくのか、教えて欲しい」と言った。
「わかりました。でも、時間がかかりますよ」とあやめが言った。
「結果は明日、聞くということでいいか」と訊いた。
「ええ」とあやめは言った。
「じゃあ、やってくれ」
 あやめは消えていった。
 僕は寝室に戻ると、時間を動かした。忍びの者がだるそうにしているのが、魂の動きで分かった。あやめが取り憑いているのも分かった。もはや、偵察していられないので、城に戻ろうとしていた。それでいい、と僕は思った。

 翌日は、朝餉のすぐ後から筆学所が始まった。
 続々と教え子たちが集まってくる。来た順に席に座り、自分の硯を取り出す。家でも練習している子が多いので、硯などの道具を一式持っている者が沢山いた。ない子には、筆学所のものを貸していた。
 一分金といえばその家にとっては大金である。それを教育費に充てているのだ。どの時代でもそうだが、親は教育には金を惜しまない。僕はこのことが、江戸時代でも同じであることに、ある種感動していた。
 僕は畑仕事をした後は、両国に行った。おやつを頼まれた。今日は饅頭だった。教え子三十数人分と自分たちの分を入れると、四十人分ほどになる。結構な数だった。
 行く店は教え子がいれば、その店にした。次に行く日を教えやすかったのと、数が多いのと、月謝を還元させたかったからだった。それは風車の考えだった。
 僕が入って行くと、もう包んであって渡される。代金を払って受け取るだけだった。何にするかは、向こう任せだった。
 両国から帰ってきた頃には、昼餉になっていたが、朝餉や夕餉と違って、揃って食べることができなくなっていた。
 風車が字が上手く書けない子には、書けるまで教えていたからだ。みねの算盤も区切りがつくまで続けられていた。
 結局、きくとききょうとで食べることが多くなった。

 夜になった。
 夜中に時間を止めて、奥座敷に行った。
 あやめがいた。
「どうだった」と僕が訊いた。
「五十人ほどの忍びが、ある部屋に集まっていました」と答えた。
「それで」
「首領らしい人が、わたしが取り憑いた者に、どうだったか、訊いていました」
「…………」
「変わったことはなかった、と答えていました」
「首領らしい者の頭には入ったか」
「はい」
「誰に命じられていた」
大目付の二宮権左衛門でした」
「その顔を私に見せられるか」
「はい、映像をお見せします」
 僕は大目付の二宮権左衛門を初めて見た。思ったより、若かった。もっと歳をとっているものと思っていたのだ。
「この者の屋敷は分かるか」
「その首謀者が、その者の屋敷に行った時の映像もお見せします」とあやめは言った。
 武家屋敷が建ち並んでいた。
 近くに寺が見えた。現代の飯田橋のあたりだった。
「なるほど分かった。それで、この忍びの者たちは何をしているのだろうか」
「二宮権左衛門の命令で動いているだけで、特に何か任務を負っているというわけではなさそうでした」とあやめは言った。
 その後で「わたしは外に出たのは、初めてでした。疲れましたわ」と続けた。そして、僕に寄りかかってきた。
「主様の精を少し分けてくださいますか」と言った。
「交わりたいということか」
「言わないでください」
「分かった」と僕が言うと、あやめは絡みついてきた。
 あやめが躰の中に入ってくるのか、あやめの躰の中に入っているのか、分からなかった。とにかく、混じり合った。あやめが、生き生きとしてきたのが分かった。
 あやめは満足すると離れた。
「また来ると思うか」
「わたしが取り憑いた者は、命令を受けただけですのでわかりません。彼は精を吸われているので、要領のいい受け答えはできませんでした。だから、面倒なことを言わないで、変わったことがなかった、と言ったのだと思います。ここで寺子屋のようなことをしているとは言いませんでしたから」とあやめは言った。
「それで、どうなんだ」と僕は言った。
「また、来て欲しいです」とあやめは言った。
「どうしてだ」
「主様の精を受けられますもの」とあやめは言った。
「交わっているときには、私の精気を吸わないのか」
「吸いませんよ、そうしたら、主様はわたしを遠ざけるでしょう」とあやめは言った。
「そうか。私の考えていることが分かっているのか」と僕が言うと、「これだけ会っていますもの」と答えた。
「そうだな」と言った後、僕は厳しい顔をして「相手はまた来ると思うが、その時は、その組織をあやめに潰してもらう」と続けた。
「どうやってですの」とあやめが訊いた。
「その時に話す」と僕は答えた。
 しばらくして、僕は寝室に戻った。そして、時を動かした。